お山のぼりくだり何かおとしたやうな 種田山頭火

お山のぼりくだり何かおとしたやうな

種田山頭火


 「からだじゅう全ての毛穴をかっぴらいて、五感全てで森羅万象を受け止める」

 私が俳句を詠むときの感覚を大仰に言葉にすると、こんな感じだ。この感覚は、俳句を始めたばかりの頃からずっともちあわせていたのではなく、ある俳人の句との出会いがきっかけで身につけた。その俳人が、種田山頭火だ。小学校か中学校の国語の授業で〈分け入つても分け入つても青い山〉を勉強したときは正直、句意も面白さもよくわからなかった。2年前、愛媛県松山市の一草庵を訪れたとき初めて、私は山頭火という俳人と“出会う”ことになる。

2023年1月9日、松山市にて撮影

 

 一草庵は、山頭火の終のすみかである。まるくて少し背の低い山を背にして、大きな神社の隣に一草庵はある。質素な建物には案内人の方がいて、山頭火についてさまざま教えていただいた。そこで山頭火という人と、その句に惹かれ、NPO法人まつやま山頭火倶楽部が2022年に発行した『遍路行』を購入した。昭和14年10月から12月までの自筆原稿『遍路行』にまとめられた句と、山頭火が自選する前の原稿『句日記』および『四国遍路日記』の句が掲載されている。月刊誌『大耕』に昭和60年に大山澄太が掲載したシリーズ「山頭火の四国へんろ」も、山頭火を理解するために欠かせない文章である。本稿で取り上げる句は、この『遍路行』から引いたものだ。

  秋晴れひよいと四国へ渡つて来た

 山頭火は昭和14年に最後の行乞である四国遍路に出た。その旅の始まりの句である。定型句の方に慣れ親しんでいる私などであれば、「秋晴や」などとして韻律を整えそうだが、切れ字を使わないことで軽いリズムが生まれ、「ひよいと」の軽さがよく伝わる。この、軽さのあるリズムが山頭火の句の特徴だと思う。山頭火のような自由律は私は詠まない(あるいは、詠めない)が、この軽さが好きだ。難しい言葉を使うのではなく、軽い言葉、軽いリズムで詠む。でもその句意は決して軽薄ではない。

  枯草しいて月をまうへに

 山頭火の四国遍路は木賃宿という簡素な宿に泊まったり、野宿をしたり、とにかく厳しいものだった。特に野宿はつらいものだったらしく、句にも日記にも言及が少なくない。この句は定型からかなり離れていて、「何もないところに言葉を置いた」という感じがする。その置き方に過不足はなく、詩情にあふれる。枯草を敷布団にして寝転がったら、月が真上にあったという。寂しい野宿の景である。世界で最も短い詩である俳句の、いちばん削ぎ落した、核だけが置かれている形の句だと思う。いつもの五七五のリズム、十七音のリズムでないから、読むときの感覚もいつもと違う。慣れたリズムから離れて、素っ裸の自分一人だけで、対面しなければならない。山頭火の句を読むときは、そういう孤独感みたいなものが必要だと思う。

  泊るところがないどかりと暮れた

 独り言のような句だ。つぶやきを書いただけのようで、でも、詩だ。「どかりと」暮れる世界は大きくて、その中にいる自分は、「泊るところがない」。自分の小ささとか、孤独感が伝わってくる。この独り言のような短い詩は、何も飾ることなく、山頭火の心の内をそのまま露わにさせたかのようだ。だから、読み手である自分も、何も飾らず、ありのままの心で対峙して、全身の全ての感覚で受け止めなければならない。

  お山のぼりくだり何かおとしたやうな

 全体的にやわらかな言葉づかいの句だ。日記によれば、これは手拭いを落としたらしい。いくつもの山を越えるうちに、何か落としたかもしれない。それは手拭いだとわかっているけれど、今から引き返すわけにもいかないから、「何か」と一般化して忘れてしまう。そして、歩き続ける。小さい子でもわかるようなこの平易な言葉の中に、山頭火の人柄や遍路の厳しさがつまっている。この句は11月1日の句だが、10月23日には〈旅のつかれの、何かおとしたやうな〉という句がある。このときはまた別の「何か」を落としたのかもしれない。何度も「何か」を落とすたびに、その一つ一つの個性や記憶を捨象して「何か」と詠むようになったのだろうか。手拭いのような具体物だけではなく、付随していろいろな「何か」を落として、自分から不要なものをどんどん削いでいったのかもしれない。だから山頭火の句には、核だけが置かれていて、読み手もまた、自分の核を露わにさせて読むことが求められるのかもしれない。

  お手手こぼれるその一粒一粒をいただく

 お母さんに抱かれている子どもが、山頭火の持つ袋に米を入れてくれたところ、いくつか米が地面に落ちてしまった。それを一粒一粒拾って、この句を詠んだという。一草庵の案内人の方もそのエピソードを話されていて、これは山頭火の人柄をよく表しているのだと思う。「お手手」と「一粒一粒」という繰り返しの言葉があって、米を分けてくれたその子どもにも、米にも、愛情や感謝をもっていることが伝わってくる。「その」や「いただく」の言葉の丁寧さもよい。この境地に私は生涯かかっても達することはできないだろう。

  水もころころ山から海へ

 「ごろごろ浜」と前書きがある。高知県室戸岬の北東方向にある東洋町というところに、「ごろごろ浜」はある。ごろごろとした石が落ちていることからそう呼ばれるらしい。この句は、山頭火の句の中でも短い方の句だ。助詞「も」は重たくなることも多く、俳句で使うときは慎重になるが、この句では「も」が効いている。石がごろごろとあるごろごろ浜で、水「も」ころころと山から海へ、川という形で旅をしてくる。「ごろごろ」よりも軽く「ころころ」と旅するものは、水だけではないことは、ここまでの山頭火の句を読んでいれば想像がつく。季語もなく、定型からも離れたこの句から、何を受けとることができるだろう。まさしく一草庵のように簡素な句だからこそ、読み手側の立ち方というか、心のあり方が試されるような気がする。

 ここまで、山頭火の句を読むときの感覚を、上手く言葉にできた自信はない。ただ、季語や定型に必ずしも依らないからこそ、何にも頼らない、山頭火のすべてが、底までよく透き通って見えるような感覚がある。そんな山頭火の句を読むには、読み手自身も、作者である山頭火と同じように、何にも頼らずに、底まで見えるような素直な心をどうにか掘り起こしてきて、いらないものを取り払わなければならない。そして、そうやって『遍路行』を読み終わったとき私は、作句のときにも、自分を飾らず、感じうるもの全てをありのままに感じ、素直に言葉に表現しようとする思考様式が身体にインストールされていた。

島崎寛永


【執筆者プロフィール】
島崎寛永(しまざき・ひろなが)
2002(平成14)年、北海道札幌市に生まれる。2017(平成29)年、俳句を始める。2019(令和元)年、雪華に入会。2020(令和2)年、大学進学のため茨城県へ。ポプラに入会。2025(令和7)年、雪華同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



【2025年2月のハイクノミカタ】
〔2月1日〕山眠る海の記憶の石を抱き 吉田祥子
〔2月2日〕歯にひばり寺町あたりぐるぐるする 平田修
〔2月3日〕約束はいつも待つ側春隣 浅川芳直
〔2月4日〕冬日くれぬ思ひ起こせや岩に牡蛎 萩原朔太郎
〔2月5日〕シリウスを心臓として生まれけり 瀬戸優理子
〔2月6日〕少し動く/春の甍の/動きかな 大岡頌司
〔2月7日〕無人踏切無人が渡り春浅し 和田悟朗
〔2月8日〕立春の佛の耳に見とれたる 伊藤通明
〔2月9日〕はつ夏の風なりいっしょに橋を渡るなり 平田修
〔2月11日〕追羽子の空の晴れたり曇つたり 長谷川櫂
〔2月12日〕体内にきみが血流る正坐に耐ふ 鈴木しづ子
〔2月13日〕出雲からくる子午線が春の猫 大岡頌司
〔2月14日〕白驟雨桃消えしより核は冴ゆ 赤尾兜子
〔2月15日〕厄介や紅梅の咲き満ちたるは 永田耕衣
〔2月16日〕百合の香へすうと刺さってしまいけり 平田修
〔2月18日〕古本の化けて今川焼愛し 清水崑
〔2月19日〕知恵の輪を解けば二月のすぐ尽きる 村上海斗
〔2月20日〕銀行へまれに来て声出さず済む 林田紀音夫
〔2月21日〕春闌けてピアノの前に椅子がない 澤好摩
〔2月22日〕恋猫の逃げ込む閻魔堂の下 柏原眠雨
〔2月23日〕私ごと抜けば大空の秋近い 平田修
〔2月24日〕薄氷に書いた名を消し書く純愛 高澤晶子
〔2月25日〕時雨てよ足元が歪むほどに 夏目雅子
〔2月26日〕お山のぼりくだり何かおとしたやうな 種田山頭火


【2025年1月の火曜日☆野城知里のバックナンバー】
>>〔1〕マルシェに売る鹿の腿肉罠猟師 田中槐
>>〔2〕凩のいづこガラスの割るる音 梶井基次郎
>>〔3〕小鼓の血にそまり行く寒稽古 武原はん女
>>〔4〕水涸れて腫れるやうなる鳥の足 金光舞

【2025年1月の水曜日☆加藤柊介のバックナンバー】
>>〔5〕降る雪や昭和は虚子となりにけり 高屋窓秋
>>〔6〕朝の氷が夕べの氷老太陽 西東三鬼
>>〔7〕雪で富士か不二にて雪か不尽の雪 上島鬼貫
>>〔8〕冬日宙少女鼓隊に母となる日 石田波郷
>>〔9〕をちこちに夜紙漉とて灯るのみ 阿波野青畝

【2025年1月の木曜日☆木内縉太のバックナンバー】
>>〔5〕達筆の年賀の友の場所知らず 渥美清
>>〔6〕をりをりはこがらしふかき庵かな 日夏耿之介
>>〔7〕たてきりし硝子障子や鮟鱇鍋 小津安二郎
>>〔8〕ふた葉三葉去歳を名残の柳かな 北村透谷
>>〔9〕千駄木に降り積む雪や炭はぜる 車谷長吉

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