赤富士のやがて人語を許しけり
鈴木貞雄
歳時記の解説によると赤富士は日の出によって富士山が赤く染まることをさすという。どうして夏の季語なのか(避暑客が喧伝したからという解説も見たが)、なぜ真っ赤に染まるのか長らく合点がいかなかったが、最近やっと解決した。
赤富士は年に数回しか見ることができないらしい。前日に雨が降り、当日は晴れていることが条件だ。雨で山肌が濡れているために色がしっかりと映えることに加え、まだ麓の緑がはっきりしない日の出の間は最も山頂付近の赤の発色が良いから赤富士なのだ。朝日が照らすくらいでは赤くならない。
いつか見に行こうと山中湖の天気をチェックしていたが、両方の条件が揃う日をなかなか見つけられぬまま9月になってしまった。
そんな矢先、台風がやってきた。そうだ!台風一過こそ最高のチャンスではないかと思い立ち、深夜に家を出た。月光の富士にも魅せられたが、山道を照らす灯りがあまりにも明るく、昨今の軽装登山問題が思われ少し興ざめするところもあった。
その晩は逆さ富士が見えるという平野の浜に車中泊した。暗闇の湖畔、窪みにはまってもうJAFのお世話になるしかないかとも思ったが家人に押してもらってそうっとバックしたら脱出できた。湖畔は学生らしき人たちの花火で賑わっていた。降ってきそうな星空。標高982m の夜空の実力を堪能した。
日が昇る前からなんとなく赤いのだが、やはり日の出の瞬間が一番赤い。日が昇り、世界に色が増えてくるとその赤も沈んでしまう。山中湖から立ち昇る霧は濃く、白い筋が立ち並んだようであった。
赤富士のやがて人語を許しけり
赤富士との対峙は、人が介入する隙を許さない。少しの間に富士は色を変えてしまうのだ。その中でも最も赤い瞬間を探して、ひたすら見つめる以外にやることはないのである。私が見に行った当日は学生たちもはしゃぐのを休んでいたかもしれないが、人のことに構っている余裕がなかったので彼らの動向は記憶にない。
集中力が途切れて会話を始める頃には富士の赤は薄れ、湖畔の景色もはっきり見えている。人語を許すということはそれまで赤富士を見ることにあまりにも集中し、話ができるような状態ではなかったということを指し示す。
雪の富士に朝日や夕日が映えたものは「紅富士」という別の呼び名がついている。だから赤富士は夏だけなのだ。それも見てみたいが、さすがに紅富士は車中泊では厳しいか。
『月明の樫』所収。
※2009年刊の復刻版を参照しました。
山中湖には白鳥が
富士には月見草
(吉田林檎)
【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)。
【吉田林檎さんの句集『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)はこちら ↓】
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