【連載】
新しい短歌をさがして
【17】
服部崇
(「心の花」同人)
毎月第1日曜日は、歌人・服部崇さんによる「新しい短歌をさがして」。アメリカ、フランス、京都そして台湾へと動きつづける崇さん。日本国内だけではなく、既存の形式にとらわれない世界各地の短歌に思いを馳せてゆく時評/エッセイです。
下村海南の見た台湾の風景
谷岡亜紀『歌人の肖像』(ながらみ書房、2023)は、佐佐木信綱、斎藤茂吉、吉井勇、釈迢空、山崎方代から、塚本邦雄、岡井隆、そして、佐佐木幸綱、築地正子、石川不二子、伊藤一彦らを取り上げている。「モンタージュ」、「劇性」といった谷岡亜紀が培ってきた分析のためのツールが効果的に使われている。同書では、上記以外にも多くの歌人が取り上げられているが、そのなかに下村海南が取り上げられていることに注目した。同書に基づき、下村海南の略歴を要約する。
下村海南は、明治8(1875)年3月12日、和歌山県和歌山市生まれ、本名・宏。明治31年東京帝国大学卒、のちに官界に入って逓信省で活躍。大正4(1915)年、赤石元二郎台湾総督に招かれて台湾総督府民政長官に就任。同年、台湾に渡る直前に竹柏会「心の花」に入会し佐佐木信綱に師事。大正8年には台湾総督府総務長官に就任。大正10(1921)年、大阪朝日新聞に取締役として入社。同年12月、下村宏の名前で第一歌集『芭蕉の葉陰』刊。昭和4(1929)年、下村海南の名前で第二歌集『天地』刊。昭和5(1930)年、朝日新聞副社長に就任。昭和9(1934)年、第三歌集『白雲集』刊。昭和12(1937)年、貴族院議員に勅選される。昭和17年、歌集『一期一会』刊。昭和20(1945)年4月、鈴木貫太郎内閣に入閣。戦争終結後、戦犯容疑で一時拘留。昭和20年11月、歌集『蘇鐵』刊。昭和32(1957)年12月9日没(82歳)。没後の昭和34年、歌集『歌暦』刊。
興味を引かれて、インターネットを通じ、下村宏『芭蕉の葉陰』(聚英閣、1921)を古書店より購入した。「心の華叢書」の一冊として刊行された同書には佐佐木信綱の言葉が載っている(1~2頁)。
新高山が我が國の南の鎭めの山となつてから、かなりの歳月を經た。しかし相思樹が繁り水牛が遊んでをる南國の風物が、歌人の歌に入つたことは極めて尠い。然るに下村君が、臺灣の民政長官として多忙な生活の中から歌ひ出られた歌のうちには、新しい特色のある作が少くないので、一卷にせられることをすすめたのであつた。
以下では、日本統治下の台湾各地で下村海南が詠んだ歌を引く。
1.新高山
新高山(にいたかやま)は台湾の最高峰、現在、玉山と呼ばれている山。海抜3,952メートル。のちに暗号「新高山登(ニイタカヤマノボ)レ 一二〇八(ヒトフタマルハチ)」に使われた新高山である。
新高の山に雲なし秋の日はゆたにたゆたに大御典ほぐ(臺灣に赴任して)
とほとほし新高山の雪の上に朝日かゞやき年立ちにけり(遠山雪)
2.圓山
圓山(えんざん、まるやま)は台北市の北に位置する。現在、剣潭公園に隣接する場所に円山大飯店が建っている。かつて台湾神社があった。
圓山の裾をめぐりて劍潭の水とこしへにゆるう流るゝ(臺灣神社)
3.三貂嶺
三貂嶺(さんちょうれい)駅は新北市の瑞芳区にある台湾鉄道の宜蘭線と平渓線の駅。旧三貂嶺トンネルは全長1,852メートルの鉄道トンネル。大正11(1922)年に開通し、昭和60(1985)年まで使用された。
嵐おこる三貂の嶺に綿の如ふき分けられて雲ちぎれ飛ぶ
水牛はこゝにかしこに打ちむれゐぬ相思樹の蔭水ぬるむところ
4.太魯閣
太魯閣(たろこ)国家公園の総面積は92,000ヘクタール。花蓮県、台中市、南投県にまたがる。太魯閣渓谷は観光客に人気の高いスポットである。
天そゝる太魯閣の山はたゞ仰げあふぎて神の御姿を見よ
5.台東
台東(たいとう)は台湾の南東に位置する。今でも「原住民」(台湾では「先住民」という語は用いない。)が多く住んでいる。
牛の背にかざす蕃婦の日傘より秋風立ちて飛ぶ蜻蛉かな(臺東バラン社)
6.鵝鑾鼻
鵝鑾鼻(がらんび)は屏東県恒春鎮に位置する台湾本島の最南端の岬。南のフィリピンとの間にバシー海峡が通っている。
日の本にみんなみのはてにわれ立ちてふりさけ見れば黒潮をどる(鵞鑾鼻)※「黒潮」はともに旧字体
7.日月潭
日月潭(にちげつたん、じつげつたん)は台湾中部の南東県に位置する山あいのある湖。台湾を代表する景勝地となっている。水社大山は海抜2,059メートル。
あかねさす水社大山夕されば裾むらさきに湖にかすみぬ(日月潭五首)
8.霧社
南東県にある霧社(むしゃ)は埔里の北東に位置する。昭和5(1930)年10月27日、セデック族が日本人を襲った事件が発生し、その後の武力による鎮圧につながった。「霧社事件」として知られる事件は下村海南の時代よりもずっと先のことである。
雲雀鳴く埔里社の野路に夜は明けてあらはれそめつ霧社の山々(霧社三首)
うなじ垂れて赤き毛絲のゆらめくは頭目の娘十三といふ
9.濁水渓
濁水渓(だくすいけい)は、台湾中部を流れる河川。台湾で最も長い河川である。中央山脈の合歓山を源流として、西に流れ、台湾海峡に注ぐ。
うつし世のあらゆる罪を溶きしごと濁水の渓くろく流るゝ(濁水渓二首)
張に嫁ぐ李氏の女のあかき轎かちわたり行くも濁水の渓を
10.關仔嶺
関子嶺(かんしれい)は台南の温泉地。関子嶺溫泉は北投、陽明山、四重溪と並ぶ台湾四大名泉の一つとも呼ばれた。灰黒色の泥の溫泉。
山の夜を温泉がへりの心地よく渡る小橋にこほろぎ鳴くも
11.阿里山
阿里山森林鐵路(鉄道)は明治37(1904)年に建設が始まり明治45(1912年にほぼ完成した。台湾檜や紅檜など樹齢の長い巨木が立ち並んでいる。夜明け前に阿里山駅から祝山線に乗って祝山駅に到着。御来光を見る。
千年の夢破れたる聲すなり神代ながらの靜寂の中に(阿里山二首)
12.赤崁樓
赤崁樓(せきかんろう)はオランダ人が1653年に建てた台南で一番古い史跡。
赤崁樓旌旗かゝれり江に入るはバタビヤの船かチヤルメラ聞ゆ(臺南赤崁樓二首)
欄に倚りて靑き酒もるビイドロに落日赤し紅毛の城
【「新しい短歌をさがして」バックナンバー】
【16】青と白と赤と──大塚亜希『くうそくぜしき』(ながらみ書房、2023)
【15】台湾の歳時記
【14】「フランス短歌」と「台湾歌壇」
【13】台湾の学生たちに短歌を語る
【12】旅のうた──『本田稜歌集』(現代短歌文庫、砂子屋書房、2023)
【11】歌集と初出誌における連作の異同──菅原百合絵『たましひの薄衣』(2023、書肆侃侃房)
【10】晩鐘──「『晩鐘』に心寄せて」(致良出版社(台北市)、2021)
【9】多言語歌集の試み──紺野万里『雪 yuki Snow Sniegs C H eг』(Orbita社, Latvia, 2021)
【8】理性と短歌──中野嘉一 『新短歌の歴史』(昭森社、1967)(2)
【7】新短歌の歴史を覗く──中野嘉一 『新短歌の歴史』(昭森社、1967)
【6】台湾の「日本語人」による短歌──孤蓬万里編著『台湾万葉集』(集英社、1994)
【5】配置の塩梅──武藤義哉『春の幾何学』(ながらみ書房、2022)
【4】海外滞在のもたらす力──大森悦子『青日溜まり』(本阿弥書店、2022)
【3】カリフォルニアの雨──青木泰子『幸いなるかな』(ながらみ書房、2022)
【2】蜃気楼──雁部貞夫『わがヒマラヤ』(青磁社、2019)
【1】新しい短歌をさがして
【執筆者プロフィール】
服部崇(はっとり・たかし)
「心の花」所属。居場所が定まらず、あちこちをふらふらしている。パリに住んでいたときには「パリ短歌クラブ」を発足させた。その後、東京、京都と居を移しつつも、2020年まで「パリ短歌」の編集を続けた。歌集『ドードー鳥の骨――巴里歌篇』(2017、ながらみ書房)、第二歌集『新しい生活様式』(2022、ながらみ書房)。
Twitter:@TakashiHattori0
挑発する知の第二歌集!
「栞」より
世界との接し方で言うと、没入し切らず、どこか醒めている。かといって冷笑的ではない。謎を含んだ孤独で内省的な知の手触りがある。 -谷岡亜紀
「新しい生活様式」が、服部さんを媒介として、短歌という詩型にどのように作用するのか注目したい。 -河野美砂子
服部の目が、観察する眼以上の、ユーモアや批評を含んだ挑発的なものであることが窺える。 -島田幸典
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】