シリウスを心臓として生まれけり 瀬戸優理子【季語=シリウス(冬)】

シリウスを心臓として生まれけり

瀬戸優理子


初対面の人と話すとき、俳句をやっていると言って驚かれないことはまずない。二十そこそこの人間が俳句をやるというイメージは、一般には薄いのだろう。私が俳句を始めたのは高校の部活動がきっかけだが、俳句を”本格的に”始めたのは、瀬戸優理子さんとの出会いがきっかけだ。

高校二年で初めて高文連に俳句を応募し、その年はもちろん支部予選も通らなかったが、俳句を学びたいという気持ちから俳句分科会に参加した。小説や短歌に比べて参加人数の少なかった俳句分科会は、とても和やかな雰囲気だったのを覚えている。そこで私は、講師であった優理子さんに、「一物仕立て」とか「二物衝撃」とか「切れ字」とか、そういう俳句の基本を学んだ。それまで一年ほど、一人でなんとなく俳句を詠んでいただけだった私は、俳句を学ぶことの楽しさや、他の人と一緒に句会をすることの喜びを知った。

そんな、私が俳句との出会いを語るうえで欠かすことのできない優理子さんの第一句集『告白』より、掲句を紹介したい。優理子さんの句は、ごく身近な情景にある、人間と季語(自然とか、世界と言い換えてもよい)との関係性を再発見するような視点にあると思う。シリウスは天を仰いで見つけるものではなく、心臓にある、いや、心臓そのものであるという発見が「けり」にこめられている。シリウスの青白くて冷たい、あの鋭い光は、誰もが生まれながらに心臓にもっているのかもしれない。それは冷酷な冷たさではなくて、生きるのに必要な生命力だと思う。

他にも『告白』より、以下の句を取り上げたい。

  抜け殻は私かとっくりセーターか
  すぐ折れる氷柱折られても尖る
  如月の受話器に当たる耳の骨
  胎内を分け入ればあたらしい雪
  夫無口余談のように葱刻む

一辺倒な幸せとか、単なる日常ではなくて、人間たる主体と、季語たる世界との交錯する場所を描いた句たちではないだろうか。俳句は、詩である。詩というと、何か大仰なことを言ってのけなければならないと、存在しない何かに駆り立てられることがある。でもそうではない。自分の近くに、詩は転がっていて、それに気づけるかどうか、そしてそれを詩に仕立てられるかどうかなのだと、優理子さんの句を読むといつも思う。

私の担当回では、俳句に対する私の考え方とか、向き合い方とか、何かを変えてくれた句を紹介していきたい。私は、特別俳句が上手いわけでも、特別俳句をよく勉強しているわけでもない。が、俳句は自己表現の手段だと思っている私にとって、こうやって文を書き連ねることもまた、自己表現の場だと思いたい。

島崎寛永


【執筆者プロフィール】
島崎寛永(しまざき・ひろなが)
2002(平成14)年、北海道札幌市に生まれる。2017(平成29)年、俳句を始める。2019(令和元)年、雪華に入会。2020(令和2)年、大学進学のため茨城県へ。ポプラに入会。2025(令和7)年、雪華同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓




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