妹に告げきて燃える海泳ぐ
郡山淳一
(『半獣神』(『俳句研究』昭和48年11月号内 第一回「五十句競作」応募作))
「燃える海」を比喩と読むのは容易だが、この句には燃え盛る水面を眼前に表出させる重みがある。妙に決意めく肉親への報告がそうさせるのか、動詞が3つ並ぶどこか拙い文体の所為か。人間らしさを超えて、人間の強固な意志や佇まいは詩的外景にも影響を及ぼす。
掲句の作者は郡山淳一。高柳重信の主導により『俳句研究』の誌上で行われた企画「五十句競作」の第一回入選者である。当時の応募作『半獣神』には、他に〈薄明に臥して水銀もてあそぶ〉〈雨季いたりみどり児の目にやどる飢ゑ〉〈林檎割くいきづく言葉噛み殺し〉〈左手で書くべしけものめく愛は〉などがあった。
当時22歳の学生であった彼は結社等に所属しておらず、本賞の受賞後4、5年で俳句の世界から離れてしまっている。重信による急進的な若手のプロデュースとその弊害という議題もあろうが、今日は「俳句をやめる」という事象のことを思う。
自分にも俳句を始めて3〜4年ごろまでは、俳句を「書く」「書かない」といった選択肢が確かにあった。そうした選択の余地はいつしか消失し、俳句そのもののことを考える時間が増えていった。この過程は、少なくない俳人に当てはまるのではないか、と思っている。
「俳句をやめる」あるいは「俳句から離れる」ということを思うとき、必ず浮かぶ名前がある。堀下翔である。
初めに断っておくと、僕は彼と面識がないし、あまり多くのことを知らない。ただ、彼を知る人がみな、示し合わせたように「彼はスターだった」「俳句界は惜しい人を失った」「彼の離別は俳句界にとって損失だった」と惜別の念を述べるのである。
Chromeから辿れる最後の記録は2019年2月9日に更新されたnote。彼の故郷である北海道の新聞や俳句賞についてのつれづれなる記録であった。
彼に関する情報は日々接する俳人たちから断片的に提供され、徐々に僕の中で(おそらく実態とは大きく異なった)人物像が形成されている。彼ほどの才覚ある人間がどうして俳句から離れるに至ったのか(こんな物言いもまた、バイアスにまみれているが)、彼が残したものはなんなのか、彼が再び俳句界に戻ってくることはあるのか。いつか同じ卓で酒を飲む日を妄想しながら、ときどき考える。幸いなことに、ビールはいつ誰と飲んでも、美味い。
(細村星一郎)
【執筆者プロフィール】
細村星一郎(ほそむら・せいいちろう)
2000年生。第16回鬼貫青春俳句大賞。Webサイト「巨大」管理人。
【細村星一郎のバックナンバー】
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>>〔9〕性あらき郡上の鮎を釣り上げて 飴山實
>>〔8〕蛇を知らぬ天才とゐて風の中 鈴木六林男
>>〔7〕白馬の白き睫毛や霧深し 小澤青柚子
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>>〔5〕かんぱちも乗せて離島の連絡船 西池みどり
>>〔4〕古池やにとんだ蛙で蜘蛛るTELかな 加藤郁乎
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>>〔2〕象の足しづかに上る重たさよ 島津亮
>>〔1〕三角形の 黒の物体の 裏側の雨 富沢赤黄男