【木曜日】は2か月交代で〈大学俳句会〉のみなさんにご執筆いただいています。「愛媛大学俳句研究会」からのバトンが渡ったのは「北大俳句会えぞりす」。6回目は小林すずめさんです。

山頂に流星触れたのだろうか
清家由香里
(第10回俳句甲子園最優秀句)
小林すずめ (北大俳句会「えぞりす」)
一年前の今日(2026年8月24日執筆)、私は松山にいた。選手として参加できる最後の俳句甲子園に臨むために。手を伸ばせば光に届きそうな感覚や、興奮と緊張で胸が締められる感覚を今でも覚えている。
私は、自分の一部をこの時に置いてきてしまったような気がする。俳句甲子園が終わって地元に戻ったら二学期が始まっていて、私は受験生で、その日から今日まで私の中で俳句は手付かずで残っている。
正直、俳句甲子園で私は望んだ結果を残すことができなかった。時々、最後の試合を思い出す。「あの時もっとこうしていれば勝てたんじゃないか」「でもあの時はあれが限界で何回試してもおんなじ結果になるだけじゃないか」。今でも思い出してしまうのは、あの瞬間に致死量のなにかを浴びたからだと思う。悔しくて、悲しくて、でもどこか安心して、そのことが苦しくて、そういうなにか。
大学生になったらもっともっと俳句を作って、賞にも応募すると思っていた。でもあの時を超える「熱」はもう訪れなくて、そんな状態で詠む句ももの足りない感じがして、私は次第に俳句と距離を取ってしまった。
私は今年の俳句甲子園の全国大会の配信を見なかった。自分がもう届かなくて、自分がなれなかった、自分がなりたかった姿を認めるのが怖かった。私がもっと素直で、ただ「素晴らしいディベートだった」「良い句だった」と言えれば良かったのに。
私はまだ俳句や俳句甲子園、そもそも書くこととの距離感がよく分からない。書くことの続け方も分からない。けれど、文章漬けになった高校時代のせいで体は書くことを渇望していて、でも実際に書く時は何を書きたいのか分からなくなってしまう。
私は書くことで自分を認識してきたように思う。人とコミュニケーションを取ることが苦手で、言いたいことが言えないことがたくさんある。だから私は文章を書いてきた。自分の言いたいことを書いて、それによって自分の感情に気づくために。
私が文章を書かないということは、私は私の感情を無視しているということになる。感情を蔑ろにして、杜撰な生活をして、杜撰な人になっていく。
☆
私はできないことがたくさんあるけれど、ほとんど唯一自信を持っていた書くことだけは見失わないようにしたいな。
P.S. 最後に、私の好きな秋の句を紹介する。
山頂に流星触れたのだろうか
第10回俳句甲子園最優秀句 愛知県立幸田高等学校 清田由香里
澄んだ秋の鮮やかな夜空を見つめている。
流星は山のてっぺんを通過し、どこかへ消えて行ってしまった。「山頂」というやや無骨な言葉。そして「触れる」という動詞から流星が草をかき分け地面のすれすれを通ったというイメージ。それを起点としてこの句は妄想を超え、物質的な臨場感を帯びてくる。作者も思わず「山頂に流星触れたのだろうか」と口にしたのではないだろうか。触れたか触れなかったか、一度流れた星は戻ってこず真相は分からない。しかしその迫力に圧倒されている。
私たちが平地で流星を見ていたその瞬間、同時に私たちは山頂にいて地面すれすれを星が飛ぶ映像を見つめている。私たちには届かない場所を見ることができるはずだから。
(小林すずめ)
【サークルプロフィール】
北大俳句会「えぞりす」
2021年設立。北海道にゆかりのある大学生・短大生・専門学生によって構成されている。年2回刊の有志機関誌『旗手』を発行(オンライン販売はhttps://hokudaihaiku.booth.pm/)。文学フリマ東京43(2026年11月8日)に出店予定。
Eメール:haiku.ezorisu@gmail.com
X:https://x.com/hokudaihaiku
Instagram:https://www.instagram.com/hokudai_haiku/
【執筆者プロフィール】
小林すずめ(こばやし・すずめ)
北大俳句会「えぞりす」所属
第2回杉野一博学生俳句大賞「肋木賞」 準大賞

今や200回以上もつづく吉田林檎さんの第12回目の記事。〈山頂に流星触れたのだろうか 清家由香里〉が取り上げられています。