ヰルスとはお前か俺か怖や春
高橋睦郎
前回、死を身近に意識するからこそ、僕が所属する「南風」が標榜するところの「生きる証としての俳句」が実現できるのだと思うと述べた。
蓋し、COVID-19がもたらした疫禍は、死を身近に意識するのに十分すぎた。急速に拡大した感染症によって、自分がいつ罹患して死ぬことになってもおかしくない状況が生まれた。つい先日まで元気だった有名人が死んだというニュースは、自分や身近な人がそうなってもおかしくないという緊張を与えた。
以来、毎年、4月がやってくると掲句を思い出す。全国に対する緊急事態宣言が初めて発出されたのが、2020年4月。掲句の初出は、『俳句αあるふぁ』(毎日新聞出版)の2020年夏号である。すなわち、この句は、全国が緊急事態宣言下となってすぐ詠まれたのである。
そもそも、COVID-19の世界的流行を承けて、この日本で緊急事態宣言が発出されたり、活動が制限されたりしたのは何故だったろう。誤解を恐れずに述べれば、結局は「みんな死にたくなかったから」ではないか。疫禍の中でも、家族や友人に会いたかった人もいる。しかしながら、それすら我慢しなければならなかったのは、COVID-19に罹患すれば死ぬリスクがあったからに他ならない。意地悪な言い方をすれば、罹患しても現代医療の力で治ることが保証されている感染症であれば、そうはならないであろう。
閑話休題、僕が掲句を取り上げるのは初めてではない。かつて、『俳句界』2024年1月号(文學の森)の特集「俳句で時代を記録せよ」に「令和の記録」となる俳句について寄稿した時に取り上げた。当時は、以下の短評を添えた。
視えない「ヰルス」への恐怖が、他者や己への恐怖に転換する。同時に、人間を駆逐するが如き「ヰルス」に、人間こそ世界にとっての「ヰルス」なのではないかとの念慮が含まれる。
畢竟、では「怖や春」とは何に恐怖しているのかと言えば、死ぬことに対して恐怖しているのだということになると思う。自分がウイルスに感染していればそのまま死ぬかもしれない、相手がウイルスに感染していれば、自分にも移って死ぬかもしれない、そもそも、ウイルスの流行が、人間を駆逐しようとする世界の条理なのであれば、自分も相手も死ぬかもしれない、みんな死ぬかもしれない。少なくとも2020年の当時は、そう思われていても自然であったと思う。
命に嫌われている
結局いつかは死んでいく
君だって僕だっていつかは枯れ葉のように朽ちてく
それでも僕らは必死に生きて
命を必死に抱えて生きて
殺してあがいて笑って抱えて
生きて 生きて 生きて 生きて 生きろ
前回引用したカンザキイオリの楽曲『命に嫌われている。』の一節の続きである。疫禍によって、死は身近なものになった。でも、それよりずっと前から、みないつか死んでいくことは分かっていたのではないか。今になってなぜ、僕たちは生に縋り、生きようとし、他者の生を鼓舞するのだろう。
(若林哲哉)
【執筆者プロフィール】
若林哲哉(わかばやし・てつや)
1998年生まれ、「南風」同人(編集部)。第14回北斗賞受賞。第一句集『漱口』、鋭意制作中。
【2025年4月のハイクノミカタ】
〔4月1日〕竹秋の恐竜柄のシャツの母 彌榮浩樹
〔4月2日〕知り合うて別れてゆける春の山 藤原暢子
〔4月3日〕ものの芽や年譜に死後のこと少し 津川絵理子
〔4月4日〕今日何も彼もなにもかも春らしく 稲畑汀子
〔4月5日〕風なくて散り風来れば花吹雪 柴田多鶴子
〔4月6日〕木枯らしや飯を許され沁みている 平田修
〔4月8日〕本当にこの雨の中を行かなくてはだめか パスカ
〔4月9日〕初蝶や働かぬ日と働く日々 西川火尖
【2025年3月のハイクノミカタ】
〔3月1日〕木の芽時楽譜にブレス記号足し 市村栄理
〔3月2日〕どん底の芒の日常寝るだけでいる 平田修
〔3月3日〕走る走る修二会わが恋ふ御僧も 大石悦子
〔3月4日〕あはゆきやほほゑめばすぐ野の兎 冬野虹
〔3月5日〕望まれて生まれて朧夜にひとり 横山航路
〔3月6日〕万の春瞬きもせず土偶 マブソン青眼
〔3月8日〕下萌にねぢ伏せられてゐる子かな 星野立子
〔3月9日〕木枯らしの葉の四十八となりぎりぎりでいる 平田修
〔3月10日〕逢ふたびのミモザの花の遠げむり 後藤比奈夫
〔3月11日〕落花無残にみやこは遠き花嵐 秦夕美/藤原月彦
〔3月12日〕春嵐たてがみとなる筑波山 木村小夜子
〔3月14日〕のどかにも風力7の岬です 藤田哲史
〔3月15日〕囀に割り込む鳩の声さびし 大木あまり
〔3月17日〕腸にけじめの木枯らし喰らうなり 平田修
〔3月18日〕春深く剖かるるさえアラベスク 九堂夜想
〔3月19日〕寄り合つて散らばり合つて春の雲 黛執
〔3月20日〕Arab and Jew /walk past each other:/blind alleyway Rick Black
〔3月22日〕山彦の落してゆきし椿かな 石田郷子
〔3月23日〕ひまわりの種喰べ晴れるは冗談冗談 平田修
〔3月24日〕野遊のしばらく黙りゐる二人 涼野海音
〔3月25日〕蚕のねむりいまうつしよで呼ぶ名前 大西菜生
〔3月26日〕宙吊りの東京の空春の暮 AI一茶くん
〔3月27日〕さよなら/私は/十貫目に痩せて/さよなら 高柳重信
〔3月31日〕別々に拾ふタクシー花の雨 岡田史乃
【2025年2月のハイクノミカタ】
〔2月1日〕山眠る海の記憶の石を抱き 吉田祥子
〔2月2日〕歯にひばり寺町あたりぐるぐるする 平田修
〔2月3日〕約束はいつも待つ側春隣 浅川芳直
〔2月4日〕冬日くれぬ思ひ起こせや岩に牡蛎 萩原朔太郎
〔2月5日〕シリウスを心臓として生まれけり 瀬戸優理子
〔2月6日〕少し動く/春の甍の/動きかな 大岡頌司
〔2月7日〕無人踏切無人が渡り春浅し 和田悟朗
〔2月8日〕立春の佛の耳に見とれたる 伊藤通明
〔2月9日〕はつ夏の風なりいっしょに橋を渡るなり 平田修
〔2月11日〕追羽子の空の晴れたり曇つたり 長谷川櫂
〔2月12日〕体内にきみが血流る正坐に耐ふ 鈴木しづ子
〔2月13日〕出雲からくる子午線が春の猫 大岡頌司
〔2月14日〕白驟雨桃消えしより核は冴ゆ 赤尾兜子
〔2月15日〕厄介や紅梅の咲き満ちたるは 永田耕衣
〔2月16日〕百合の香へすうと刺さってしまいけり 平田修
〔2月18日〕古本の化けて今川焼愛し 清水崑
〔2月19日〕知恵の輪を解けば二月のすぐ尽きる 村上海斗
〔2月20日〕銀行へまれに来て声出さず済む 林田紀音夫
〔2月21日〕春闌けてピアノの前に椅子がない 澤好摩
〔2月22日〕恋猫の逃げ込む閻魔堂の下 柏原眠雨
〔2月23日〕私ごと抜けば大空の秋近い 平田修
〔2月24日〕薄氷に書いた名を消し書く純愛 高澤晶子
〔2月25日〕時雨てよ足元が歪むほどに 夏目雅子
〔2月27日〕お山のぼりくだり何かおとしたやうな 種田山頭火
〔2月28日〕津や浦や原子爐古び春古ぶ 高橋睦郎