第二句集『奉納』は、「甘藍」の創刊主宰になった頃に出版された。暮らしている静岡県の景色や行事などを予祝的に詠んだ。生き生きとした描写が魅力である。
産み月のころほひに咲く種を蒔く
降るほどの星に恵まれ去年今年
資料館餅花のみが新しき
追羽根の高きがうれし突き返す
佳き人の居る世がうれし初寝覚
みなづきの雲湧くあたり水の神
ガラスまだ未生の火玉秋気澄む
夕紅葉樹下は慕情の湧くところ
第三句集『馬下(まおろし)』は、俳味のある日常と旅先での情感のある詠みぶりが対照的であり、鮮やかである。主宰となって5年の貫禄を見せた。
夕空の雲に移りぬ花のいろ
野梅咲く行きたふれたる魂のごと
裏口にいつも番犬柿の花
籠らせてもらふ書斎の三日かな
七種の余りは鳥に返しけり
雷鳴や駿河を攻むる甲斐の雲
青簾子の声がして母がをり
寒波来るきのふのぶんも今日晴れて
三寒を送りし石の四温かな
一舟の影となりゆく細雪
さみしさをあやしだましに紙風船
日常も大きな景も詠む作者であるが、自分の立ち位置がはっきりと見える句を詠む。そして、どの句にも生命力がある。いつまでも初学の頃の無邪気さを持ち続けた。
恋となる日数に足らぬ祭かな いのうえかつこ
掲句は自分の体験ではなく、地元の祭の様子を見て詠んだのだろう。古来より祭は男女の出逢いの場であった。祭の夜は、女は神を迎える巫女となり男は神となった。男女のまぐあいは、繁殖儀礼でもあり、その土地の豊穣を約束するものであった。現在でも祭の夜は、恋の出逢いが多い。別々の学校出身の男女も違う地区に住む男女もその日だけは行き逢うことができる。上京した若者が祭の日だけは地元に戻り、大人になった者同士が恋に落ちることもあれば、遊びにきた他の土地の人との出逢いもある。
掲句は、〈日数〉とあるので、1日だけでなないのだろう。大きな祭になると、ひと月にわたるものもあるが、メインの日はせいぜい2・3日である。掲句の場合も、2・3日だったのではないだろうか。きっと、俳句仲間に地元の祭を案内することになり、その中に若い男女がいたのだろう。若者は若者同士、一緒に祭を楽しむ。夜店で何かを買うにしても食べるにしても同世代の方が安心できるし、話も合う。他の仲間も「あら、あの二人良い雰囲気じゃない。二人きりにしてあげましょう」などと気を利かせる。祭の日程が終わり、帰り際に名残を惜しむ二人を見て「頑張れ」などと声を掛けたくもなる。だが、そんな二人も翌日には日常に戻る。どうしてももう一度逢いたいとか、普段の生活を捨ててまで交際しようとは思わないはずだ。ただ、楽しかった想い出だけが残る。祭とは、相手のことをよく知るには足りない日数であることは確かだ。心がほのめく瞬間はあるものの、追いかけるほどではない。若者の恋を応援したい作者としては、少し残念に思ったのであろう。
祭から始まる恋もあるのだが、よほどの共通点が無いかぎりは恋に至らない。例えばお互いに祭が好きでまた別の祭で再会するとか、実は家が近所だったとか、同業者だったとか。それに、2・3日では、気持ちの確かめようもない。意気投合して一夜を過ごしたとしても、行きずりの関係で終わってしまう。でも、限りなく情熱的で熱い想いを抱けるのは、祭が非日常的で尚かつ数日で終わるからかもしれない。
(篠崎央子)
【篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】
【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
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