萬緑や死は一弾を以て足る
上田五千石
三年くらい前の冬のこと。夕方から出掛ける用事があって、自宅最寄り駅で電車を待っていた。イヤホンで音楽を聴きながら、傾きはじめた夕日をなんとなく眺めていた。イヤホンの外側から、間もなく電車が来るというアナウンスを微かに聞き留め、程なくして電車は到着したが、僕が待っていた乗車位置よりも手前で停車している。しばらくして違和感を覚え、イヤホンを片耳だけ外してみると、同じく電車を待っていた人たちが騒然としている。左を見れば、両手で顔を覆い隠している人。右を見れば、呆然と線路を眺めている人。何となく悪寒がして、僕も線路に視線を落すと、人体の破片らしきものが散らばっているのが分かった。枕木の間の枯草に血が掛かって、赤く染まっているのも見えた。「人身事故のため、緊急停車をしております。お急ぎのところ列車が遅れまして、大変申し訳ございません」という放送が流れ始める頃には、救急車のサイレンが近づいてきて、駅員と思われる人がその「破片」を拾い歩いていた。
「萬緑」という季語は〈萬緑の中や吾子の歯生え初むる/中村草田男〉に代表されるように、満ち満ちた生命力をことほぐニュアンスがある。翻って掲句は、その「萬緑」と「死は一弾を以て足る」という普遍的な事実を対比的に取り合わせている。生き物を死に至らしめる時、そのきっかけは「一弾」で十分なのである。「一弾」とは、文字通り銃弾かもしれない。実際、五千石は戦争の時代を生きた俳人であるし、現代でも戦争や虐殺は世界のどこかで行われている。さらに言えば、死へのトリガーは身の周りに溢れている。他者から理不尽に生命を奪われるという形であっても、自然の摂理によって生命を終える形であっても、自分の意思で自らの生命を絶つ形であっても、死とは重大で、あっけない現実なのだ。冷静な把握の奥に、怒りや、抵抗や、恐怖や、諦念の全てが詰まっている。
俳句において「死」は、忌避されがちなテーマである。五千石自身、「死」という一字を詠み込むのは嫌っていたという。それでも僕が「死」というテーマから目を離せないのは、やはり、それが身近な現実だと思われてならないからである。自分はともかく他人の死にどこまで踏み込んでよいかという問題はある。ジャーナリスティックに面白半分で書いてはいけないとも思う。しかし、死を書き留めるという営為そのものは、それ以前の生が存在したことを肯定することにもなるのではないだろうか。
以前にも引用したまふまふさんの楽曲『最終宣告』から。
どうしたって患った 刈り取られる運命
不平等な間隔がさも均等にあった
今日だって雑踏が 我先にと各駅の電車に
飛び込んでいく
(若林哲哉)
【執筆者プロフィール】
若林哲哉(わかばやし・てつや)
1998年生まれ、「南風」同人(編集部)。第14回北斗賞受賞。第一句集『漱口』、鋭意制作中。
【2025年4月のハイクノミカタ】
〔4月1日〕竹秋の恐竜柄のシャツの母 彌榮浩樹
〔4月2日〕知り合うて別れてゆける春の山 藤原暢子
〔4月3日〕ものの芽や年譜に死後のこと少し 津川絵理子
〔4月4日〕今日何も彼もなにもかも春らしく 稲畑汀子
〔4月5日〕風なくて散り風来れば花吹雪 柴田多鶴子
〔4月6日〕木枯らしや飯を許され沁みている 平田修
〔4月8日〕本当にこの雨の中を行かなくてはだめか パスカ
〔4月9日〕初蝶や働かぬ日と働く日々 西川火尖
〔4月10日〕ヰルスとはお前か俺か怖や春 高橋睦郎
〔4月11日〕自転車がひいてよぎりし春日影 波多野爽波
〔4月12日〕春眠の身の閂を皆外し 上野泰
〔4月15日〕歳時記は要らない目も手も無しで書け 御中虫
〔4月16日〕花仰ぐまた別の町別の朝 坂本宮尾
〔4月17日〕殺さないでください夜どほし桜ちる 中村安伸
〔4月18日〕朝寝して居り電話又鳴つてをり 星野立子
〔4月19日〕蝌蚪一つ落花を押して泳ぐあり 野村泊月
〔4月20日〕人體は穴だ穴だと種を蒔くよ 大石雄介
〔4月22日〕早蕨の袖から袖へ噂めぐり 楠本奇蹄
〔4月23日〕夜間航海たちまち飽きて春の星 青木ともじ
〔4月24日〕次の世は雑木山にて芽吹きたし 池田澄子
〔4月25日〕ゆく春や心に秘めて育つもの 松尾いはほ
〔4月26日〕山鳩の低音開く朝霞 高橋透水
〔4月27日〕ぼく駄馬だけど一応春へ快走中 平田修
〔4月28日〕寄り添うて眠るでもなき胡蝶かな 太祇
〔4月29日〕造形を馬二匹駆け微風あり 超文学宣言
〔4月30日〕春の夢遠くの人に会ひに行く 西山ゆりこ
【2025年3月のハイクノミカタ】
〔3月1日〕木の芽時楽譜にブレス記号足し 市村栄理
〔3月2日〕どん底の芒の日常寝るだけでいる 平田修
〔3月3日〕走る走る修二会わが恋ふ御僧も 大石悦子
〔3月4日〕あはゆきやほほゑめばすぐ野の兎 冬野虹
〔3月5日〕望まれて生まれて朧夜にひとり 横山航路
〔3月6日〕万の春瞬きもせず土偶 マブソン青眼
〔3月8日〕下萌にねぢ伏せられてゐる子かな 星野立子
〔3月9日〕木枯らしの葉の四十八となりぎりぎりでいる 平田修
〔3月10日〕逢ふたびのミモザの花の遠げむり 後藤比奈夫
〔3月11日〕落花無残にみやこは遠き花嵐 秦夕美/藤原月彦
〔3月12日〕春嵐たてがみとなる筑波山 木村小夜子
〔3月14日〕のどかにも風力7の岬です 藤田哲史
〔3月15日〕囀に割り込む鳩の声さびし 大木あまり
〔3月17日〕腸にけじめの木枯らし喰らうなり 平田修
〔3月18日〕春深く剖かるるさえアラベスク 九堂夜想
〔3月19日〕寄り合つて散らばり合つて春の雲 黛執
〔3月20日〕Arab and Jew /walk past each other:/blind alleyway Rick Black
〔3月22日〕山彦の落してゆきし椿かな 石田郷子
〔3月23日〕ひまわりの種喰べ晴れるは冗談冗談 平田修
〔3月24日〕野遊のしばらく黙りゐる二人 涼野海音
〔3月25日〕蚕のねむりいまうつしよで呼ぶ名前 大西菜生
〔3月26日〕宙吊りの東京の空春の暮 AI一茶くん
〔3月27日〕さよなら/私は/十貫目に痩せて/さよなら 高柳重信
〔3月31日〕別々に拾ふタクシー花の雨 岡田史乃
【2025年2月のハイクノミカタ】
〔2月1日〕山眠る海の記憶の石を抱き 吉田祥子
〔2月2日〕歯にひばり寺町あたりぐるぐるする 平田修
〔2月3日〕約束はいつも待つ側春隣 浅川芳直
〔2月4日〕冬日くれぬ思ひ起こせや岩に牡蛎 萩原朔太郎
〔2月5日〕シリウスを心臓として生まれけり 瀬戸優理子
〔2月6日〕少し動く/春の甍の/動きかな 大岡頌司
〔2月7日〕無人踏切無人が渡り春浅し 和田悟朗
〔2月8日〕立春の佛の耳に見とれたる 伊藤通明
〔2月9日〕はつ夏の風なりいっしょに橋を渡るなり 平田修
〔2月11日〕追羽子の空の晴れたり曇つたり 長谷川櫂
〔2月12日〕体内にきみが血流る正坐に耐ふ 鈴木しづ子
〔2月13日〕出雲からくる子午線が春の猫 大岡頌司
〔2月14日〕白驟雨桃消えしより核は冴ゆ 赤尾兜子
〔2月15日〕厄介や紅梅の咲き満ちたるは 永田耕衣
〔2月16日〕百合の香へすうと刺さってしまいけり 平田修
〔2月18日〕古本の化けて今川焼愛し 清水崑
〔2月19日〕知恵の輪を解けば二月のすぐ尽きる 村上海斗
〔2月20日〕銀行へまれに来て声出さず済む 林田紀音夫
〔2月21日〕春闌けてピアノの前に椅子がない 澤好摩
〔2月22日〕恋猫の逃げ込む閻魔堂の下 柏原眠雨
〔2月23日〕私ごと抜けば大空の秋近い 平田修
〔2月24日〕薄氷に書いた名を消し書く純愛 高澤晶子
〔2月25日〕時雨てよ足元が歪むほどに 夏目雅子
〔2月27日〕お山のぼりくだり何かおとしたやうな 種田山頭火
〔2月28日〕津や浦や原子爐古び春古ぶ 高橋睦郎