毎月第1日曜日は、歌人・服部崇さんによる「新しい短歌をさがして」。アメリカ、フランス、京都、台湾、そして再び京都へと動きつづける崇さん。日本国内だけではなく、既存の形式にとらわれない世界各地の短歌に思いを馳せてゆく時評/エッセイです。

【第43回】
心の花の歌人による宇宙と短歌
服部崇(歌人)
「宇宙と短歌」と題したイベントに参加した。2025年12月19日、京都・西陣のyu-anで開催された「宇宙サロン」。第65回だそうだ。毎回、磯部洋明・京都市立芸術大学美術学部准教授によるトークが行われているそうだ。今回は、「宇宙と短歌」。磯部准教授からは「依田照彦の短歌―ハンセン病療養所・長島愛生園の科学者・歌人」(磯部洋明、鈴木晴香)(2025年度京都市立芸術大学美術学部研究紀要)に基づく依田照彦の短歌の解説があった。
せっかくの機会なので、私からは「心の花の歌人による宇宙と短歌」と題して笹本碧、奥田亡羊、岩井謙一の短歌を一首ずつ紹介させていただいた。その際、磯部准教授に質問をした。
超新星あらわれるときミジンコの眼にも豊かな火のともるなり 笹本碧『ここはたしかに完全版』(2020)
宇宙のかなたに超新星が現れるとき地球の小さな生き物であるミジンコの眼にも火がともる。はるかかなたの宇宙に起こった光と目前のごく小さな存在の光。「豊かな」に作者の生き物への慈愛が感じられる一首となっている。
笹本碧(1985~2019)は、東京都立北多摩高等学校入学後、天文部に入部した。東京農業大学地域環境科学部森林総合科学科入学後は、天文同好会に入会した。卒業後はいくつかの会社にて勤務した。心の花には2013年に入会した。歌集のタイトルは〈偶然は積み重なって丸くなるここはたしかに地球の上だ〉より。「私はずっと地球のことを残したいと思って歌をつくっている。例えば日差し、風、動植物の営みのことも、私にとっては地球をうたうことに他ならない。月や星たちのこともそうだ。私はこれらにどうしようもなく憧れがある。そしてこれらに心を動かされるのは、地球から手の届かないものを見ているからこそだと思う。」(あとがき)
笹本碧はどの超新星を見たのだろうか。あるいは超新星のニュースに接したのだろうか。笹本碧が見た可能性がある時期の超新星としては、Wikipediaには、
SN 2002bj うさぎ座
SN 2005ap かみのけ座
SN 2006gy ペルセウス座
SN 2009dc かんむり座
が載っている(2024/12/19にアクセス)。
これに対し、磯部准教授は次のように述べた(ただし、聞き間違いがあるかもしれないので、注意願いたい)。
これらの超新星は肉眼では見えなかった。肉眼で見えた最後の超新星は1987年だった(SN 1987A かじき座)。小さな望遠鏡でも見えなかっただろう。ただし、その方向からは光の粒子が飛んできている。目に見えなくても光は届いている。
昼の星見上げて握る河原の石、ときに人の手、犬は鳴かすな 奥田亡羊『ぼろんじ』(2025)
難解な一首ではある。昼の星を見上げる。河原で石を手に握る(鴨川のような気がする)。人の手とあるのは、誰の手だろうか。ときに人の手を握る。結句では、さらに展開して、犬を鳴かすな、と言う。人の手を握るという暖かい相聞的な雰囲気が、突然、犬の鳴き声に打ち消される。
奥田亡羊(1967~2025)は、京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。卒業後はNHKに入社、京都放送局に配属。2002年にNHKを退社。父方の祖父は俳人・俳画家の奥田雀草。
2007年 第一歌集『亡羊』(第52回現代歌人協会賞受賞)
2017年 第二歌集『男歌男』第16回前川佐三雄賞受賞)
2021年 第三歌集『花』(第27回若山牧水賞受賞)
と、数ある賞を受けてきた。『ぼろんじ』は、第三歌集以降の歌をまとめた第四歌集『虚国』を含む全歌集である。掲出歌は『虚国』より引いた。
昼に星が見えるのはなぜ? 星の光はどこまで明るいのか。
これに対し、磯部准教授は次のように述べた。
昼に見える星は金星。望遠鏡で見える。他の星は見えない。見えないが、星はあるにはある。星からの光の粒子フォトンは飛んできている。そこにある、ということは体験できる。
おそらくは今も宇宙を走りゆく二つの光 水ヲ下サイ 岩井謙一『光弾』(2001)
「二つの光」は、広島、長崎に落とされた原子爆弾の光である。「水ヲ下サイ」は原民喜の詩に基づくフレーズであることは明白。
岩井謙一は宮崎県在住。掲出歌は第一歌集『光弾』(雁書館、2001)より。岩井謙一は最近、第六歌集『バベルの時代』(ながらみ書房、2025)を出している。第六歌集には〈原民喜・井伏鱒二の文庫本どこにあるかをたまにささやく〉などが掲載されている。
光は「今も宇宙を走りゆく」と詠まれているが、光は宇宙のどこまで走りゆくのだろうか。
これに対し、磯部准教授は次のように述べた。
どこまでも飛んで行っている。今も間違いなく飛んでいる。光は広まっていくので薄まる。雲があると薄まる。宇宙のガスでも薄まる。やがて検出不能になるが、1個や2個は飛んでいる。雲やガスが吸収したのちもそこからフォトンを出す。エネルギーの痕跡はどこまでも飛んでいく。ただし、宇宙は膨張している。宇宙のかなたは光速より速く遠ざかっている。宇宙の果てには、光速では到達できない。
以上、「宇宙と短歌」と題したイベントに参加した旨の報告である。
【執筆者プロフィール】
服部崇(はっとり・たかし)
「心の花」所属。居場所が定まらず、あちこちをふらふらしている。パリに住んでいたときには「パリ短歌クラブ」を発足させた。その後、東京、京都と居を移しつつも、2020年まで「パリ短歌」の編集を続けた。歌集『ドードー鳥の骨――巴里歌篇』(2017、ながらみ書房)、第二歌集『新しい生活様式』(2022、ながらみ書房)。X:@TakashiHattori0
【「新しい短歌をさがして」バックナンバー】
【42】「ゆるさ」について
【41】「よ」について──谷岡亜紀『ホテル・パセティック』(ながらみ書房、2025)──
【40】佐藤博之第一歌集『残照の港』批評会
【39】あかあかと
【38】台湾大学の学生たちと歌会を行った
【37】異文化交流としての和歌・短歌
【36】啄木とクレオール
【35】静宜大学を訪れて
【34】沖縄を知ること──屋良健一郎『KOZA』(2025、ながらみ書房)を読む
【33】「年代」による区分について――髙良真美『はじめての近現代短歌史』(2024、草思社)
【32】社会詠と自然詠──大辻隆弘『橡と石垣』(2024、砂子屋書房)を読む
【31】選択と差異――久永草太『命の部首』(本阿弥書店、2024)
【30】ルビの振り方について
【29】西行「宮河歌合」と短歌甲子園
【28】シュルレアリスムを振り返る
【27】鯉の歌──黒木三千代『草の譜』より
【26】西行のエストニア語訳をめぐって
【25】古典和歌の繁体字・中国語訳─台湾における初の繁体字・中国語訳『萬葉集』
【24】連作を読む-石原美智子『心のボタン』(ながらみ書房、2024)の「引揚列車」
【23】「越境する西行」について
【22】台湾短歌大賞と三原由起子『土地に呼ばれる』(本阿弥書店、2022)
【21】正字、繁体字、簡体字について──佐藤博之『殘照の港』(2024、ながらみ書房)
【20】菅原百合絵『たましひの薄衣』再読──技法について──
【19】渡辺幸一『プロパガンダ史』を読む
【18】台湾の学生たちによる短歌作品
【17】下村海南の見た台湾の風景──下村宏『芭蕉の葉陰』(聚英閣、1921)
【16】青と白と赤と──大塚亜希『くうそくぜしき』(ながらみ書房、2023)
【15】台湾の歳時記
【14】「フランス短歌」と「台湾歌壇」
【13】台湾の学生たちに短歌を語る
【12】旅のうた──『本田稜歌集』(現代短歌文庫、砂子屋書房、2023)
【11】歌集と初出誌における連作の異同──菅原百合絵『たましひの薄衣』(2023、書肆侃侃房)
【10】晩鐘──「『晩鐘』に心寄せて」(致良出版社(台北市)、2021)
【9】多言語歌集の試み──紺野万里『雪 yuki Snow Sniegs C H eг』(Orbita社, Latvia, 2021)
【8】理性と短歌──中野嘉一 『新短歌の歴史』(昭森社、1967)(2)
【7】新短歌の歴史を覗く──中野嘉一 『新短歌の歴史』(昭森社、1967)
【6】台湾の「日本語人」による短歌──孤蓬万里編著『台湾万葉集』(集英社、1994)
【5】配置の塩梅──武藤義哉『春の幾何学』(ながらみ書房、2022)
【4】海外滞在のもたらす力──大森悦子『青日溜まり』(本阿弥書店、2022)
【3】カリフォルニアの雨──青木泰子『幸いなるかな』(ながらみ書房、2022)
【2】蜃気楼──雁部貞夫『わがヒマラヤ』(青磁社、2019)
【1】新しい短歌をさがして
挑発する知の第二歌集!
「栞」より
世界との接し方で言うと、没入し切らず、どこか醒めている。かといって冷笑的ではない。謎を含んだ孤独で内省的な知の手触りがある。 -谷岡亜紀
「新しい生活様式」が、服部さんを媒介として、短歌という詩型にどのように作用するのか注目したい。 -河野美砂子
服部の目が、観察する眼以上の、ユーモアや批評を含んだ挑発的なものであることが窺える。 -島田幸典
