恋の句は少ない。読者に気付かれないように言葉を変化させて詠んでいるようにも思われる。恋の句にも作者ならではの仕掛けがありそうだ。
とどまれば我も素足の曼珠沙華
桃さくら股間にあそぶ煙かな
梅林やこの世にすこし声を出す
首すぢにほつと蛍の生まれけり
裂くような背中のうしろダリアかな
はくれんの吐く白昼の男なり
第二句集『ミロの鳥』で「俳句形式による喩の可能性を追求したい」と述べた作者は、その後、言葉を組み合わせた際のざらつきのようなものに興味を抱くようになる。通常であれば、ざらつきを解消するよう推敲するのであるが、さらに飛躍させているように見受けられる。それにより、読者の想像の幅を広げさせ、楽しませることとなった。
愛人を水鳥にして帰るかな あざ蓉子(『猿楽』)
水鳥は冬の季語である。水に浮かぶ鳥全般のことであるが、鴨や雁、鴛鴦、白鳥など、越冬するために飛来した冬鳥が多い。冬場の池や湖は水鳥で賑わい、寝ながら浮かぶ浮寝鳥の姿も風情がある。掲句は、愛人を水鳥にして水辺に置いて帰るという内容だ。バレエの『白鳥の湖』は、悪魔の呪いにより昼は白鳥の姿になり、夜は人の姿に戻る王女の恋の話である。白鳥を人の化身とする物語は世界各地にあり、日本でも英雄ヤマトタケルノミコトが死後、白鳥になってっ飛びたった伝説がある。グリム童話の『森の中の三人のこびと』では、王の恋人が鴨に姿を変える場面がある。水鳥のふくよかな体形は、どちらかといえば女性的である。掲句は、「白鳥の湖」のように夜にしか逢えない愛人を水鳥に喩えたのであろうか。水鳥には、あてどなく漂うイメージがある。
友人の話である。二十代半ばの頃、美人の友人は有名人男性と交際していた。有名人男性には、同棲七年目の恋人がいた。いわば内縁の妻で、苦労をかけてきたこともあり、別れる気はないらしかった。そのため友人は、愛人のような影の存在であった。ある時、内縁の妻から電話が掛かってきて「あの人と別れて下さい」と言われた。さらには、部屋に押しかけてきて「あの人に付きまとうのは止めて下さい。迷惑です」と言われた。有名人男性からは後日、「アイツが来たんだってね。ごめんね。気にしなくていいから」と連絡があった。その日以降、有名人男性とは、逢える日も逢える時間も少なくなっていった。二週間以上連絡が途絶えることもあった。ひたすら連絡を待つことに疲れた友人は、夕方になると近所の公園の池で缶ビールを飲んで時間をつぶすようになった。立冬を過ぎた日のことである。学生風の男の子が「お姉さん、一緒に飲んでもいいですか?」とベンチの隣に腰かけてきた。ビニール袋には缶ビールが沢山入っていた。「学生さんかしら。酔ってるの?」「仲間達に裏切られて淋しくて飲んでます。今の僕は、ひとりぼっちで泳いでいるあの首の青い鴨みたいな気分です」。池には鴨の群れが泳いでいた。その群れから離れて泳ぐ一匹の鴨が外灯に照らされ、青緑の首をてらてらと光らせていた。「男性同士でも裏切りとか仲間外れみたいなことってあるのね。それって淋しいことなの?仲間がいないほうが楽じゃない?」「お姉さん、大人ですね。僕は一人だと淋しいし、何をしていてもつまらないですよ」「そうかしら。無理して仲間に合わせているほうが、淋しくて退屈だけれど」「そっか。だからお姉さんは、一人で飲んでるんだ。僕、邪魔しましたね」「でも、あなたと話してるのは楽しいわよ。やっぱり私も淋しかったのかな」「じゃあ、淋しい時はまた僕とここで一緒に飲みましょう」。
それから学生の男の子とは、時々公園のベンチで飲むようになった。「鴨にもいろんな種類があるんですね。やっぱり同じ種類で群れるんですね」「前は、アヒルもいたのよ。この前一匹で泳いでいた青首の鴨は、アヒルのパートナーだったの。本来は渡り鳥なのに、アヒルのために留鳥になったの」「アヒルは死んだのですか?」「分からないわ。いなくなっちゃたの」「じゃあ、お姉さんが青首鴨の恋人になってあげたらいいじゃないですか」「本当にそうできたらいいけど。秘密の恋人が水鳥だったら浮気にはならないわよね」「僕も変なことを言うけど、お姉さんもそうとう変わった人だね」。
木枯しが吹き去って、クリスマスが近づいた頃、男の子は仲間達と仲直りをしたらしく、池に姿を現さなくなった。「渡り鳥のような男の子だったな」。その代わり、ひとりぼっちの青首鴨が近くを泳ぎ、話しかけてくるようになった。「恋人が水鳥だったら良かったのに。そうじゃないな。私が水鳥だったらよかったのかな」。そんなことを呟いた夜、有名人男性が部屋にやってきた。久しぶりに逢う秘密の恋人は、ひとりぼっちの青首鴨に似ていた。「ねえ、あなたって、昼間は鴨だったりしない?」「鴨?そういう君こそ瞳が大きくて、首がしなやかで、水鳥みたいだよ。口をとがらせて話すところは、アヒルみたいだ。可愛い僕のアヒルちゃんさ」。友人は思った。ひとりぼっちの青首鴨が自分の恋人になってくれる代わりに、自分が青首鴨のかつての恋人であったアヒルになれたらいいのにと。そしたら、有名人男性と別れることができるのに。外では、夜の鴨が騒いでいた。あの男の子も今頃は仲間達と騒いでいるのだろう。
(篠崎央子)
【篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】
【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。

【篠崎央子のバックナンバー】
>>〔191〕胸中に何の火種ぞ黄落す 手塚美佐
>>〔190〕猿のように抱かれ干しいちじくを欲る 金原まさ子
>>〔189〕恋ふる夜は瞳のごとく月ぬれて 成瀬正とし
>>〔188〕虫の夜を眠る乳房を手ぐさにし 山口超心鬼
>>〔187〕戀の數ほど新米を零しけり 島田牙城
>>〔186〕霧まとひをりぬ男も泣きやすし 清水径子
>>〔185〕嘘も厭さよならも厭ひぐらしも 坊城俊樹
>>〔184〕天上の恋をうらやみ星祭 高橋淡路女
>>〔183〕熱砂駆け行くは恋する者ならん 三好曲
>>〔182〕恋となる日数に足らぬ祭かな いのうえかつこ
>>〔181〕彼とあう日まで香水つけっぱなし 鎌倉佐弓
>>〔180〕遠縁のをんなのやうな草いきれ 長谷川双魚
>>〔179〕水母うく微笑はつかのまのもの 柚木紀子
>>〔178〕水飯や黙つて惚れてゐるがよき 吉田汀史
>>〔177〕籐椅子飴色何々婚に関係なし 鈴木榮子
>>〔176〕土星の輪涼しく見えて婚約す 堀口星眠
>>〔175〕死がふたりを分かつまで剝くレタスかな 西原天気
>>〔174〕いじめると陽炎となる妹よ 仁平勝
>>〔173〕寄り添うて眠るでもなき胡蝶かな 太祇
>>〔172〕別々に拾ふタクシー花の雨 岡田史乃
>>〔171〕野遊のしばらく黙りゐる二人 涼野海音
>>〔170〕逢ふたびのミモザの花の遠げむり 後藤比奈夫
>>〔169〕走る走る修二会わが恋ふ御僧も 大石悦子
>>〔168〕薄氷に書いた名を消し書く純愛 高澤晶子
>>〔167〕約束はいつも待つ側春隣 浅川芳直
>>〔166〕葉牡丹に恋が渦巻く金曜日 浜明史
>>〔165〕さつま汁妻と故郷を異にして 右城暮石
>>〔164〕成人の日は恋人の恋人と 如月真菜
>>〔163〕逢はざりしみじかさに松過ぎにけり 上田五千石
>>〔162〕年惜しむ麻美・眞子・晶子・亜美・マユミ 北大路翼
>>〔161〕ゆず湯の柚子つついて恋を今している 越智友亮
>>〔160〕道逸れてゆきしは恋の狐火か 大野崇文
>>〔159〕わが子宮めくや枯野のヘリポート 柴田千晶
>>〔158〕冬麗や泣かれて抱けば腹突かれ 黒岩徳将
>>〔157〕ひょんの笛ことばにしては愛逃ぐる 池冨芳子
>>〔156〕温め酒女友達なる我に 阪西敦子
>>〔155〕冷やかに傷を舐め合ふ獣かな 澤田和弥
>>〔154〕桐の実の側室ばかりつらなりぬ 峯尾文世
>>〔153〕白芙蓉今日一日は恋人で 宮田朗風
>>〔152〕生涯の恋の数ほど曼珠沙華 大西泰世
>>〔151〕十六夜や間違ひ電話の声に惚れ 内田美紗
>>〔150〕愛に安心なしコスモスの揺れどほし 長谷川秋子
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>>〔148〕夏山に噂の恐き二人かな 倉田紘文
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>>〔144〕ぬばたまの夜やひと触れし髪洗ふ 坂本宮尾
>>〔143〕蛍火や飯盛女飯を盛る 山口青邨
>>〔142〕あひふれしさみだれ傘の重かりし 中村汀女
