ハイクノミカタ

息ながきパイプオルガン底冷えす 津川絵理子【季語=底冷(秋)】


息ながきパイプオルガン底冷えす)

津川絵理子


「人間の声に一番近い」と称する楽器が多すぎやしないかと思っている。ざっと検索しただけでもヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、二胡、トロンボーン、オーボエ、サックス、フルートといった楽器の奏者が「これこそが人間の声に一番近い音色を出す楽器である」と主張している。過去にはNHKの番組「らららクラシック」がヴィオラ、トロンボーン、アルトサックスの音色を分析し、どれが一番人間の声に近いのか検証を行ったこともあるそうだ。私は放映を見ていないが、その時はヴィオラに軍配が上がったとのこと。しかし検証対象に入っていない楽器の支持者からは異議が出ること必至で、この論争、まだまだ決着がつきそうにない。

西洋音楽の歴史を繙けば、祈りと音楽は不可分であり、聖歌を歌うことは神を賛美する重要な手段のひとつだった。器楽が人間の声に近づこうとするのも無理のないことかもしれない。

パイプオルガンもまた、キリスト教と強く結びつき、神に音楽を捧げるための楽器として発展してきた。音も寸法も大きすぎるせいか、パイプオルガンを「人間の声に近い」と主張する声はあまり聞かれない。しかし音色はともかく、パイプオルガンの構造は人間の体に近いといえるのではないだろうか。ごくごく簡単に説明すると、パイプオルガンはふいごを肺のように使ってパイプに空気を送り込み、音を鳴らす。人間と違うのはひとつのパイプから一種類の音しか出せないことで、そのため長さの違うパイプをいくつも林立させる必要があり、あのような壮麗な外観を持つに至った。

 息ながきパイプオルガン底冷えす 津川絵理子

コンサートホールなどでもパイプオルガンを設置しているところはあるが、掲句の舞台はやはり教会と考えたい。「底冷え」の語からは、石の壁からしんしんと伝わる冷気や跪き台の固い感触も感じられる。

ピアノやチェンバロとは異なり、パイプオルガンはパイプに風が送り込まれている限りは音を出し続けることができる。教会のような場所であれば音は壁に反響し、長い余韻が続く。祈りの場であればこそ、その時間はあたかも永遠のように思える。

巨体を震わせるようにして深い息を吐くとき、オルガンはまるで生きているかのようだ。同時に、その場に集まっているであろう人間たちの息遣いも感じさせる。教会を会場とした宗教音楽のコンサートで、旅先でふいに遭遇したミサで、学校附属のチャペルのクリスマス礼拝で、パイプオルガンの響きを全身に受け、思わず厳粛な気持ちになってしまった経験が私にもある。地上に天国の楽を響かせようとした人々の祈りが、その音を通して信仰を持たない者にも強く響くからだろう。

掲句は『夜の水平線』(ふらんす堂,2020)から引いた。

(町田無鹿)


【執筆者プロフィール】
町田無鹿(まちだ・むじか)
1978年生まれ。「」「楽園」所属。2018年、第2回俳人協会新鋭俳句賞受賞。俳人協会会員



【2021年11月の火曜日☆望月清彦のバックナンバー】

>>〔1〕海くれて鴨のこゑほのかに白し      芭蕉
>>〔2〕木枯やたけにかくれてしづまりぬ    芭蕉

【2021年11月の水曜日☆町田無鹿のバックナンバー】

>>〔1〕秋灯机の上の幾山河        吉屋信子


【2021年10月の火曜日☆千々和恵美子のバックナンバー】

>>〔4〕藁の栓してみちのくの濁酒     山口青邨
>>〔3〕どつさりと菊着せられて切腹す   仙田洋子
>>〔2〕鶴の来るために大空あけて待つ  後藤比奈夫
>>〔1〕橡の実のつぶて颪や豊前坊     杉田久女

2021年10月の水曜日☆小田島渚のバックナンバー】

>>〔4〕野分吾が鼻孔を出でて遊ぶかな   永田耕衣
>>〔3〕嵐の埠頭蹴る油にもまみれ針なき時計 赤尾兜子
>>〔2〕稻光 碎カレシモノ ヒシメキアイ 富澤赤黄男
>>〔1〕秋の川真白な石を拾ひけり   夏目漱石


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 対岸や壁のごとくに虫の闇 抜井諒一【季語=虫(秋)】
  2. 冷やっこ試行錯誤のなかにあり 安西水丸【季語=冷やっこ(夏)】…
  3. ワイシャツに付けり蝗の分泌液 茨木和生【季語=蝗(秋)】
  4. 不健全図書を世に出しあたたかし 松本てふこ【季語=あたたか(春)…
  5. ぐじやぐじやのおじやなんどを朝餉とし何で残生が美しからう 齋藤史…
  6. 田螺容れるほどに洗面器が古りし 加倉井秋を【季語=田螺(春)】
  7. 中年の恋のだんだら日覆かな 星野石雀【季語=日覆(夏)】
  8. 灯を消せば部屋無辺なり夜の雪 小川軽舟【季語=雪(冬)】

おすすめ記事

  1. 変身のさなかの蝶の目のかわき 宮崎大地【季語=蝶(春)】
  2. 【夏の季語】百合
  3. 悲鳴にも似たり夜食の食べこぼし 波多野爽波【季語=夜食(秋)】
  4. 虚仮の世に虚仮のかほ寄せ初句会 飴山實【季語=初句会(新年)】
  5. 【秋の季語】野菊
  6. 【冬の季語】悴む
  7. 蜷のみち淡くなりてより来し我ぞ 飯島晴子【季語=蜷(春)】
  8. 【連載】久留島元のオバケハイク【最終回】方相氏
  9. 趣味と写真と、ときどき俳句と【#03】Sex Pistolsを初めて聴いた時のこと
  10. 【連載】もしあの俳人が歌人だったら Session#14

Pickup記事

  1. こすれあく蓋もガラスの梅雨曇 上田信治【季語=梅雨曇(夏)】
  2. 海鼠切りもとの形に寄せてある 小原啄葉【季語=海鼠(冬)】
  3. 雪が降る千人針をご存じか 堀之内千代【季語=雪(冬)】
  4. 【冬の季語】白鳥
  5. ロボットの手を拭いてやる秋灯下 杉山久子【季語=秋灯下(秋)】
  6. 【秋の季語】小鳥来る
  7. 【春の季語】雛飾(雛飾り)
  8. 【冬の季語】掘炬燵
  9. 吸呑の中の新茶の色なりし 梅田津【季語=新茶(夏)】
  10. 人垣に春節の龍起ち上がる 小路紫峡【季語=春節(春)】
PAGE TOP