モジリアニ風の妊婦の薄暑かな 佐伯緋路【季語=薄暑(夏)】

モジリアニ風の妊婦の薄暑かな
佐伯緋路

掲句を繰り返し読んでいると、どこか古いサイレント映画の一場面のような静けさを感じます。

上五の「モジリアニ」は、20世紀初頭のイタリア出身の画家、アメデオ・モディリアーニのことでしょう。

モジリアニの絵には、静かな憂いがあります。細長く引き延ばされた身体や、どこか現実から遠ざかったような眼差し。その美しさの奥に、触れがたい静けさが滲みます。

最初、この句の「妊婦の薄暑かな」の「の」が、私には少し掴みにくく感じられました。
「妊婦に薄暑かな」であれば、情景は受け取りやすい。

けれども、繰り返し読んでいるうちに、「モジリアニ風の妊婦」は、夢の中の人物のようでありながら、下五の「薄暑かな」によって、不意に、生身の体温を伴って現れてくるように思えました。

この句にあるのは、妊婦の外にある薄暑ではなく、妊婦の内にある薄暑なのかもしれません。
薄暑という季題を通して、妊婦と新しい命の二つの熱だけが、静かに漂っているようです。

それでも、どこか現実とも夢ともつかない聖域のように思えるのは、「モジリアニ風」という措辞ゆえでしょうか。

モジリアニの肖像画を思い浮かべると、人物を描きながらも、その人の持つ静かな魂のようなものだけが見えてくることがあります。
一方、妊婦の身体は、生身の熱を宿した、きわめて現実の身体です。
「モジリアニ風」の一語によって、この句の妊婦は、その両方を併せ持つ存在として現れます。
だから、生々しいはずの妊婦が、どこか聖像のようにも見える。
そして、その境界に「薄暑」がある。

モジリアニの描く瞳のない目のように、妊婦の眼差しは、計り知れないほど深く、遠かったのかもしれません。

『花鳥』令和七年八月号 所収

菅谷糸


【執筆者プロフィール】
菅谷 糸(すがや・いと)
1977年生まれ。東京都在住。「ホトトギス」所属。日本伝統俳句協会会員。




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