
夏蜜柑剝きし指より酢つぱき吻
坂内里桜
(恋の句会作品集「愛鍵」より)
2026年5月4日に開催される東京文学フリマ42に恋の句会作品集「愛鍵」を出店することになった。文学フリマへの出店を提案し、「愛鍵」の編集をしてくれたのが坂内里桜さんである。里桜さんはSNSで荻窪の屋根裏バル「鱗kokera」にて開催している恋の句会「愛の火曜日」の存在を知り、参加して下さった。ちょうどその頃、参加者の牧内登志雄さんが「愛の火曜日句会アーカイブ」を作成して下さり、評判となっていた。それまで「愛の火曜日」に投句した句は未発表扱いとしていたのだが、冊子にしてみると嬉しいものである。そこで、文学フリマに挑戦しようということになった。里桜さんは当時、短詩系グループにて同人誌を編集発行し、文学フリマに出店していた。文学フリマ経験者ということで、このたびの「愛鍵」でも文学フリマ出店の手配及び編集を担当して頂いた。
「愛鍵」には、「愛の火曜日」だけでなく、「恋のZOOM句会」、「雪月花句会」の参加者が集い、合計27名による恋の俳句作品集となった。1人20句とエッセイを掲載し、厚みのある冊子となっている。当初の予想を超える分量となったため、里桜さんには仕事の合間を縫って対応して頂いた。
里桜さんは、「愛鍵」記載のエッセイ&プロフィールによれば、生命保険のプランナーとしてご活躍されているキャリアウーマンである。と同時に高校生の櫻佳ちゃんの母でもある。俳句を始めた切っ掛けは、櫻佳ちゃんが小学生の頃に持ち帰ってきた俳句の宿題からだったという。その後、Facebookの俳句のグループで知り合った方の勧めで俳句結社「鷹」に親子で入会。当初は、仕事と子育て俳句がメインであったが、恋の句を詠んでみたくなるような経験があり、現在は恋の句が多いという。昨年からは「春野」にも入会し、積極的に句会にも参加している。
今回の20句は「金と恋」と題して果物と恋をテーマにした一連となっている。〈夏蜜柑〉の句は、その冒頭の句である。
夏蜜柑剝きし指より酢つぱき吻 坂内里桜
夏蜜柑は、初夏の頃に出回る大ぶりの蜜柑で酸味が強い。現在は品種改良した甘夏が売られる。実は秋に熟するが、甘くなる翌夏に収穫される。掲句は、夏蜜柑を剝いた指よりもくちびるの方が酸っぱく感じたという内容である。果肉に触れて果汁が染み込んでいる指よりも、あまり果肉に触れなかったはずのくちびるの方に強い酸味を感じた発見を詠んでいる。そして、この句の〈指〉と〈吻〉は、自分のではない。恋人の〈指〉と〈吻〉なのである。相手の男性は優しくまめな人なのだろう。夏蜜柑を剝いて食べさせてくれたのだ。夏蜜柑を分け合い食べ終わった後に、果汁でべとべとになった相手の指を舐めて、キスをしたのだ。甘いキスではなく酸っぱいキスとなった。この相手のくちびるに感じた強い酸味に距離感を覚えたのである。優しくまめな〈指〉とは違い、本音に近い〈吻〉の酸味は、自分を拒絶しているようであり、不信感となった。相手に対する不信感や不安な気持ちはもともとあったのだろう。とても親密そうな場面を描きつつ、夏蜜柑の酸味で恋の不安定さを表現している。また、〈指〉や〈吻〉という身体描写にはエロスも感じさせる。
里桜さんは、鈴木しづ子の大ファンであり、代表作である〈夏みかん酢つぱしいまさら純潔など しづ子〉を表題にした全集を愛読している。掲句の夏蜜柑もしづ子を敬愛する気持ちから詠まれたのであろう。しづ子の影響だけではないとは思われるが、一連のなかにはエロスを詠んだ句がある。
くちびるを鎮めるための黒葡萄 里桜
林檎嚙む歯型をつけてあげませう 里桜
相手を求めて熱くなるくちびるを鎮めるために食べた〈黒葡萄〉もまた肉感的である。歯型をつけたのは〈林檎〉であるが、恋しい相手にも自分の所有であることを示す嚙み痕を残そうとしたのだろう。〈林檎〉の硬さは相手の引き締まった肉体を想像させる。普段は甘い恋の句の多い作者であるが、今回はさまざまな恋のあり方を詠み、甘くない恋に挑戦している。
対を成すどちらも愛でるさくらんぼ
無花果の一番好きな腐りかけ
口紅と檸檬と恋と金と愛
二股の恋を思わせる〈さくらんぼ〉、腐れ縁になりかけの離れがたい心情をたくした〈無花果〉、青春の象徴ともいうべき〈檸檬〉を大人の恋、大人の事情である〈金〉を詠むことで、酸っぱさを表現する。果物の甘いばかりではない一面を見事に恋の句として詠みあげている。
里桜さんの恋の連作20句は、酸っぱい恋から始まり、これまた酸っぱい事情で終わる面白い一連に仕上がっている。ぜひ「愛鍵」を手に取って里桜さんの恋の世界に浸ってみてほしい。
(篠崎央子)
【篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】
【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。

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