水飯や黙つて惚れてゐるがよき 吉田汀史【季語=水飯(夏)】

水飯や黙つて惚れてゐるがよき

吉田汀史
(『海市』)

作者は昭和6年、徳島市生まれ。昭和23年、今枝蝶人主宰の「向日葵」に入会。昭和40年、今枝蝶人が創刊した「航標」に参加。昭和46年、能村登四郎主宰の「沖」入会、のちに退会。昭和57年、今枝蝶人死去により、「航標」主宰を継承。句集に『浄瑠璃』『遊猟』『一切』『海市』がある。エッセイ集に『三畳雑記』『一句の周辺』など。

吉田汀史が「沖」に入会したのは40歳頃であったが、すでに俳壇では話題の俳人であった。当時の「沖」の新人は、表現の強さに圧倒されたという。十代の頃に戦争を体験し、終戦を迎えた記憶は、汀史の俳句表現に大きな影響を与えた。

  戰死とは夭折のことゆきのした

  毛虫焼く火や沖縄の焼かれし火

  蟬しぐれ防空壕は濡れてゐた

  秋遍路硫黄島から来たと言ふ

  戰死者の妻も死にけり冬干潟

  雪女郎いくさに死んだ男呼ぶ

  日の丸の闇に垂れゐる姫始

  傀儡師消え戦争が始まった

戦争の記憶は残酷な描写を生むようになる。生々しさを伴う表現は、言葉の強さとなった。怖い俳句には、人を惹きつける魔力がある。

  短夜のゆめ銃殺の銃一列

  眼の玉の数おそろしき花火の夜

  殺されし木偶が寝てゐる秋の昼

  近松忌手に掛けるとは殺すこと

  鯛焼のはらわた黒し夜の河

  夜も黄沙降るやいづこに放火犯

  干鰈叩き両の目つぶしけり

  深海に軍艦腐る磯遊び

  死ぬために病院へ行く蝶の昼

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