海に出て木枯帰るところなし
山口誓子
徳島県阿南市は風の強いところであった。昨夜、JR徳島駅前のホテルに宿泊し、翌日、車で阿南市へ向かった。阿南市は徳島県の南東に位置し東は紀伊水道と太平洋に面している。徳島市から行く場合、橋をいくつか渡らなければならない。道中の橋の中腹で強風が吹き、車が少し横へ流された。咄嗟にハンドルを握る手が強くなった。地元の人が今日は風が強いと言っていたので、いつもはこんなに吹かないのだろう。午後の飛行機が無事に離陸できるのか少し不安になった。
海に出て木枯帰るところなし 山口誓子
山口誓子の代表句である。『現代俳句大辞典(三省堂)』の解釈では、「陸で猛威をふるっていたが、海に出ると吹き枯らすものがなくなり木枯でなくなった。(中略) 万物はやがて無に帰するという絶望感がこもる」とある。興味深いところは「木枯帰るところなし」という擬人的表現である。たとえば、木枯くんが荒波のなか沖に出てしまい、戻るところがなくなってしまったという哀愁を感じる。また、解釈のなかで、「吹き枯らすものがなくなり木枯でなくなった」という表現は、木枯は吹き枯らす対象があって初めて木枯になるという発見もある。木枯(凩)とは「冬の初めに吹く強い風で、たちまち木の葉を吹き落とし枯木にしてしまう『ホトトギス第三版新歳時記』」とある通り、木枯は木の葉を吹き飛ばし枯木にしてしまうほどの強い風のことであるが、そもそも海に木が無いので、海に出た途端木枯が木枯ではなくなる、自己否定感もある。先の解釈では「絶望感」と言っているが、同時に虚無感をも彷彿させる、奥深い鑑賞のできる句である。
さて、午後のフライトは無事に離陸したものの、強風による揺れが続き、私はいつの間にか気を失っていた。気が付くと機内の飲み物サービスは終わり、着陸態勢に入っていた。私には帰るところがあり、無事に帰ることができることに安堵し、再び瞼を閉じた。
(塚本武州)
【執筆者プロフィール】
塚本武州(つかもと・ぶしゅう)
1969 年、立川市生まれ。書道家の父親が俳号「武州」を命名。茶道家の母親の影響で俳句を始める。2000年〜2006年までイギリス、フランス、2011年〜2020年までドイツ、シンガポール、台湾に駐在。帰国後、本格的に俳句を習い、2021年4月号より俳誌『ホトトギス』へ出句。現在、社会人学生として、京都芸術大学通信教育部文芸コース及び博物館学芸員課程を履修中。国立市在住。妻と白猫(ユキ)の3人暮らし。
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