春眠の身の閂を皆外し
上野泰
週末に行ける限りの桜をめぐった。桜越しの富士山を鑑賞するつもりで新倉山浅間公園を訪れたが、標高が高かったためか一部咲き。すぐに折り返した。まあ、咲いていたら駐車場が見つからなくて右往左往しただろう。道すがら偶然通ったしだれ桜も美しかったが、結局家の近所の桜が一番素晴しかった。
出社日は会社の近くの公園で夜桜。それでも納得のいく花見タイムがとれなかったので、有給休暇をとって一日かけて花見をした。6:00に活動開始し、2時間の休憩をはさんで18:00まで。大きな公園を3箇所と桜並木の川沿い2㎞の往復。歩数にして21509歩。
これで納得はいったものの、良い句が出来たかどうかは別問題である。もっとハードな吟行を皆さんはしているのだろうなあ…そして名句をたくさん作り出しているのだろうなあ…などということは気にせず、桜には納得がいくまで自分のペースで取り組んでおきたい。
春眠の身の閂を皆外し
明日あたり私はこんな状態になっているはずである。
春の眠たさは尋常ではない。自分は溶けてしまったのではないかと思うくらい眠りにはまることも珍しくない。その眠たさを身の閂を皆外してしまったようだというのだ。
閂は門の扉をさしかためるための横木。身の閂を見たことがある人はいないのだが、そもそも閂はないのだが、誰もがわかる感覚である。起きている間、緊張感のある間は閂でしっかり閉ざしていた何かが外れたことによって起き上がることを不可能にする。骨抜きといったところか。極限の眠気を明確な比喩がしっかり語っている。
「皆外し」という言いさしの表現もイメージの明確化に一役買っている。「皆外す」と終止形にしてしまうと「今外しました。これから眠ります」というシャキッとしたニュアンスになり、前夜から連続している眠さは感じられない。「皆外し…」には続きがありそうで、眠気のために言いさしのままになってしまった感じが出ている。個人的には下五を連用形で終らせるのが苦手なのでこの句をお手本としたい。
机に向かって座っている時の眠たさと布団に横になっている時の眠たさとは全く違う。布団の中では眠気を感じつつ少し意識が覚醒していることもある。一方、机に向かっている時の眠たさは、ふと我に返ると時間が飛んでいる感覚なのである。危ない。しかし運転はまだ不慣れなので眠くなることは全くない。緊張が止まらず、身の閂が外れることはまずないので同乗の方はご安心を。
さて、明日は春眠の句に取り組みますか。
『佐介』(1950年刊)所収。
(吉田林檎)
【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)。
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