時雨てよ足元が歪むほどに 夏目雅子【季語=時雨(冬)】

時雨てよ足元が歪むほどに

夏目雅子


 作者は1957年神奈川県生まれ、1985年没。27年の人生の中で俳優業で活躍する傍ら、夫の紹介で出会った「東京俳句倶楽部」の句会に出席した。

 掲句は大胆な破調、字足らず、主観で構成された感覚的な句。響きの鮮やかさが際立つ一方で、読み込むほどに感情をぎりぎりのところで抑えて均衡を保った世界観に惹かれる。
 足元が歪むほどに降って欲しいという冷たい雨は、一種の破滅願望の象徴のように思われる。冬の雨であることや不安定なリズムは作中主体の思いに限りなく近づくための鍵になるであろう。詩の核である感情は視界が悪く、泥濘に足を取られる状況でしか発散できないもので、これ以上正確に作者の意図通りに読み取ることは難しいが、実は読者のひとりひとりに思い当たるところがあるのではないだろうか。

 掲句は客観写生の真逆を行く句であることはわかるが、それでも見えないものを真摯に描いているように感じる人は多いだろう。逆に、客観写生の句を客観写生だと言い切ることは難しい。今回は客観写生、とくに客観について、主観側から考えたい。すでに多くの俳人が考察している上に新しい見識があるわけでもないが、現状の悩みを打ち明けたい一心である。
 ひとまず、「客観写生」とは、高浜虚子が、正岡子規の「写生」の考え方を発展させた俳句創作の理論で、物事を描写するときに主観を述べずに物事を描写すべきという内容であり、虚子にとっても絶対的なものではないが、最初に身につけるべき基本の姿勢として提唱したということを前提とし、加えて、水原秋桜子はじめ様々の俳人が考察してきたように、少なくとも風景を17音におさめる過程のカメラワークには確実に主観が入るために、客観写生とはあくまでも客観視をしようとする心持ちのことであるということを踏まえて考察する。

 客観写生は、響きがなんとなく格好良いし、俳壇でもずっと流行しているようであるから私も心がけたい。真面目に述べると、客観写生はあらゆる描写の基礎であり、俳句を詠む上での強固な足場だと思っているからこそ極めたい。個人的には基本的にずっと客観写生に徹しているつもりであったのだが、どうも客観的に見るとそうでもないらしく、自己認識とはどこまでも主観的なものなのだと痛感させられる。

 では、客観的に見ることができないものとはなんだろうか。まず、自己の感情の起伏は概ね客観的ではないとされるように思う。虚子の論調でも、感情は物事の描写の裏側に(言外に)滲ませるべきだと述べている。嬉しい、悲しい、などはおおよそ言わずとも伝わる場合が多いことも納得するし、他人を描写する場合でも「喜ぶ人」よりは「両手を上げている人」と書いた方がむしろ喜びが伝わる場合が多いと推測する。掲句はこの塩梅が良い。しかし、感情や欲求という確実に姿こそ見えないけれども存在して、激しく動くものを丸ごと排斥するのも客観的ではないように感じるのである。自分だけの内側のことを伝えるのは難しすぎる試みなのかもしれないが、他者にも寄り添うような感覚を保って描き続けたい。余談として、意外なものに類似性を見出した句で〇〇が〇〇に似て……と述べるときの「似る」に込められた感情には計り知れない幅広さがあると思った。作者の内面的な思いを共有できると強く信じられて送り出された表現の例と言えるだろう。
 
 さらに、主観性の強そうな形容詞・形容動詞についても考えてみる。数々の名句が残り、個人的にも俳句によく用いる。例えば「深し」という形容詞が俳句に出てきた場合、「比較的」深いのだと理解する。つまり平均的な深さを作者と共通認識として持っていれば読めるし、それがなければ作者の良くない主観性だと感じるのである。「多し」という言葉も、箪笥に鞄が多いのだったら景の想像がつくが、ムスカリの花が多いと言われても、道端に5本ほど押し合いながら咲いているのかもしれないし、終わりの見えないような花畑に咲きほこっているのかもしれないと考えて混乱してしまう。もちろん文脈次第である上に、平均的、一般的な感覚というのもおおよそ主観的なためややこしいが、読者を信じることと自身を疑うことの狭間で判断するほかないだろうか。ひとつ感じているのは、「懐かし」「貧し」など、比較対象が作者の個人的な情報な場合にはより読解が困難であるということである。

 発展して、作者しか知り得ない情報は概ね主観的であるとされるのだとしたら、たとえ実際に起こったことをそのまま描いたとしても、全く共感性がなければ良い句とされないのはそういう理由かもしれない。また、よく目にはする匂わせの助詞「も」(具体的に何と並列しているのかを書いておらず、作者が感じたものが明確でない書き方)や、「久しぶりの」「はじめての」などの時系列に関する情報が嫌われがちなのも結局主観性に起因するのかもしれない。

 他には、夢や想像、雰囲気などある程度感覚を共有している非実態のものや不可視のものへの判断も気になる。とりわけ夢に関しては、夢では突飛なことが起こるというところまで共有できていると個人的には思っているのだが、確かに夢の出来事を俳句に表した場合、少なくとも共感はしづらく、面白がれるかといったら微妙なところである。
 季語にも狐火や猿酒、幽霊など存在しない(科学的には存在しないとされている)ものが多々あるが、これらは言葉にすることで実体を獲得しているようにも感じる。UFOが限りなく確認されているように、言葉が非存在に対して輪郭を作っている側面は大きいだろう。その点では感情も言葉によって客観視できる余地があるとも言える。

 ちなみに、客観写生の句が最も苦労するのはその事物を描いたことの是非だと思っている。技術や表現を越えて最終的に問われるのが、唯一の主観性である切り取り方そのものなのはなんとも恐ろしい。自分の視線をいくつも獲得すべきなのである。俳人諸氏は読者と想定する人間の何%に伝わると思えたら発表に踏み切るのだろうといつも気になる。シュールな比喩や感覚的な発想を俳句にしている俳人たちが読者に思っていることと、客観写生に徹して細かな物事を詠んでいる俳人たちのそれはある意味似通っていて、発想が伝わることと景の良さが伝わることをそれぞれ願っているのではないかと想像している。客観性にも主観性にも世界と個人との線引きが重要になってきそうだ。今回はここまで書いて、俳句における視点とは、客観には主観が必要で、主観には客観が必要だというような表裏一体のものであると一旦理解した。技法との組み合わせによる可能性の無限さ、例えば客観的な抒情や主観的な写生にも興味が湧いてきた。引き続き探求していきたい。

 最後にご挨拶を。2ヶ月間の連載は今回が最後になります。たくさん読んでいただけたようで嬉しかったです。思うよりは自分は色々なことを考えていて、期待したよりは言葉にするのが下手だと気づきました。本当に楽しかったので、またいつか強くなって帰ってきたいです。お付き合いいただいた皆さま、ありがとうございました。

野城知里


【執筆者プロフィール】
野城知里(のしろ・ちさと)
2002年埼玉生。梓俳句会会員、未来短歌会会員。第12回星野立子新人賞、第70回角川俳句賞佳作。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



【2025年2月のハイクノミカタ】
〔2月1日〕山眠る海の記憶の石を抱き 吉田祥子
〔2月2日〕歯にひばり寺町あたりぐるぐるする 平田修
〔2月3日〕約束はいつも待つ側春隣 浅川芳直
〔2月4日〕冬日くれぬ思ひ起こせや岩に牡蛎 萩原朔太郎
〔2月5日〕シリウスを心臓として生まれけり 瀬戸優理子
〔2月6日〕少し動く/春の甍の/動きかな 大岡頌司
〔2月7日〕無人踏切無人が渡り春浅し 和田悟朗
〔2月8日〕立春の佛の耳に見とれたる 伊藤通明
〔2月9日〕はつ夏の風なりいっしょに橋を渡るなり 平田修
〔2月11日〕追羽子の空の晴れたり曇つたり 長谷川櫂
〔2月12日〕体内にきみが血流る正坐に耐ふ 鈴木しづ子
〔2月13日〕出雲からくる子午線が春の猫 大岡頌司
〔2月14日〕白驟雨桃消えしより核は冴ゆ 赤尾兜子
〔2月15日〕厄介や紅梅の咲き満ちたるは 永田耕衣
〔2月16日〕百合の香へすうと刺さってしまいけり 平田修
〔2月18日〕古本の化けて今川焼愛し 清水崑
〔2月19日〕知恵の輪を解けば二月のすぐ尽きる 村上海斗
〔2月20日〕銀行へまれに来て声出さず済む 林田紀音夫
〔2月21日〕春闌けてピアノの前に椅子がない 澤好摩
〔2月22日〕恋猫の逃げ込む閻魔堂の下 柏原眠雨
〔2月23日〕私ごと抜けば大空の秋近い 平田修
〔2月24日〕薄氷に書いた名を消し書く純愛 高澤晶子
〔2月25日〕時雨てよ足元が歪むほどに 夏目雅子


【2025年1月の火曜日☆野城知里のバックナンバー】
>>〔1〕マルシェに売る鹿の腿肉罠猟師 田中槐
>>〔2〕凩のいづこガラスの割るる音 梶井基次郎
>>〔3〕小鼓の血にそまり行く寒稽古 武原はん女

【2025年1月の水曜日☆加藤柊介のバックナンバー】
>>〔5〕降る雪や昭和は虚子となりにけり 高屋窓秋
>>〔6〕朝の氷が夕べの氷老太陽 西東三鬼
>>〔7〕雪で富士か不二にて雪か不尽の雪 上島鬼貫
>>〔8〕冬日宙少女鼓隊に母となる日 石田波郷

【2025年1月の木曜日☆木内縉太のバックナンバー】
>>〔5〕達筆の年賀の友の場所知らず 渥美清
>>〔6〕をりをりはこがらしふかき庵かな 日夏耿之介
>>〔7〕たてきりし硝子障子や鮟鱇鍋 小津安二郎
>>〔8〕ふた葉三葉去歳を名残の柳かな 北村透谷


【2024年12月の火曜日☆友定洸太のバックナンバー】
>>〔5〕M列六番冬着の膝を越えて座る 榮猿丸
>>〔6〕去りぎはに鞄に入るる蜜柑二個 千野千佳
>>〔7〕ポインセチア四方に逢ひたき人の居り 黒岩徳将
>>〔8〕寒鯉の淋しらの眼のいま開く 生駒大祐
>>〔9〕立子句集恋の如くに読みはじむ 京極杞陽

【2024年12月の水曜日☆加藤柊介のバックナンバー】
>>〔1〕大いなる手袋忘れありにけり 高濱虚子
>>〔2〕哲学も科学も寒き嚔哉 寺田寅彦
>>〔3〕教師二人牛鍋欲りて熄むことあり 中村草田男
>>〔4〕今年もまた梅見て桜藤紅葉 井原西鶴

【2024年12月の木曜日☆木内縉太のバックナンバー】
>>〔1〕いつの日も 僕のそばには お茶がある 大谷翔平
>>〔2〕冬浪のつくりし岩の貌を踏む 寺山修司
>>〔3〕おもむろに屠者は呪したり雪の風 宮沢賢治
>>〔4〕空にカッターを当てて さよならエモーショナル 山口一郎(サカナクション)

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