夏まっさかり俺さかさまに家離る
平田修
(『海に傷』昭和59年)
今回も平田の第一”句集”『海に傷』から。家を出るとも捨てるともなく、「離る」。家は実家(地元)とも自宅とも読めるが、今回は前者の視点から掲句を紹介したい。
平田はある時から出生地である富士宮を離れ、小田原へ移住していた。追って小田原へやってきた雄介さん一家との出会いは1985年頃だったという。移住の理由は様々あろうが、その一つは辻潤が使っていた尺八を探すため、というものであったらしい。
辻潤は多芸の翻訳家で、尺八の奏者でもあった。今ではむしろ、甘粕事件で大杉栄とともに殺害された伊藤野枝の最初の夫としての方が有名かもしれない。
名家に生まれた辻は実家の没落を機に女学校の教師となり、そこで出会った野枝と恋に落ちて教員を退職。フリーの文筆家となったわけだが、野枝が家を出て行ってからの辻はとにかく酒を飲んでいた。家には有象無象の暇人が集い、昼から毎日大宴会。自殺未遂や奇行、入院も繰り返すなど完全にアル中の状態にあった辻だが、そんな酒の席で出会った仲間たちがその都度支援してくれたのだという。
母・妹・野枝と暮らしながらも平然とニートのように振る舞っていた辻とは対照的に、平田は人情に厚い人であった。小田原近くの大井町(京浜東北線の大井町ではない)で下請け工場を経営していた平田だったが、雇用していた障碍を持つ従業員たちに裏切られて経営破綻。今以上に障碍に対する偏見の厳しかった時代に、雇用義務もない一介の町工場で障碍者の働き口を提供していた平田だったが、それが仇となってしまった。
さらには経営破綻をきっかけとして妻とも離婚。独り身となった平田は、ぽっかりと空洞化した身体を埋めるように尺八と俳句の世界へ誘われていった。
思うに、平田にとって辻はある種の憧れだったのだと思う。人の迷惑を顧みず自由に振る舞う傍若無人の辻に、なりたくてもなれなかった自分の姿を映し見ていたのではないか。辻の尺八を見つけられれば何かが変わるに違いない、という淡い希望すら見えてくる。真反対の存在である辻の幻影を求めて家を離れる時、平田の心は”さかさま”になる。さかさまにせざるを得なかったと言ってもいいだろう。身体をもさかさまにする夏の暑さは、悲しき決意のプロローグであった。
(細村星一郎)
【執筆者プロフィール】
細村星一郎(ほそむら・せいいちろう)
2000年生。第16回鬼貫青春俳句大賞。Webサイト「巨大」管理人。
【細村星一郎のバックナンバー】
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