風なくて散り風来れば花吹雪
柴田多鶴子
3月下旬の某日は出社の日だった。その日はさっさと仕事を終らせて近くの公園で一人花見吟行をするつもりだった。しかし、資料の数字が全く合わなくて想定の時間を2時間オーバー。帰宅時間の限界だった。その資料、最初は100万円超の差があったが、原因を処理してもまだ3000円合わない。そんなことの連続だった。
最終的には解決したが、本当に算数関係が苦手なことを実感。地図も読めない。ここが解決したらロスタイムはかなり減るはずなのに。ちなみに本件は算数の問題ではないのだけど、数字がからむとどうしても「算数苦手」スイッチが入って、たいした作業でなくても逃げたい気持ちが発動する。
こんなに算数の弱い私でも苦労することがないような仕組みをAIに作ってもらいたい!そしてもっと桜が見たい!
ということで今日も家から駅までの道のりと電車の窓からの桜を、眼力こめて見つめているのである。
風なくて散り風来れば花吹雪
桜は咲くそばから散っていく。満開は心が満たされるが同時に欠けていく時間でもあり、それこそ風がなくてもはらはらと散る。天候の情報は風しか記されていないが晴れ渡った日として鑑賞したい。風なく散った桜は日の光を反射して眩しい。そこに風が吹き、桜の枝に潜んでいた花びらが一斉に花吹雪となると、まぶしさは桜色を帯びたものになる。
花の季節を味わいつくす桜づくしのような一句である。
桜が満開の時には吟行したくなるのが俳人というものだが、いざ行くと眩しすぎて蝌蚪を見つけて喜んだり足元の菫を詠んだりしてしまいがちだ。桜は詠み尽くされているという思い込みからつい遠ざけてしまうが、雪月花はためらうことなくしかも真正面から句にしていきたいものだ。
掲句は真正面から取り組んだ正統派の詠みぶり。こういう句に出会うと、きちんと観察していればまだまだ発見があり、出会いがあるということを改めて確信してしまうのである。1時間ほど観察したかもしれないし、日々観察し続けて発見したことかもしれないし、偶然の出会いかもしれない。いずれにしても観察の眼を開いていなければこのような当たり前の現象に詩を見いだすことは難しい。
この記事がアップされる頃はまだ東京は桜が満開のはずである。花の中心が緑色ならまだまだ楽しめて、赤色なら終りに近いと聞いた。桜蘂降る手前の色ということか。さすがにそうした色がわかるくらいの距離で今週こそは花を見たいものだ。
『桐箱』(2024年刊)所収。
(吉田林檎)
【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)。
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