草いろいろおのおの花の手柄かな 松尾芭蕉【季語=草の花(秋)】


草いろいろおのおの花の手柄かな

松尾芭蕉

 スポーツの秋がやってきた。と屈託なく口にすることができて嬉しい。学生時代の体育やら運動会は苦行だったけれど、私の足が遅くてもソフトボールが5メートルしか飛ばなくても、もう誰にも迷惑をかけないと思うと、空がほんとに青いのだ。わが愛知県で開催中(この原稿が掲載されるのは閉会後か)のアジア大会のチケットを買ってみたりする。初めて観戦したスカッシュは、最高にエキサイティングだった。

 ちなみに、10歳息子の運動会はとうに5月に済んでいて、近頃は全国的にも初夏開催と秋開催が拮抗している模様。句を詠むときに、すこし不便だなと思っている。半日に短縮された運動会は、徒競走がなくなった。レジャーシートを広げて食べるお弁当がなくなった。ペース配分をせずに水筒のお茶を飲み干して、友達に分けてもらう調子の良い男子も、きっともういないだろう。一抹の淋しさと引換に、観覧する保護者としては随分お手軽になった。子供たちは、みんな楽しそうにしている。

 さて掲句は、俳聖芭蕉の句の中でもとりわけチャーミングな一句だと思う。季語「草の花」をバラして上五中七の両端に配し、「いろいろおのおの」をサンドイッチした構造は、さながら合わせ鏡である。合わせ鏡の中に果てしない秋の野が広がり、ひらがなを風が揺すっていく。「おのおの花の」のn音の連続は、舌先弾む楽しさだ。

 一番驚いたのは「手柄」という語彙の選択かもしれない。どの草花もみな素晴らしく咲いているとの賞賛は、下手に詠んだら響かない。でも、「手柄かな」の圧倒的な承認、何なら褒美まで取らせてしまう勢いには、思わず笑みがこぼれてしまう。ひねくれ者の心もコロッとほだされてしまう。芭蕉の時代の正確なニュアンスは量りかねるけれど、少なくとも私は、この武士っぽく大仰な下五を「信じられる」と思った。

 更科紀行への出立にあたり、芭蕉が美濃の門人たちへ贈った句であるという。名もなき草の花が自分たちのことであると、彼らは即座に気づいただろう。どんなに感激しただろう。そして、そのあたたかなエピソードを離れてもなお、この句には口ずさむ喜びがある。

 ふと思い立って、息子をチョイチョイ手招きする。この句読めますか。難しい漢字も旧かなもないから、初見でちゃんと読めた! 意味わかりますか。「草いろいろたくさん花を摘んでお手柄でした」、あー・・・。でもまぁ、それでいいよ。この句、覚えておくといいよ。人生は長いから。

2か月間、毎週火曜によろしくお願いします(╹◡╹)

(荻野ゆ佑子)


【執筆者プロフィール】
荻野ゆ佑子(おぎの・ゆうこ)
1977年生まれ。1997年「藍生」入会を経て、2020年「銀漢」入会。「ソウル俳句会」帰国会員。句集『みお』(2026年、ふらんす堂)。


◆自選十二句
この良夜どちらがどちら見送るか
鶏一羽炊いてソウルの雪深し
ちちははといもうとのゆめ遅櫻
十畳の荒野ありけり寝冷の子
蟻といふけなげなものを振り払ふ
香り立つ文鎮として青蜜柑
どんぐりを拾ひをりしが謎拾ふ
袴にもまつはる紐や七五三
絨毯の鳳凰の目を踏まぬやう
薄氷はみづの瘡蓋かもしれぬ
白梅を褒めむ淋しき吾子褒めむ
雛段の雪崩るるごとし飛騨泊


関連記事