【連載】
趣味と写真と、ときどき俳句と【#17】
黒色の響き
青木亮人(愛媛大学准教授)
マティスの「赤いハーモニー」を観た時、画面に彩られた赤色以上に黒色の艶めかしさに驚いたことがある。つややかで、色気が漂い、肌の滑らかさやぬくもりを感じさせる色合いに、しばし見惚れたものだ。
「黒」の美しさでいえば、台北の故宮博物院で観た調度品も忘れられない。広大な博物院の各展示室の一角に清朝の書斎が復元された部屋があり、その室内の家具や調度品の洗練された美しさに息を呑んだのだ。
※公式サイトのページ→ https://theme.npm.edu.tw/exh109/QingPalace/
展示室には、清朝八代皇帝の道光帝―アヘン戦争時の皇帝で、多難な時期の王だった―の第六子の邸宅「恭親王府」で用いられた家具が配されており、いずれも紫檀で統一されている。机や椅子、屏風等々、いずれも往事の実物で、それらの気品と威厳に胸を打たれたのだ。
下は参観者による映像で(館内は撮影自由)、光が明るめのため紫色や茶色に近い色合いが出ているが、実際は黒色に近い雰囲気で、映像よりも落ち着いた、滑らかな黒色の気配が濃い。
大帝国の頂点に立つ皇族がひととき過ごす部屋はかくも色を鎮めた空間になるのか、と感嘆した。華やかさや煌びやかさではなく、黒色に近い紫檀に色彩の綾を封じこめ、鎮めるように威厳と気品を漂わせた家具や調度品の醸す美に呆然としたことを覚えている。
ところで、日本の黒色はいかなる色合いだったのだろう。王朝官女の黒髪の艶やかさ、小野道風の筆から滴る黒々とした墨、または千利休の黒茶碗……あるいは、黒色をまとった着物の情趣はいかなるものだったのか。泉鏡花の「日本橋」(1914)では、作品冒頭に黒孺子の掛け襟をまとった女性が描かれる。
盛の牡丹の妙齢(とし)ながら、島田髷の縺れに影が映す……肩揚を除ったばかりらしい、姿も大柄に見えるほど、荒い絣の、いささか身幅も広いのに、黒繻子の襟の掛った縞御召の一枚着、友染の前垂、同一(おんなじ)で青い帯。緋鹿子の背負上(しょいあげ)した、それしゃと見えるが仇気ない娘風俗(むすめふう)、つい近所か、日傘も翳さず、可愛い素足に台所穿を引掛けたのが、紅と浅黄で羽を彩る飴の鳥と、打切飴の紙袋を両の手に、お馴染の親仁の店。
(「日本橋」)
ある事情で世間から距離を置くことになった芸妓を見舞うため、年下の雛妓(おしゃく)が飴を購って店を出た場面だ。雛妓のお千世は縞御召に前垂姿で飴屋を訪れ、その縞御召の襟は黒孺子で彩られていた。
運命に翻弄されながら暮らす他ない庶民が身にまとった黒孺子の掛け襟は、いかなる黒色の光沢を見せていたのだろう。
そして19世紀の南仏でマティスがカンバスに塗っていた黒々とした色彩や、北京の恭親王府で過ごす皇族の眼に映った紫檀の黒色がかった気配はいかなる響きを奏でていたのだろう……とふと思う。
【次回は11月30日ごろ配信予定です】
【執筆者プロフィール】
青木亮人(あおき・まこと)
昭和49年、北海道生れ。近現代俳句研究、愛媛大学准教授。著書に『近代俳句の諸相』『さくっと近代俳句入門』など。
【「趣味と写真と、ときどき俳句と」バックナンバー】
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>>[#13-2] 松山藩主松平定行公と東野、高浜虚子や今井つる女が訪れた茶屋について(2)
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