軋みつつ花束となるチューリップ 津川絵理子【季語=チューリップ(春)】


軋みつつ花束となるチューリップ

津川絵理子


今日から三月。

ゆっくりと動き出していた春の息吹も、三月に入ると目に見えて感じるようになってくる。木や草が芽吹きはじめ、菫や蒲公英が地に色づき、春を知らせる沈丁花の香が 、どこからとなく漂ってくる。

部屋の中にも春を呼び込もう、と花舗に立ち寄り、白と黄色のチューリップを数本買った。

チューリップというと思い出すのが、

  チューリップ喜びだけを持つてゐる

という細見綾子の句。一点の陰りや憂いもなく、まさに喜びだけを持って咲いているようなその花の姿が詠みとめられている綾子の代表句の一つだ。

以前つとめていた出版社の本にこの句を載せたとき、入力の間違いで、「チューリップ喜びだけを待つてゐる」となってゲラが出てきたことがあった。寸前のところで気が付いたのだが、「待つてゐる」も句として成立するよね、これはこれでまた違った魅力があるね、とみんなであれこれ言っていた編集部でのやりとりを懐かしく思い出す。

「持つ」と「待つ」。たった一字の違い。

でも、「待つてゐる」チューリップは、待つ時間の分だけ、少し寂しいのかもしれない。

チューリップだけの花束を、いつの日か貰ってみたいと思っている。一本、一本、花束となるために寄せられて、触れ合うことで生まれる「軋み」。他の花ではけっして生まれることのないこの音なき音を、胸に抱いてみたい、と思っているのである。

日下野由季


【日下野由季のバックナンバー】
>>〔21〕来て見ればほゝけちらして猫柳    細見綾子
>>〔20〕氷に上る魚木に登る童かな      鷹羽狩行
>>〔19〕紅梅や凍えたる手のおきどころ    竹久夢二
>>〔18〕叱られて目をつぶる猫春隣    久保田万太郎
>>〔17〕水仙や古鏡の如く花をかかぐ    松本たかし
>>〔16〕此木戸や錠のさされて冬の月       其角
>>〔15〕松過ぎの一日二日水の如       川崎展宏 
>>〔14〕いづくともなき合掌や初御空     中村汀女
>>〔13〕数へ日を二人で数へ始めけり     矢野玲奈
>>〔12〕うつくしき羽子板市や買はで過ぐ   高浜虚子
>>〔11〕てつぺんにまたすくひ足す落葉焚   藺草慶子
>>〔10〕大空に伸び傾ける冬木かな      高浜虚子
>>〔9〕あたたかき十一月もすみにけり   中村草田男
>>〔8〕いつの間に昼の月出て冬の空     内藤鳴雪
>>〔7〕逢へば短日人しれず得ししづけさも  野澤節子
>>〔6〕冬と云ふ口笛を吹くやうにフユ    川崎展宏
>>〔5〕夕づつにまつ毛澄みゆく冬よ来よ  千代田葛彦
>>〔4〕団栗の二つであふれ吾子の手は    今瀬剛一
>>〔3〕好きな繪の賣れずにあれば草紅葉   田中裕明
>>〔2〕流星も入れてドロップ缶に蓋      今井 聖
>>〔1〕渡り鳥はるかなるとき光りけり    川口重美


【執筆者プロフィール】
日下野由季(ひがの・ゆき)
1977年東京生まれ。「海」編集長。第17回山本健吉評論賞、第42回俳人協会新人賞(第二句集『馥郁』)受賞。著書に句集『祈りの天』『4週間でつくるはじめてのやさしい俳句練習帖』(監修)、『春夏秋冬を楽しむ俳句歳時記』(監修)。



【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

horikiri