【第9回】伊勢と八田木枯
広渡敬雄(「沖」「塔の会」)
旧伊勢国は、現在の三重県の中東部、伊勢湾に面する地域からなる。伊勢神宮が鎮座する伊勢市(旧宇治山田市)、工業都市の四日市市、伊勢平野の中心にあり、江戸時代藤堂氏城下町で伊勢参宮道の宿駅の津市(県庁所在地)、更に三井家(松阪商人)や本居宣長の旧跡、松阪牛生産地の松阪市がある。戦時中より、転地保養の為山口誓子が移り住み、〈海に出て木枯帰るところなし〉〈炎天の遠き帆やわが心の帆〉〈つきぬけて天上の紺曼珠沙華〉等代表作をなした。
母在せば母にうるはし雪の伊勢 八田木枯
元旦や小柄ながらも伊勢の鶏 阿波野青畝
遠花火海の彼方にふと消えぬ 長谷川素逝(津)
日本がここに集る初詣 山口誓子(伊勢内宮)
初伊勢の鴛鴦にあひをりしなり 岡井省二
伊勢といふ字のさながらに飾海老 鷹羽狩行
恋をして伊勢の寒さは鼻にくる 大木あまり
麦を刈るほとりに坐り伊勢の山 田中裕明
風薫る伊勢へまゐれとみことのり 筑紫磐井
〈母在せば〉の句は、昭和30年頃の作、第一句集『汗馬楽鈔』収録。「冬の美を代表する雪が、離れ住む母への深い想いをより際立たせる。殊にふるさと伊勢の雪に母への思いを重ねて句に存在感がある」(杉田菜穂)、「木枯の母恋の句は、母をテーマにした作品が主軸の第二句集『於母影帖』では〈井戸のぞく母に重なり夏のくれ〉〈母戀ひの光琳あやめ横たへて〉等、母胎回帰的で母なる存在への怖れが見える」(柿本多映)、「ふるさとへの思いは誰よりも強く、津の町の平和な風土とのんびりした県民性を愛していた」(八田夕刈)等の鑑賞がある。
木枯は、大正14(1925)年、三重県津市生まれ、本名は光。材木商の父は、海棠の俳号を持つ俳人。12歳で父を失い、父の蔵書の俳句や文学書を読み漁り、14歳から「ホトトギス」関連の句会に参加し、父の句――木枯や沼に繋ぎし独木舟―から俳号を木枯とした。
召集されるも不適格で帰郷後の昭和20(1945)年、津市で俳誌「ウキグサ」を発行主宰、戦前より長谷川素逝に師事するも師の逝去後の同23年、保養中の山口誓子を訪ね「天狼」に入会、早々と〈汗の馬芒のなかに鏡なす〉〈外套のままの仮寝に父の霊〉で二度巻頭となり、誓子の絶大な評価を得たが、台風で商売用材木を全て伊勢湾に流失する。
以後欠詠し仕事に専念、且つ東京四谷に移転する等、16年近く俳句から遠ざかり、同52(1977)年、うさみとしおと二人誌「晩紅」創刊。同63(1988)年、63歳で、誓子序文の第一句集『汗馬楽鈔』上梓、同22年からの10年間、即ち天狼時代の作品を所収した。平成7(1995)年、70歳で第二句集『於母影帖』、第三句集『あらくれし日月の鈔』を上梓、翌年中村裕、寺澤一雄らと晩紅塾を開き、若手中堅の俳人と意欲的に句会吟行を行った。
同17年には、現代俳句協会賞を受賞、同22(2010)年上梓の『鏡騒』で小野市詩歌文学賞俳句部門を受賞し、同24(2012)年3月19日、享年87歳で逝去。翌年、京都・山科一燈園に〈春を待つこころに鳥がゐてうごく〉の句碑が建立された。句集は他に『天袋』『夜さり』、逝去後に『八田木枯全句集』が刊行された。
「俳句形式という崖っぷちに生涯踏みとどまり、飄々と己を信じて己を貫いたこれほど粋な稀代の作家はいない」(鳥居真里子)、「俳壇のアウトサイダーたることを自ら選び、自身が新たな潮流を生み出すことを目指した」(片山由美子)、「木枯俳句の根本は、高悟帰俗の精神、常に俗にあって俗塵にまみれつつも高い志を忘れず、虚実あわいの世界を展開、枯淡の境地を拒み、滋味ある老年を堪能し、しなやかな独自の世界を拓き続けた」(角谷昌子)、「ことさら力むでもなく、ダンディさとユーモアと妖気とが綯い交ぜとなった独自の美観をかたちづくった」(関悦史)等々の鑑賞がある。
汗の馬なほ汗をかくしづかなり
洗ひ髪身におぼえなき光ばかり
あらくれて日月は逝く鴛鴦のそば
素逝忌のここはふるさと小鍛冶の火
ねころべば血もまた横に蝶の空
昭和終焉六尺越中帆掛舟
猟犬を冬の銀河に組み入れる
天袋よりおぼろ夜をとり出しぬ
さざ波はかへらざる波春ならひ
鞦韆をゆらして老を鞣しけり
春のくれ我も近所の人ならむ
麦秋は鳥のはらわたまで達す
白桃や死よりも死後がおそろしき
白地着て雲に紛ふも夜さりかな
あかがりやどんみり暮れてゐて仄か
晶晶と寒の木賊の折られあり
うぐひすのこゑに障子が痛がりぬ
ぼうたんの花のゆるるはきはどけれ
黒揚羽ゆき過ぎしかば鏡騒
月光が釘ざらざらと吐き出しぬ
誰の忌ぞ雪の匂ひがしてならぬ
冬ふかし柱が柱よびあふも
インバネス戀のていをんやけどかな
寒鮒釣り全生涯の幕下ろす
10代早々から伝統俳句で俳句の基礎(写生の正確さ、端正さ、骨格の太さ、表現力等)を我が物にし、その後誓子俳句に没頭、吸収した。実業への執着も強く商売の為俳句を中断するが、後にはそれも糧とした感があり、老境に甘んぜず、誰も触れてはいない境地を詠み続けんと努めた。
流派を越えた若手中堅俳人が、木枯の「粋、虚実皮膜、俳、人間性」に惹かれて集まり、絶大な信頼を置いたことは、後世に語り継がれていくことだろう。
(「たかんな」令和二年七月号転載)
【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。俳人協会会員。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。2017年7月より「俳壇」にて「日本の樹木」連載中。「沖」蒼芒集同人。「塔の会」幹事。
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