【連載】
趣味と写真と、ときどき俳句と【#22】
鍛冶屋とセイウチ
青木亮人(愛媛大学准教授)
子どもの頃から折に触れて聴いている曲があり、その一つがヘンデルの「調子の良い鍛冶屋」(または「愉快な鍛冶屋」)だ。チェンバロ組曲集に収められた曲で、鍛冶屋が振り下ろすハンマーの音にヒントを得たといういわく付きの楽曲である。
確かにチェンバロの旋律を聴いていると、往事の鍛冶屋の音もかくや……と思いたくなるが、実際は創作の逸話に近く、後世に出版された本に初めて登場する話らしい。
いずれにせよ子どもの頃からよく聴いた曲であり、カセットテープをデッキに入れて曲を流した後、再びテープを巻き戻しては聴いたものだった(昭和の話)。晴れた日には窓を開けて聴くと、心地よい風が旋律と溶け合って青空へ流れゆくように感じられたし、雨の降る日にこの曲を流すと部屋が明るくなるような気がした。さすがヘンデル、というべきだろうか。
子どもの頃から聴いている曲は他も多いが、The Beatlesの”I am the walrus”も愛聴した一曲だ。ビートルズの中でも”I am the walrus”はダントツに聴いた曲であり、何度聴いても飽きない。
この曲でジョン・レノンが歌うメロディーには逸話があり、ソファーに寝転がっていたジョンがふと耳にしたパトロールカーのサイレンからヒントを得たというものだ。「調子の良い鍛冶屋」の伝説と異なり、こちらはどうも事実らしく、さすがジョン、というべきかもしれない。
”I am he as you are he as you are me and we are all together ”で始まるこの歌をジョンがスタジオで初めて披露した際、メンバーやプロデューサー、エンジニア一同が困惑したという。意味不明な歌詞をほぼ2、3音だけで延々と歌う曲を聴いた皆は「一体何なんだ?」という感じで、ジョンの意図を図りかねたそうだ。
“I am the walrus”のイメージのきっかけの一つはルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』で、具体的には「セイウチと大工(the Walrus and the Carpenter)」のくだりだった、とジョンは後に語っている。
ジョンが持ちこんだメロディーを完成曲に仕上げていく際、彼は次々と奇想天外なアイディアの実現をプロデューサーやエンジニアに求めたらしく、例えば自身の声を「月から聞こえてくるような声にアレンジしてほしい」と要求したそうだ。エンジニアは頭を抱えたが、最終的にはジョンの声にディストーション(ギターの音色を歪ませる際に使ったりする)をかけるという奇抜すぎるアイディアで切り抜けたという。当時はヴォーカルをディストーションで歪ませた曲など前例がなく、この曲は他にもラジオで流れたシェイクスピアの”リア王”の台詞をそのまま取り入れたり、日本の民謡のリズムを使ったりと妙なこだわりが見られる。
個人的に“I am the walrus”で好きなのは、次のくだりだ。
“Sitting in an English Garden waiting for the sun
If the sun don’t come
You get a tan from standing in the English rain”
ジョンがスタジオでこの曲を初めて披露した時、真面目な表情でこのくだりも歌ったのだろうか……と想像すると、何だか笑えてしまう。
ただ、完成した“I am the walrus”が素晴らしいのは、とにかくアレンジが絶妙の一言に尽きる。ストリングスやコーラス、各種の効果音等、プロデューサーのジョージ・マーティンや他のスタッフのプロ集団による腕の冴えが素晴らしく、よくぞここまで完成させたもの、と何度聴いても感嘆してしまう。
ジョンは完成したヴァージョンが満足だったらしく、「100年経っても色褪せない曲」とご満悦だったという。
ところで、ヘンデルの「調子の良い鍛冶屋」やビートルズの”I am the Walrus”を折に触れて聴いていたある日、両曲がイギリスで作られた曲であることにふと気付いたことがあった。ヘンデルはドイツ生まれだが、イタリア生活を経てイギリスに移住した作曲家であり、ビートルズは当然ながらイギリスを活動の本拠地としたグループである。
もしかすると両曲に何かしら見え隠れするイギリス流のシニカルな明るさや笑いに惹かれるのかもしれない、そんな風に気付いたのは聴き始めてからだいぶ経った時だった。
【次回は2月15日ごろ配信予定です】
【執筆者プロフィール】
青木亮人(あおき・まこと)
昭和49年、北海道生れ。近現代俳句研究、愛媛大学准教授。著書に『近代俳句の諸相』『さくっと近代俳句入門』など。
【「趣味と写真と、ときどき俳句と」バックナンバー】
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