【連載】加島正浩「震災俳句を読み直す」第5回


【連載】

「震災俳句を読み直す」第5回

風と「フクシマ」

夏石番矢『ブラックカード』・中村晋『むずかしい平凡』

加島正浩(名古屋大学大学院博士課程)


実父の死や福島原発の「事故」など多様な主題が収められた、夏石番矢の重厚な句集『ブラックカード』(砂子屋書房、2012年)で詠まれるモチーフのひとつに「風」がある。

虚栄も死も風もよぎるここ我存在す

風は雲を運び死の床にポンプ

風重し人と人とをへだてる煙

風も人も記憶も消え去り星の音

空き缶や放射能の煙は風まかせ

杉花粉と放射能飛ぶ風の街角

風吹いて制御できない熱があちこち

明朗な風の悪魔があなたの毛穴へ

死と風が合わさって詠まれることで、風が命や記憶を「運び去る」ものであることや、風のもつ不吉な印象が際立つ秀句が並ぶ。加えて原発「事故」以後の「風」が、放射性物質を運ぶものであることも示される。「放射能の煙は風まかせ」と詠まれるように、「事故」直後の風向きのために、福島県の浜通りと呼ばれる地域以外にも線量の高い場所が生じたのは周知の事実である。放射性物質や放射炉の熱も「制御できない」が、風もまた制御できないため、拡散をとどめることができず、風自体が「悪魔」となってしまうのである。

しかし、風が放射性物質を拡散させるということは、県境に沿って放射性物質が飛散するわけもないのだから、原発「事故」の被害にあった地域は「福島県」に留まらないということである。そこで考えなければならないのは、原発「事故」以後を示す際に用いられることのあるカタカナの「フクシマ」という表記である。

「フクシマ」表記には批判も多い。北海道、岩手に次ぐ広さを有する福島県全域が放射性物質によって「汚染」されたかのように印象づけてしまうことや、浜通り・中通り・会津とそれぞれに違う気候や文化を有する福島の具体的な様相が見えなくなってしまうなどがその理由である。

(詳しい方には自明のことではあるが、浜通りは温暖な気候で雪はあまり降らず、福島=雪国という流布しているイメージに合致しない地域もあるのである)

『ブラックカード』にも〈HiroshimaとFukushimaという烙印へ雨が降る〉という句があい、HiroshimaとFukushimaが並んでしまったことが示される。Hiroshimaの表記が、原爆の記憶とともに想起させるものであり、それは日本語で「ヒロシマ」と示されることを踏まえれば、ここでのFukushimaは原発「事故」の記憶を想起させる「フクシマ」の表記と同じものとみなしてよいだろう。

ただし、世界的な事件や事故と捉えられる問題が生じた場合、それが起きた土地の名前で事件を示す慣例があるため、それを踏まえてFukushimaと表記しているという理由もあるはずである。(詳しい方には説明する必要もないが、夏石は俳句を日本語以外の言語に果敢に開くことを試みている俳人でもある。)

しかしそれでも、Fukushima=「フクシマ」は「烙印」となってしまった事実は残る。そのような「烙印」で故郷、愛する土地を呼んでほしくはないという人たちの気持ちも、私は尊重するべきものだと考える。

一方で原発「事故」以後を端的に示す詩語は必要であるとも思う。「事故」以後の「事実」をあいまいにして「なかったことにしよう」とする「現実」がある以上、「事故」以後を鋭く示す言葉の存在は欠かすことができないとも考える。

そして俳句や短歌のように字数の制限が厳しいジャンルにおいては「フクシマ」という表記が、短く原発「事故」以後を示すことができるため有用でもあるのだろうと推測する。 

ただし、字数のみが理由であるのならば「フクシマ」とは異なる表記を模索するべきだろうと思う。福島県全域が均等に「汚染」されたわけでもなく、福島県だけが「汚染」されたわけでもないのだから。(原発「事故」以後を「フクシマ」と表記したことが、福島県外から避難した区域外避難者に対する「なぜ、福島県民でもないのに避難したの?」という眼差しの形成に寄与し、苦しめた可能性もあるだろうと思う)

私自身は「フクシマ」という表記は用いない。「フクシマ」という表記の是非についても明確な態度を形成できていない。しかしながら「フクシマ」が用いられる理由は字数だけではないのだろうとも思う。

中村晋『むずかしい平凡』(BONEKO BOOKS、2019年)は、かつて書評を書いているため、句集の詳細はそちら(https://uneriunera.com/2021/06/22/muzukasiiheibon/)をご参照いただければと思うが、書評でも触れることができなかったのが「フクシマ」表記のある句である。

フクシマよ夭夭と桃棄てられる

フクシマよ無言の田んぼ湧く蜻蛉

母子草ふくしま去らぬ父祖たちに

ひとりひとりフクシマを負い卒業す

平時であっても「平凡」に暮らすことは「むずかしい」が、原発「事故」以後は「平凡」も、暮らしも奪われたわけである。「フクシマ」の桃は棄てられ、無言の田が広がる。しかし、「ふくしま」を去らぬ者も多くいる。

原発「事故」以後のある時期から、ひらがなの「ふくしま」表記も多く見かけるようになったが、『むずかしい平凡』での表記の使い分けを読んでいると、原発「事故」以後の福島県には「ふくしま」も「フクシマ」もあるのではないかという気がする。「事故」以後を示す「フクシマ」と、「事故」以前の歴史や思い出も含め、変わらずに存在し続ける「ふくしま」と。

風は人間が引いた境界を超えて放射性物質を運んでいき、これ以下であれば「安全」であるという被曝線量の基準値を示すこともできない以上(連載第3回の内容を参照)どこからが「フクシマ」か、などと画定することはできない。原発「事故」以後を生きる人たちが、ときに自分は「フクシマ」にいると感じ、ときに事故以前から引き続く「ふくしま」のなかにいると感じているということではないかと、「ふくしま」を知らず福島県で生活をしたことのない私は推測する。ここで明確な答えは出せないが、「フクシマ」「ふくしま」表記については、引き続き考えて(というつつもうすでに5年ほど抱えながら、避けて通ってきた課題ではあるのだが)まいりたい。

ただここで、〈ひとりひとりフクシマを負い卒業す〉という句については、少し踏み込んで話を展開しておきたい。詠み手の中村は高等学校の教員であり、卒業式で生徒を送り出す際に詠んだ句であることが読み取れるが、その生徒「ひとりひとり」が「フクシマ」を負ってしまっている様子に私は考えるところがある。

原発「事故」が起こった時点では、私は大学1年生(4月から2年生)で、19歳であった。当時選挙権は20歳以上に与えられていたため、当時の私は一度も国家の政策に関して意思表示を行う権利を有していなかった。にもかかわらず、原子力発電所は爆発し、とんでもない負債を大人から背負わされたのである。

そのため、大江健三郎や林京子が震災後に出版した小説に「私たちは私たちで頑張ったのです。あとは若い人たちに託します」というニューアンスを読み取ってしまい(それは誤読であったかもしれないが)大変に腹立たしく思ったことを覚えている。「あんたらが止められなかったんだろう?」と。

「フクシマ」を負って卒業していく高校生のなかにも、同様の怒りを大人に覚えている人はいるであろうと思う。もちろん、原発「事故」以後に福島県で(本来の意味の)復興を実践し、尽力していた大人もたくさんおり、その人たちへの感謝を持つ高校生もいるだろう。そのような人たちがいてくれたおかげで、なんとかこの次元で踏みとどまれているのだとも思う。(想定すれば切りがないが、より最悪な事態になっていた可能性はいくらでもある)

ただ私は怒りを覚えた側から、ただ怒りをぶつけられる「大人」の側に横滑りしただけだと情けなく思っている。私はこの10年何もできなかった。

そしていつの間にか、「事故」当時「子ども」であった人が、発言する側に回ってくださり、誹謗中傷に傷つきながら、発言を続けてくださっている。そこで発言をしてくださっている彼ら/彼女らは「フクシマ」から逃れられないのだろうと思う。

実は私は「当事者」/「非当事者」という言葉を使いたくはないのだが(東日本大震災以後の文学における「当事者性」というテーマで博士論文を書いておきながら、である)端的に、「当事者」とは誰かを説明するとすれば、ある問題から逃れたくても逃れられない人のことを指すのだと思っている。コロナウイルスが蔓延したのちに、東日本大震災のテーマから離れた(もちろん戻ってこられるのかもしれませんが)ようにみえる研究者が数名いるが、その研究者はまさに「非当事者」である。自分がやめたくなったら、やめられるのだから。

東京電力の原発が「事故」を起こし、そこで発電していた電気は東京に送電されていたのであるから、責任は東京にあるはずである。しかしその原発が福島県に立地されていたために、福島県で生まれ育った人が、その問題をどこかで意識しつづけざるを得ない状況へと追い込まれた。そしてそれが10年続き、おそらくは今後も意識しつづける状況はつづいてしまう。

私は広島に生まれ、母方・父方の祖父・祖母ともに被爆者であるため、私自身も事実上は被爆三世である。確かに日本国外では、被爆三世の結婚差別が未だにあるという話も聞くため被爆三世がヒロシマと無縁であるとも言い切れないが、私はヒロシマを負って生活した記憶はない。そのためヒロシマを記憶することの重要性は語ることができるかもしれないが、被爆三世として語ること、ヒロシマの「当事者」として語ることは私にはできない。私は自分を被爆三世だと認識して生活する時間などほとんどないに等しいからである。語る権利の有無ではなく、私には被爆三世として語ることのできる話がなにもないのである。そのため、知り合いや友人で被爆三世として語る人のことを否定しているわけでもない。彼ら/彼女らは、何らかの理由で自らを「被爆三世」とする認識を負ってしまったのだろうと思う。もちろんその認識を負った理由や出来事が明確である人もいらっしゃるだろうが、自分でもその理由を説明できないうちに負った人もいらっしゃるだろうと思う。

原発「事故」の収束が見えない以上、自ら負うことを選んだか、いつの間にか負ってしまったかの差異はあるだろうが、今後も「フクシマ」を負って卒業するしかなく、「フクシマ」から卒業できない高校生は多く存在することになるのだろうと思う。そのことを大変に申し訳なく思う。何を述べようとも、それは「事故」処理を終えることができない「大人」が負わせてしまっているのだと思う。

彼ら/彼女らは、語るべき話を多く持ってしまっているのだろうと思う。

それがどのようなかたちで表出されるのか。

「文学」や詩歌を通して、それを表出することは可能なのか。

どのような表現が試みられていくのか。

「文学」研究者としては、まずそこから始めさせてもらうしかないのだろうと思っている。


【執筆者プロフィール】
加島正浩(かしま・まさひろ)
1991年広島県出身。名古屋大学大学院博士後期課程在籍。主な研究テーマは、東日本大震災以後の「文学」研究。主な論文に「『非当事者』にできること―東日本大震災以後の文学にみる被災地と東京の関係」『JunCture』8号、2017年3月、「怒りを可能にするために―木村友祐『イサの氾濫』論」『跨境』8号、2019年6月、「東日本大震災直後、俳句は何を問題にしたか―「当事者性」とパラテクスト、そして御中虫『関揺れる』」『原爆文学研究』19号、2020年12月。


【「震災俳句を読み直す」バックナンバー】

>>第4回 あなたはどこに立っていますか
      ―長谷川櫂『震災句集』・朝日新聞歌壇俳壇編『阪神淡路大震災を詠む』
>>第3回 おぼろげながら浮かんできたんです。セシウムという単語が
      ―三田完『俳魁』・五十嵐進『雪を耕す』・永瀬十悟『三日月湖』
>>第2回 その「戦場」には「人」がいる
      ―角川春樹『白い戦場』・三原由起子『ふるさとは赤』・赤間学『福島』
>>第1回 あえて「思い出す」ようなものではない
      ―高野ムツオ『萬の翅』・照井翠『龍宮』・岡田利規「部屋に流れる時間の旅」

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