【第15回】能登と飴山實
広渡敬雄(「沖」「塔の会」)
能登は旧国名。能登半島のほぼ全域を含み、一時越中に属したこともあるが、江戸時代は加賀前田藩百万石の領地であった。日本海側の外浦、半島の東南の内浦に分れ、金沢の方から順に口能登、中能登、奥能登の三能登と言われる。半島は山が海岸に迫り(能登金剛他)、耕作地は乏しく、千枚田等棚田が多い。塩田と共に、能登人の粘り強く不屈な精神がそこに窺える。海女も含め漁業が盛んで、輪島塗や能登上布、また間垣(風垣)、波の花、輪島の朝市が知られる。越中の国司・歌人大伴家持が訪ねたり、高句麗、渤海の使節が日本海を渡って再三渡来した地でもある。
うつくしきあぎととあへり能登時雨 飴山 實
神々の椿こぼるる能登の海 前田 普羅
夜光虫乏しく燃えて能登荒磯 高野 素十
田を削り雪しろ海へまつしぐら 岸田 稚魚
塩田に百日筋目つけ通し 沢木 欣一
足袋あぶる能登の七尾の駅火鉢 細見 綾子
能登の海春田昃れば照りにけり 清崎 敏郎
ひぐらしや塗り重ねゆく輪島椀 大島 民郎
海鼠腸や能登にとと楽てふことば 棚山 波朗
暁闇の冷えを纏ひて神鵜翔つ(氣多大社)能村 研三
能登沖に波の背開き鰤起し 宮田 勝
〈うつくしき〉の句は、『少長集』に収録。自解に「能登への俳句仲間と吟行の半ばこまかな時雨にあい、『能登時雨』の言葉が浮かんだ。その帰りの駅のプラットホームで色の白い若い女性が荷を負って歩いて来た。その折の属目のような、幻視の様なつくりものの様な句。『能登時雨』という言葉が浮かばなかったら生まれない句だった」と述懐する。
「ひたすら『あぎと』に読み手の気持ちが収斂されゆく句。笠か傘で全貌は見えない。あぎと(あご)を述べることで夢幻的な美しい句となった。端正な詩塊の持ち主ゆえ、能登時雨という造語的座五も許される」(坂内文應)、「何とも言えぬ色香、品のある艶めかしさ。景も一幅の日本画を思わせるような美しさがある」(日下野由季)、「あぎとという一部分に一句の視点を集中することによる表現効果を生みだす反面、一句の句柄を小さくし、一句の微妙なバランスを危うくするというリスクを孕んでいる」(岸本尚毅)との鑑賞がある。
飴山實は昭和元(1926)年、石川県小松市生まれ。金沢の旧制四高時代に俳句を始める。戦後の同21年、沢木欣一、細見綾子の「風」の創刊に参加。同人に金子兜太、原子公平、安東次男等がいた。家業が醤油製造業であり、醸造学を学ぶべく、京都大学農学部農芸化学科に入学。在学中、橋本多佳子、右城暮石、加藤楸邨、西東三鬼、山本健吉等多くの俳人等と目見え、同23(1948)年、「楕円律」の創刊に参加した。その後、しばらく俳句から遠ざかるも同29年に再開。「風」賞受賞後、同三十四年、沢木欣一の「中村草田男の『長子』等の持つ青春のナイーブな開花が示される」との序文、金子兜太の「飴山という本質的な抒情詩人の今後を見守りたい」との跋文の第一句集『おりいぶ』を上梓した。
その後、芝不器男研究を通じて作風が変化し、「俳句」誌上で原子公平と戦後俳句について論争を行った。単純で淡白な句で俳壇の注目を集め、同54(1979)年の「俳句」誌上での川崎展宏、宇佐美魚目との鼎談では、昭和の新興俳句に否定的な見解を示し、俳句界の常識―俳句は進化する―という史観を否定した。
その後、『辛酉小雪』『次の花』等珠玉の句集を刊行した。平成5(1993)年から8年間朝日俳壇選者、門人に長谷川櫂がいる。同12(2000)年3月16日逝去。享年73歳。酢酸菌研究の権威で日本農芸化学会功績賞、中国文化賞を受賞している。
句集は他に『花神コレクション俳句 飴山實』『花浴び』『飴山實全句集』、評論に『芝不器男伝』『季語の散歩道』、編纂の書には『芝不器男』『麦車 芝不器男句集』がある。「動詞の使い方への神経の細やかな上質さと動きというものの微妙さ、面白さを大切にする。端正で視像鮮やかな点はたわむれに『昭和の蕪村』と呼んでみたい」(大岡信)「社会性俳句、前衛俳句への疑問が芝不器男研究を通じて単純に平明にしかも質感を大切にした作風となった」(秋篠光広)、「飴山俳句の歩みは、いわば、現代俳句から現代発句へという反時代的道筋である」(丸谷才一)、「戦後俳壇をリードした人々に、正面切って挑戦した、ただひとりでただ一句に没入する孤絶のわざの俳人である」(目崎徳衛)、「戦後俳句の俊英として、社会性俳句の影響を受けながらも志向した『思想として働きかける抒情』が次第に純粋俳句としての在り方を求めるに至った」(倉橋羊村)、「純正詩への志は、繊細で美しい詞芸の磨きと併せて、物のものらしさへの静謐な洞察を深めている」(友岡子郷)等々の鑑賞がある。
花吹雪寸鉄帯びず父となる
授乳後の胸拭きてをり麦青し
剛き詩が欲しや鉄器に冬の薔薇
基地で無数の春泥の畦ぶち切られ(伊丹基地)
小鳥死に枯野よく透く籠のこる
柚子風呂に妻をりて音小止みなし
花の芯すでに苺のかたちなす
枝打ちの枝が湧きては落ちてくる
手にのせて火だねのごとし一位の実
比良ばかり雪をのせたり初諸子
法隆寺白雨やみたる雫かな
あをあをとこの世の雨の箒草
裏白を剪り山中に音を足す
湯豆腐のかけらの影のあたゝかし
年酒して獅子身中の虫酔はす
この峡の水を醸して桃の花(愛媛県松野町・芝不器男生家)
法隆寺からの小溝か芹の花
昼の酒濁世の蛙聞きながら
大雨のあと浜木綿に次の花
骨だけの障子が川を流れだす
青竹に空ゆすらるゝ大暑かな
山ふたつむかうから熊の肉とどく
ひとの田の鳴子引きゆく山女釣
放生のきのふの亀があるきをり
あかんぼにはや踏青の靴履かす
残生やひと日は花を鋤きこんで
「日本語の『新しい』と言う言葉には、新奇と新鮮と言う二つの意味がある。大事なのは目新しい素材を求める新奇でなく新鮮の方だ」と長谷川櫂らとの最後の句会で述べた遺言ともいえる言葉が、いくつもの俳句遍歴を重ねて来た飴山の最終的な到達点であろう。しなやかな感受性と確固たる定型観から紡ぎ出される作品は読者の心に染み入り、懐かしい豊かさを与えてくれる。 その句風の存在感が年ごとに大きくなる俳人である。
(「青垣」45号加筆再編成)
【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。俳人協会会員。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。2017年7月より「俳壇」にて「日本の樹木」連載中。「沖」蒼芒集同人。「塔の会」幹事。
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