道逸れてゆきしは恋の狐火か 大野崇文【季語=狐火(冬)】

道逸れてゆきしは恋の狐火

大野崇文

狐火とは、夜に山や野原で火が灯ったり消えたりする現象。いわゆる火の玉である。謎の炎は、狐が口から吐く火として捉えられ「狐火」と呼ばれるようになった。死体の骨から発する燐火とも言われている。東京の王子稲荷の狐火が有名で、歌川広重の『名所江戸百景』の絵で知られる。田園地帯に立つ一本の榎の木に毎年お大晦日の夜に狐たちが集まり、官位を求めて王子稲荷へ参殿したという伝承が残る。狐火は、暖かい日を数日経た寒い夜に出るとされ、冬の季語として定着した。

私の故郷である茨城県つくば市は、平成10年頃まで土葬の風習が残っており、狐火が信じられていた。「火の玉博士」と言われた大槻義彦氏がプラズマ説を唱えてもなお、人の魂がさ迷っているものとして恐れられた。村の長老の話によれば、雨の後や筑波颪が止んだ夜に出るという。地元の村は、それぞれの一族の畑の隅に墓を建て、守り神とした。墓場には、必ず目印となるような大樹がある。そんな村で育った私の目には、広重の狐火の絵は、先祖の魂の会合のようにも見えてしまう。

毎年、村の忘年会では、酔った男たちが狐火の目撃情報を語り合ったものだ。「誰それの墓から現れた狐火が枯田をさ迷っていた」とか「ほろ酔いで河原を歩いていたら、殺人事件のあった上流に向かって狐火が遡っていった」とか。これが、具体的な場所とともに怨恨話を盛って語られるため、本当に恐ろしい。ちなみに、狐火情報が最も多かった場所は、現在、研究学園都市で開発されたロボットの試歩ルートになっている。

以下は、私の従兄の狐火目撃談である。従兄のイサムは若い頃、暴走族のリーダーで、夕方になると自慢のバイクに乗り筑波山神社近くにある駐車場までかっ飛ばしていた。観光客が帰った後の真っ暗闇のくねくねとうねる細い坂道をスリルに酔いながら、仲間たちと運転技術を競い合う。筑波山は、かつて男女の集う歌垣の場所であったこともあり、若い暴走族たちにとってはナンパの名所でもあった。木枯が途切れたある夜、新顔の女の子に声を掛けたという。

駐車場の隅でぽつんと座っている女の子は、黒髪の色白で口紅だけが赤かった。「一人で来たの?」「友達のバイクの後ろに乗って来たんだけど、はぐれちゃった」。アヤと名乗るその女の子は、意外とノリが良く、仲間たちが歌いだした曲に手拍子したり、踊ったりして、あっという間に人気者になった。

月が中天に差しかかる頃、「ごめんなさい。友達がいなくなっちゃって帰れないの。家まで送ってくれない」と言ってきた。「ああ、いいよ。後ろに乗って」と気軽な気持ちと少々の下心もあって、威勢よくバイクをふかした。麓の町を抜けた後は、川沿いをひた走り、「寒くないかい」などと声を掛けつつ、指示された道を進んだ。背中に感じるアヤの柔らかく熱い胸の膨らみにぼんやりとした期待が高まってゆく。

田んぼを過ぎ、畑を過ぎ、枯野の合間を抜け、森の手前で「あ、ここ」と言われバイクを止めた。「ありがとう。この森の奥の家だから。ここでいいよ」「真っ暗だし、玄関まで送るよ」「あの、良かったらここで珈琲でも飲みながら少しお話しでもしない?」。アヤは、鞄からステンレス製の水筒を出した。「魔法瓶だからまだ温かいはずなんだけど」。森の入口の石に腰かけて、とぽとぽと珈琲を注いだ。月光に照らされて小さなコップは湯気を立てた。アヤは一口飲んだコップを渡しながら「間接キッスになっちゃうかしら」と言った。隣に腰かけると「寒いね」と身を寄せてくる。静寂に包まれた目の前の枯野から、突然ガサッと音がした。

「なんかいる!」「この辺りは、よく出るのよ」「な、何が?」「鼬とか狸とか」「そ、そうなんだ。はは」「幽霊も出るのよ」「まさか」。すると枯野にぽっと火が浮き上がった。「マジかよ」。火の玉は、ゆらゆらと枯野を移動し、二つの火に分かれた。「うふふ、今日みたいな日は出るのよね。狐火が」。腹の底から鳥肌が立った。

「やだ、信じたの?あの火はね、逢引の火なの。大地主の長男と神社の嫁さんが夜中に家を抜け出して、野原で逢っているの。村の人はみんな知ってるけど、狐火ってことにしてるの」「不倫ってこと?」「悲恋っていうのかな。二人は数年前に心中しちゃったから」。今度は、全身が凍りついた。

「うそうそ。私の作り話よ。でも野原での逢引は昔からよくあることでしょう」「こんな怖い話を聞いたら一人じゃ帰れないよ」「じゃあ、うちに泊まる?今日は、おばあちゃんしか居ないし、もう寝てるはずだから」。バイクを石の横に止め直して、アヤの後を追った。森の小径は暗く、幾度か木の根に躓いた。

しばらく歩くうちに、急に友人の話を思い出した。ナンパして送って行った女の子の家から老婆が出てきて「あの子はもう死んでるよ」と言われ、振り返ると女の子は消えていたとか。「どうしたの?」とアヤが立ち止まる。闇に浮かぶ顔は真っ白で唇だけがてらてらと光っていた。「ごめん、俺やっぱり帰る」「なんだ、つまんないの」「電話するよ。じゃ」。膝をがくがくと鳴らしながら必死で走った。眠る山が飛び起きるほどの爆音を立ててバイクを発進させた。月夜の枯野は明るく、少しだけ冷静になれた。「バカだな俺」と呟いた瞬間、今度は田んぼの辺りから火が浮かんだ。先ほどの火とは違い、バイクと同じ速さで移動している。その謎の火はうねりつつ、少し先を走っていた。「暴走族のリーダーが狐火に驚いて事故でも起こしたら、一生の笑い者だぜ」と震える手に力を込めて、ひたすら一本道を爆走した。狐火らしきものは、川の手前で小高い山の方へと逸れていった。

翌日、気になってアヤに電話をかけたが、使われていない番号だった。嘘の番号だったのか、書き間違えたのか。最初に見た狐火は、アヤの言う通り逢引の火だったのだろう。帰りに見た狐火は、遠くを走るバイクの灯が土手の枯芒や風のせいで火の玉に見えただけに違いない。そんなものに怖がって情けない。格好悪い自分を見せてしまったことへの汚名返上をかけて、再度、アヤの家へとバイクを走らせた。ところが、何度走ってもアヤの家にはたどり着かなかった。道を覚えるのは得意なはずなのに。川沿いから田んぼを抜け、畑の辺りまでは行けるのだが、どうしてもあの枯野と森の入口を見つけることはできなかった。そしてアヤもあれっきり暴走族の集会には現れなかった。仲間に聞いても「そんな子いたっけ?」と言う。やっぱり幽霊だったのかもしれない。

道逸れてゆきしは恋の狐火か  大野崇文

作者は、昭和26年、千葉県佐倉市生まれ。20歳の頃より俳句を始め、昭和53年、鷹羽狩行主宰の「狩」創刊より入会。平成3年に第一句集『桜炭』、平成20年に『酔夢譚・遊月抄』を出版。「狩」終刊後は片山由美子主宰の「香雨」創刊同人となる。カルチャーセンターの講師をしつつ後進の育成に努めている。代表句に〈父の忌の夜更けて香り桜炭 崇文〉〈ひそやかにそしてたしかに霜の声 崇文〉〈吊されてより鮟鱇の面がまへ 崇文〉がある。丁寧な描写に定評のある作家だが、ときに抒情性の高い俳句を詠む。〈うつし世の色を尽くしてしやぼん玉 崇文〉〈逢引の羽子板市へ廻りけり 崇文〉〈道行のごとくにすすむ螢舟 崇文〉。

掲句は、〈恋の狐火〉という表現が目を惹く。野に現れた不可思議な火は、恋の火のようでもある。それは、狐の恋とも人の恋ともとれる。真っ直ぐには進まず、道を逸れてゆくところがリアルだ。実際に謎の火を目撃したのかもしれない。と同時に人の道から外れるような恋も思わせる。道のないはずの場所へ進む火は、ひと目を忍ぶ逢引の火で、山中や野原に身を隠そうとしているのだ。

従兄のイサムは高校卒業後、塗装会社に就職し、社長の娘と結婚した。三人の子供に恵まれ、三十代半ばで義父の会社を継ぎ二代目社長となった。ある年の会社の忘年会の時である。イサムは、大いに酔ったすえに社員たちと市街地の外れにあるスナックになだれ込んだという。

その日は、臨時のバイトだという女性がいて、アヤと名乗った。黒髪で目が細くふっくらとした頬に懐かしさを感じた。男性社員が「うちの社長は昔、暴走族のリーダーだったんだぜ。今はオッサンだけど若い頃はチェッカーズのフミヤに似てたらしいぜ」と言うと、アヤと名乗る女性が水割りを作りながら「あら、パープルラインをかっ飛ばしてたのかしら」と言った。「あのルートは危険だから、一度で懲りた」「事故死も多かったのよね」。誰かがカラオケを歌い出し、いつしか酔いつぶれて眠っていた。

 「ちょっと起きてよ。みんな帰っちゃたから送ってくわ。家どこなの」とアヤに起こされた。「カミさんに迎えに来て貰うからいいよ」「もう寝てるに決まってるでしょ。いいから車に乗って」。次に気が付くと、真っ暗闇の道を走っていた。「ここどこ?」「社長さんの家が分からないから、とりあえず私の家に連れて行こうかと思って」「それは困る」。車は枯野を過ぎて森の入口で止まった。「あれ?ここ知ってる」「田舎の道なんてどこも同じよ」「ここ、君の家の前なの?」「違うわよ。Uターンするのよ」。車はバックして森の入口の石の横の小径に尻を入れた。ウインカーをカチカチさせながらアヤが「ねえ、この辺りで少し休憩しない?目の前の野原の中にはね、納屋があるの。そこでさ」と囁いた。「納屋?」「昔は畑だったのよ。夫が留守とはいえ、私の家はまずいでしょ」「納屋なんか行かないよ。早く川沿いの道に戻れよ」「つまんないの」。車は、枯野を抜けて田んぼの道に入った。言われてみればどこにでもある景色だ。「ねえ、右側に小さな山があるでしょ。そこに神社があるの。行ってみない」「神社?」「普段は誰もいない森の奥の神社で、逢引するには丁度いいのよ」「やだよ。早く帰ろうぜ」。

目が覚めると家の蒲団に寝ていた。厨では妻が野菜を刻みながら「昨夜は大変だったのよ」と言った。「ごめん。でも納屋にも神社にも行かなかったから」「は?何の話。とにかく、会社の男の子があんたを担いできて、蒲団まで運んで貰ったんだから。ちゃんとお礼を言いなさいね」。夕方近くになって、スナックに電話をかけた。「社長さん、無事で良かった。送って行った会社の男の子も帰れたのかしら」と電話口にママの声が響く。「昨日、アヤっていう女の子いたよね」「ああ、社長さんがえらく気に入ってた子ね。あの子は店の客の知り合いで、その日だけのバイトだから連絡先は知らないわよ。社長さんが酔いつぶれた頃にあがって貰ったわ。そうそう、社長さんはずっとアヤちゃんに『一緒に狐火を見たよね』とか言って、もう本当に可笑しかったんだから」。

数日後、お詫びがてらスナックに行った。狐火と夢の話をすると、「まあ、夢の中でアヤちゃんと納屋とか神社でいやらしいことをしようとしたの?」とママが笑った。「だからしてないよ」「ああ、でもアヤちゃんの出身地だという村は確かに、昔、心中事件があったのよね」「えー?!」「有名な話よ。だから、事件のあった畑は地主が手離したものの、買い手がつかず野原になったらしいわよ」。

従兄の話がどこまで本当かは分からない。田舎にはよくある狐に化かされた話でもあり、ほら話なのかもしれない。枯野や山中で逢引をしようとする灯を狐火ということにしようとした村人の心遣いから生まれた話のようにも、女に惑わされてはいけないという話のようにも思える。筑波山の裾には土葬の墓があって、年末の頃には狐火が灯る。それが、昭和の末期には、暴走族のバイクの灯だという説と、九十九折で事故死した若い男女の魂がさ迷っている鬼火だとも言われるようになる。さまざまな思い込みが、従兄の体験談に繋がったのだろうか。バイクも車もそして人も道を外れてはいけない。逢引の火が狐火にならないよう、道から外れた野原や山中に迷い込まない方が賢明である。

篠崎央子


篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


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