【クラファン目標達成記念!】神保町に銀漢亭があったころリターンズ【16】/寺澤佐和子(「磁石」同人)


夢の時間

寺澤佐和子
(「磁石」同人)


 銀漢亭には、三度行った。

 俳人が集まるという居酒屋、銀漢亭。憧れていた場所である。

 初めての入店は今から四年ほど前のことだ。俳人協会の若手指導句会を卒業し、その卒業組の句会を立ち上げようという話し合いの場所として選ばれたのが銀漢亭だった。この日のことは、この会を企画した中村かりんさんの文章に詳しいが、仲間の一人に「銀漢」所属の白井飛露さんがいらして、予約などの一切を請け負ってくださったのだった。

 ところで、私は美味しいものが大好きである。というか、もはや美味しいものしか食べたくない。「若手」を卒業した年齢の私には、そろそろ節制が必要なのだ。不味いものでカロリーを摂取している場合ではない。この点で、銀漢亭はもう一万点であった。お料理とお酒のすべてが美味!

 ちょうど伊藤伊那男先生が句集「然々と」を上梓なさった年で、先生は若手の面々に俳句とサインを入れた句集をプレゼントしてくださった。その日に、セクト・ポクリット管理人の堀切克洋さんとも初めてお目にかかり、名刺をお渡しした記憶がある。とにかく楽しい夜であった。

 その後、銀漢亭で行われる「Oh!花見句会」にお誘い頂いた。さまざまな所属のベテラン俳人達が、小さな店内に大勢集う。「鮨詰め」というのはこんな状態を言うのだろうと思わされた。清記用紙に集まった俳句も、バラエティに富んでいる。私は終始緊張してオドオドし、句会の結果も振るわなかった。そこで、今度はそのリベンジをかけて、秋の「Oh!月見句会」に参加した。今度は仕事を早く切り上げて、俳句を練ってから神保町に向かった。その甲斐あって高点を頂き名誉挽回、賞品に先生自筆の俳句入り葉書を頂いたのは、今も良い思い出である。

 その次の年の花見句会も必ずや……!と思っていたのに、コロナ禍はそれを許さなかった。私はお預けを食らった忠犬のように、お利口さんにして次の銀漢亭句会をじっと待ちわびていたのだが、ついに花見句会が開かれることはないままに、銀漢亭閉店の報を耳にすることとなった。

 銀漢亭のお料理が一万点ならば、そこで過ごした時間のすべては一億点だった。美味しく楽しい夢のような俳句時間をくれた銀漢亭への感謝は尽きない。銀漢亭、ありがとう。

 賞品に頂いた葉書と伊那男先生の句集は、我が家のリビングの書棚にある。今もそこに、あの夢のような時間を閉じ込めたままで。


【執筆者プロフィール】
寺澤佐和子(てらさわ・さわこ)
平成13年「未来図」入会。平成20年「未来図」新人賞受賞、翌年同人。「未来図」終刊に伴い、後継結社「磁石」同人に。「磁石」編集委員。句集「卒業」。


【神保町に銀漢亭があったころリターンズ・バックナンバー】

【スピンオフ】田中泥炭「ホヤケン」【特別寄稿】
【15】上野犀行(「田」)「誰も知らない私のことも」
【14】野村茶鳥(屋根裏バル鱗kokera店主)「そこはとんでもなく煌びやかな社交場だった」
【13】久留島元(関西現代俳句協会青年部長)「麒麟さんと」
【12】飛鳥蘭(「銀漢」同人)「私と神保町ーそして銀漢亭」
【11】吉田林檎(「知音」同人)「銀漢亭なう!」
【10】辻本芙紗(「銀漢」同人)「短冊」
【9】小田島渚(「銀漢」「小熊座」同人)「いや重け吉事」
【8】金井硯児(「銀漢」同人)「心の中の書」
【7】中島凌雲(「銀漢」同人)「早仕舞い」
【6】宇志やまと(「銀漢」同人)「伊那男という名前」
【5】坂口晴子(「銀漢」同人)「大人の遊び・長崎から」
【4】津田卓(「銀漢」同人・「雛句会」幹事)「雛句会は永遠に」
【3】武田花果(「銀漢」「春耕」同人)「梶の葉句会のこと」
【2】戸矢一斗(「銀漢」同人)「「銀漢亭日録」のこと」
【1】高部務(作家)「酔いどれの受け皿だった銀漢亭」



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