【木曜日】は2か月交代で〈大学俳句会〉のみなさんにご執筆いただいています。「北大俳句会えぞりす」からのバトンが渡ったのは福島大学俳句会。第6回は佐藤惠さんです。

福島を詠む俳句の二面性
―福島巡礼三十三句から考えるー
佐藤惠(福島大学俳句会)
1.はじめに
「福島巡礼三十三句」は小澤實による作品集である。小澤は、東京大学大学院情報学環准教授・開沼博が、作家・古川日出男、写真家・大森克己とともに立ち上げた芸術プロジェクトである福島芸術講¹に属しており、そのホームページのギャラリー²にて当作品を閲覧できる。
「福島巡礼三十三句」は福島での風景が切り取られ、その中には「帰還困難区域」「立入禁止表示」「津波」「震災遺構」といった、東日本大震災以降の福島を如実に映し出す句もある。本稿では、福島という地で俳句を詠む/福島についての俳句を評論するとはどういうことなのか、俳句のナラティブを読み解きながら考える。第2節で一部作品の評論、第3節で評論を基にした考察をのべ、第4節に総論をまとめる。
2.評論
〈枯野なり建つハ震災遺構のみ〉
一面の枯野の中、ただ一つ在る震災遺構は、いつどの瞬間から「震災遺構」になったのだろう。何をもって「震災遺構」としての価値を与えられるのだろうか。そも、なぜ「震災遺構」という言葉が付けられたのか。考古学の観点から考えたとき、現在「震災遺構」として指されるものは単なる遺構ではなく、遺物と遺構からなる遺跡なのではないだろうか。遺跡は、遺物と遺構によって構成される空間的概念であり、前の二つが揃っていなくとも存在する。ゆえに、「震災遺構」ではなく「震災遺跡」が適当であると考えられないか。
この句の「枯野」もまた、東日本大震災の影響を示す要素である。そして、「枯野」は、その寂しげな性質によって、「震災遺構」のもつ後世への教訓としての役割という価値を高めている。「枯野」の中にあって初めて、「震災遺構」として機能するのである。ともすると、この句は「震災遺構」ではなく、「枯野」を切り取ることによって「震災遺跡」を詠んだ一句なのである。
〈請戸小学校一階津波とほり北風も〉
東北地方太平洋沖地震に伴い、福島県沿岸部は津波の影響を受けた。福島県浪江町にある浪江町立請戸小学校³もまた被害に遭った。その際に、生徒の主導により全員が無事避難することができた奇跡の学校として有名である。震災遺構である請戸小学校を訪れると、校舎のいたるところに大地震・大津波の脅威を感じる。むき出しになった教室の壁や当時のまま残された教材、卒業式の準備をしてあった体育館。存在していた、これからも続くと信じて疑わなかった日常が、一日にして失われたことがわかる。
一階部分はがらんとして、いつも風が吹き抜けている。どの季節に訪れても、風が肌を掠めてゆく。その風は、震災以前に児童たちの学校生活に共存した風とは異なる。夏に、教室の窓を開けて思い切り感じるさわやかな風とは違うのである。震災以前の風は「窓を開ける」という行為によって、いわば能動的に感じる風であるのに対し、震災以後の風は、津波が「とほり」過ぎたことによって意図せず空間が開かれ、そこから勝手に入り込んでくる、受動的に感じる風なのである。風の感じ方一つとっても、震災以前・以後では性質が多いに異なる。津波が来て、倒壊はまぬかれたものの一階部分の多くが流され、そして風が吹き抜けるようになったという時系列を詠んだこの句は、震災以前・以後の変化の様子を映し出す。
〈霊園の枯芝永遠に刈るなりロボットは〉
震災以後、復興が進められる相双地域では、草刈りロボットをよく見かける。さまざまな場所で見かけるそれは、ゆっくりと地面を滑るように進み、その姿はどこか愛らしささえ感じる。いつ訪れても、止まることなく草を刈り続けるロボットは永遠性を帯びているようにさえ思える。この句では、草刈りロボットが「霊園」で稼働していることでよりその永遠性を助長している。霊園という、死者が永遠に留まる場所。仮に草刈りロボットがその役目を終えたとしても、その霊魂はずっと霊園の枯芝を刈り続けるだろう。その永遠性は、どこか福島の復興のメタファーのようでもある。震災以降、復興は着実に進んでいる。しかし、復興とはそもそも何を意味するだろう。もし「震災前よりも良い状態になること」が復興だとしたら、復興には終わりがないことになる。復興は草刈りロボットと同じように、ずっと続いてゆく。
〈増子洋一警視佐藤雄太警部補さくら〉
東日本大震災発生当日、富岡町で町民を避難誘導していた増子洋一警視(当時41歳)と、佐藤雄太警部補(同24歳)―共に2階級特進―は大津波に襲われた。⁴福島県双葉警察署には、彼らを偲び震災翌年に桜が植樹されている。⁵その桜は「洋雄の桜」と名付けられた。
高校一年生のとき、富岡町にバスツアーで訪れたことがある。町中を巡り、復興の様子というものをガイドの案内で確かめた。何でもない道路に差し掛かった。「今から通る道に、小さな段差があります。本当に小さな段差です」と彼女は言った。続けて、「だけど、その本当に小さな段差にパトカーが引っかかって、そして津波に飲まれてしまいました」と言った。そしてすぐ、バスはその小さな段差の上を通った。本当に、小さな段差だった。それが、人の命を奪う要因になると疑ってしまうくらいに。怖いと思った。大学生になった今も、座席越しに伝わったあの小さな感覚を鮮明に覚えている。
桜は記憶に残りやすいと思う。春でなくても、見上げるたびにそこにあるだけで、記憶を引き起こす装置になる。普遍的に愛されているし。だから、小さな段差の替わりに桜が伝えてくれればよいと思う。誰もがその段差を通ることは出来ないから。それだけを見ても理解できないから。でも桜なら、人間は見るしわかるだろう。気軽にそういう伝承的なものを担うことが出来るのが、桜なのだと思う。だから、その桜を詠んだこの句も伝承を担っていると言える。
〈枯れきりしさくらつづくや夜の森〉
福島県富岡町にある夜ノ森は、桜で有名であり、それは富岡町民の誇りであった。東日本大震災と原発事故で長い間、帰還困難区域になっていたが、2022年1月、立入規制の一部緩和により、同年春に全長2.2キロ全ての観桜が可能になった。⁶
「枯れきりしさくら」はおそらく福島の比喩である。それが「つづく」というのは、先の見えない復興へのやるせなさを感じてならない。ただ、そうした見方が一般的と思われるが、私はこの一句に別の解釈を持つ。
夜ノ森を訪れたことがあるが、それは桜の季節ではなかった。まさに、「枯れきりしさくら」が「つづ」いていた。ただ、夕方の時間帯、西日が差して裸の木を煌々と照らしていた様はあまりに美しいと思った。人はこういう風景を見たときに、「未来への希望」みたいなものを感じるのだろう、と。
「枯れきりしさくら」が「枯れきりし」状態で「つづく」と捉えると、復興への不安や疑念を感じる一句となる。しかし、「枯れきりしさくら」がそれでも「つづく」と捉えると、一変して希望を見出すことの出来る一句となる。
〈自画像抽象青がちにして寒暮に描く〉
17歳の時、福島と私は青色だと思っていた。福島は冷たくて、寂しくて、完熟前で、だから色を付けるならきっと青だ。福島は青くて、言葉に囚われていて、そして私だ。福島も私も、虚像ばかりが第三者の目に入っている。そう思って、福島と自画像を並べたアート作品を制作したことがあった。⁶だから、この句が初めて目に入ったとき、傲慢ながら自分の話をしているのかと思った。
「自画像抽象」を「青がちにして」描いた人は、何を思ったのだろう。詠者はなぜこの一場面を『福島巡礼三十三句』の一句として切り取ったのだろう。福島を巡るナラティブとして、私が持っているものと、かれらが持っているものは異なる。しかし、「青」という点は一致する。私やかれらの見ている福島の実像は同じではなく、各々が各々のまなざしで福島を紐解いた結果、「青」にたどり着いた事実は何とも数奇である。
〈津波押し来しテトラポットや冬日なか〉
かつて津波が押し寄せたテトラポットが冬日に照らされている。こんな景色を私は幾度か見たことがある。高校生になってから、何度も「被災地」と名状される地を訪れてきた。海辺にも足を運んだ。日が差す時間帯の海はより一層美しいように思えて、許せなかった。空や海が美しいことに苛立った。自然が、2011年3月11日14時46分、未曽有の大災害を引き起こした。人や町は大きく変わった。変わることを「余儀なくされた」。しかし自然はどうだ。15年前から、それよりもずっと前から変わらずに美しいままだ。だから空も海も、すべて嫌いだ。「テトラポット」だって、震災以前と以後では変わってしまったと言える。かつて何でもない「テトラポット」だったというのに、「津波押し来しテトラポット」になった。この悲しい性質変化の対象とならない自然には、冬日も含まれる。変わった(変わることを余儀なくされた)モノが、変わらないモノに照らされるという対比は、美しく残酷である。
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