天国は歴史ある国しやぼんだま
島田道峻
僕が小学校に通っていた頃、まだ低学年の時だったと思うが、クラスでとある手遊びが流行った。まず、名前の文字数分、利き手の人差し指で、もう一方の手の指先と指の股を辿る。続いて、同じ要領で、「天国・地獄・大地獄」と繰り返し唱えながら、名前の文字数分だけ指を動かすのだ。例えば松尾芭蕉だったら、「マ・ツ・オ・バ・シ・ヨ・ウ」と唱えながら、親指の先、親指と人差し指の間、人差し指の先、人差し指と中指の間と辿っていって、薬指の先に行き着く。そして、天国、地獄、大地獄ともう一度辿っていくと、「天国」と言ったところで指が止まる。「天国」と言ったところで指が止まった人は天国に行けて、「地獄」とか「大地獄」とか言ったところで指が止まった人は、漏れなく地獄に落ちる、「大地獄」になった人はより苦しむという、そんな言いがかりを付ける遊びだ。
誰が最初に言い始めたのか、どこから仕入れてきた遊びなのか全く分からない。でも、子どもというのは一度その遊びを覚えたら、なかなか歯止めが利かない。出席番号に沿って、クラスメイトみんながその遊びの餌食になる。出席番号がクラスで一番目か二番目くらいに遅い僕は、どきどきしながらその様子を眺めていた。
僕の名前は「ワ・カ・バ・ヤ・シ・テ・ツ・ヤ」と8文字。そう、天国、地獄、大地獄と辿ると、地獄に行き着く。いよいよ僕の番がやってくると、「哲哉は地獄に行くんだって」と、クラスメイトの中でも比較的やんちゃな子が囃し立てる声が響いた。
そして子どもは残酷で、クラスメイトを「天国」、「地獄」、「大地獄」と分類すると、グループが出来上がるのだ。「天国」の子は、「地獄」や「大地獄」に分類されてしまった子に対して、冷たく接し始める。暴言を吐いたり、仲間外れにしたり。いつしか僕は、ぼんやりと「僕はいずれ地獄に落ちるのかな」と思い始めていた。名前の文字数で地獄に行くことが決まるなんてと呪った。でも、「大地獄」に分類されてしまった仲良しのクラスメイトから「哲哉はまだマシだよ。僕なんて大地獄だもん」と言われて、どう返して良いか分からなくなってしまった記憶もある。
今、思い返してみれば、実に馬鹿馬鹿しい。そもそも天国とは何か、地獄とは何か、生きるとか死ぬとはどういうことか、よく分かっていない子ども達の戯言でしかない。でも、天国は良いところで、地獄は行きたくないところ、大地獄はもっと行きたくないところ――少なくともそんな認識がなんとなくあった。
さて、掲句は、第42回兜太現代俳句新人賞にて佳作となった島田道峻『放鳩』の一句である。天国が本当に存在するとしたら、一体、どれだけの人がそこへ行ったのだろう。今や一つの国、それはそれは居心地のよい国を成しているに違いない。一方で「歴史ある国」と言った時、「歴史」とは人類の営みに付与されるものである。死後の世界、すなわち人類の預かり知らぬ世界であるはずの天国が、「歴史ある国」であるとはどういうことだろう。人類の信仰が形作る世界が「天国」であるということではないだろうか。「天国」とはそもそもキリスト教などにおいて善行を積んだものが死後に行く世界とされているが、「天国」という言葉だけを拾えば、もっと一般的に言うところの理想郷、つまり人類が思い描く苦しみの無い世界を指すように思われる。とはいえ、「しやぼんだま」。突けば弾けてしまうような安楽の世界なのである。だからこそ、触れるまでのきらめきは何にも代えがたい。それに縋っていたいと思わせる。
今回引用する歌詞は、ピノキオピー『ノンブレス・オブリージュ』から。
自己中の光線銃 乱射する 強者のナンセンス
オートクチュールで作る 殺しのライセンス
分断を生んじゃった椅子取りゲーム 無痛分娩で授かるベイブ
壮大な内輪ノリを歴史と呼ぶ
(若林哲哉)
【執筆者プロフィール】
若林哲哉(わかばやし・てつや)
1998年生まれ、「南風」同人(編集部)。第14回北斗賞受賞。第一句集『漱口』、鋭意制作中。
【2025年4月のハイクノミカタ】
〔4月1日〕竹秋の恐竜柄のシャツの母 彌榮浩樹
〔4月2日〕知り合うて別れてゆける春の山 藤原暢子
〔4月3日〕ものの芽や年譜に死後のこと少し 津川絵理子
〔4月4日〕今日何も彼もなにもかも春らしく 稲畑汀子
〔4月5日〕風なくて散り風来れば花吹雪 柴田多鶴子
〔4月6日〕木枯らしや飯を許され沁みている 平田修
〔4月8日〕本当にこの雨の中を行かなくてはだめか パスカ
〔4月9日〕初蝶や働かぬ日と働く日々 西川火尖
〔4月10日〕ヰルスとはお前か俺か怖や春 高橋睦郎
〔4月11日〕自転車がひいてよぎりし春日影 波多野爽波
〔4月12日〕春眠の身の閂を皆外し 上野泰
〔4月15日〕歳時記は要らない目も手も無しで書け 御中虫
〔4月16日〕花仰ぐまた別の町別の朝 坂本宮尾
〔4月17日〕殺さないでください夜どほし桜ちる 中村安伸
〔4月18日〕朝寝して居り電話又鳴つてをり 星野立子
〔4月19日〕蝌蚪一つ落花を押して泳ぐあり 野村泊月
〔4月20日〕人體は穴だ穴だと種を蒔くよ 大石雄介
〔4月22日〕早蕨の袖から袖へ噂めぐり 楠本奇蹄
〔4月23日〕夜間航海たちまち飽きて春の星 青木ともじ
〔4月24日〕次の世は雑木山にて芽吹きたし 池田澄子
〔4月25日〕ゆく春や心に秘めて育つもの 松尾いはほ
〔4月26日〕山鳩の低音開く朝霞 高橋透水
〔4月27日〕ぼく駄馬だけど一応春へ快走中 平田修
〔4月28日〕寄り添うて眠るでもなき胡蝶かな 太祇
〔4月29日〕造形を馬二匹駆け微風あり 超文学宣言
〔4月30日〕春の夢遠くの人に会ひに行く 西山ゆりこ
【2025年3月のハイクノミカタ】
〔3月1日〕木の芽時楽譜にブレス記号足し 市村栄理
〔3月2日〕どん底の芒の日常寝るだけでいる 平田修
〔3月3日〕走る走る修二会わが恋ふ御僧も 大石悦子
〔3月4日〕あはゆきやほほゑめばすぐ野の兎 冬野虹
〔3月5日〕望まれて生まれて朧夜にひとり 横山航路
〔3月6日〕万の春瞬きもせず土偶 マブソン青眼
〔3月8日〕下萌にねぢ伏せられてゐる子かな 星野立子
〔3月9日〕木枯らしの葉の四十八となりぎりぎりでいる 平田修
〔3月10日〕逢ふたびのミモザの花の遠げむり 後藤比奈夫
〔3月11日〕落花無残にみやこは遠き花嵐 秦夕美/藤原月彦
〔3月12日〕春嵐たてがみとなる筑波山 木村小夜子
〔3月14日〕のどかにも風力7の岬です 藤田哲史
〔3月15日〕囀に割り込む鳩の声さびし 大木あまり
〔3月17日〕腸にけじめの木枯らし喰らうなり 平田修
〔3月18日〕春深く剖かるるさえアラベスク 九堂夜想
〔3月19日〕寄り合つて散らばり合つて春の雲 黛執
〔3月20日〕Arab and Jew /walk past each other:/blind alleyway Rick Black
〔3月22日〕山彦の落してゆきし椿かな 石田郷子
〔3月23日〕ひまわりの種喰べ晴れるは冗談冗談 平田修
〔3月24日〕野遊のしばらく黙りゐる二人 涼野海音
〔3月25日〕蚕のねむりいまうつしよで呼ぶ名前 大西菜生
〔3月26日〕宙吊りの東京の空春の暮 AI一茶くん
〔3月27日〕さよなら/私は/十貫目に痩せて/さよなら 高柳重信
〔3月31日〕別々に拾ふタクシー花の雨 岡田史乃
【2025年2月のハイクノミカタ】
〔2月1日〕山眠る海の記憶の石を抱き 吉田祥子
〔2月2日〕歯にひばり寺町あたりぐるぐるする 平田修
〔2月3日〕約束はいつも待つ側春隣 浅川芳直
〔2月4日〕冬日くれぬ思ひ起こせや岩に牡蛎 萩原朔太郎
〔2月5日〕シリウスを心臓として生まれけり 瀬戸優理子
〔2月6日〕少し動く/春の甍の/動きかな 大岡頌司
〔2月7日〕無人踏切無人が渡り春浅し 和田悟朗
〔2月8日〕立春の佛の耳に見とれたる 伊藤通明
〔2月9日〕はつ夏の風なりいっしょに橋を渡るなり 平田修
〔2月11日〕追羽子の空の晴れたり曇つたり 長谷川櫂
〔2月12日〕体内にきみが血流る正坐に耐ふ 鈴木しづ子
〔2月13日〕出雲からくる子午線が春の猫 大岡頌司
〔2月14日〕白驟雨桃消えしより核は冴ゆ 赤尾兜子
〔2月15日〕厄介や紅梅の咲き満ちたるは 永田耕衣
〔2月16日〕百合の香へすうと刺さってしまいけり 平田修
〔2月18日〕古本の化けて今川焼愛し 清水崑
〔2月19日〕知恵の輪を解けば二月のすぐ尽きる 村上海斗
〔2月20日〕銀行へまれに来て声出さず済む 林田紀音夫
〔2月21日〕春闌けてピアノの前に椅子がない 澤好摩
〔2月22日〕恋猫の逃げ込む閻魔堂の下 柏原眠雨
〔2月23日〕私ごと抜けば大空の秋近い 平田修
〔2月24日〕薄氷に書いた名を消し書く純愛 高澤晶子
〔2月25日〕時雨てよ足元が歪むほどに 夏目雅子
〔2月27日〕お山のぼりくだり何かおとしたやうな 種田山頭火
〔2月28日〕津や浦や原子爐古び春古ぶ 高橋睦郎