第三句集以後も精力的に俳句を詠み続け、平成11年には、現代俳句協会賞を受賞している。表現はさらに鋭くなり、高い詩情を放った。
陸の乾きはからだのかはき初硯
体内に螺鈿のうねり笙吹きぞめ
醉芙蓉生死(しょうじ)に遭ひし日の暮れを
鵙の贄ここより字(あざ)は黄泉となり
柩から脱け出で小春の水かげろふ
睡蓮わたるイエスとユダの白蹠
十二月八日黒黴が湾埋めつくす
〈からだのかはき〉〈体内の螺鈿のうねり〉など、身体感覚の句が目を惹く。〈生死〉〈黄泉〉〈柩〉などの死をテーマとした句には、深みが増している。〈イエスとユダ〉のようなキリスト教の句には、想像力が加わり恐ろしくも幻想的でもある。〈十二月八日〉の戦争の句もとても怖い。
沈丁の香を過ぎしより魔剣たり
絞められて落ちゆくあはひ花あけび
長藤に操らるるはわがどくろ
レンジ磨く月の愛撫を断ちきりて
〈魔剣〉〈絞められて〉〈どくろ〉などの怖い句は、物語的でもあり詩的でもある。〈レンジ磨く〉の句は、生活感のある表現から、〈月の愛撫〉という詩的で艶っぽい表現に展開し、
さらに〈断ちきりて〉で現実に戻る構造になっている。
愛子の句は、時に破調で難解な句もある。だが、鋭く心に突き刺さってくる。生涯にわたり、火と死と生をテーマとし、インパクトのある表現を残した。これだけの強い言葉を産み続けられたのは、心に火を飼っていたからであろうか。戦争体験を経て夫の病院経営という生と死を間近にした環境が怖い俳句を作りだしたのだろう。
蟻・とかげ声持たぬ愛はげしかり 熊谷愛子(『水炎』)
掲句の主たる季語は〈蟻〉である。蟻というと一匹の女王蟻のために数百匹の蟻が働いているイメージがある。調べてみると、蟻の愛はとても興味深い。蟻の交尾は「結婚飛行」と呼ばれ、蒸し暑い無風の夜に行われるらしい。空中で舞う女王蟻に対し複数のオス蟻が穴から飛び立ち、飛びながら交尾をする。交尾を終えたオスは間もなく死に、女王蟻は地上に降りて翅を落とし、新しい巣作りを始める。女王蟻が一生で交尾をするのは、この結婚飛行だけで、交尾で受け取った数千万から数億の精子は「受精嚢」と呼ばれる体内の袋に保管されるという。この蓄えた精子を使って生涯卵を産み続けるのだが、その期間は10年にも及ぶことがある。女王蟻は、オス蟻とメス蟻を生み分けることができ、生まれながらにして働き蟻とそうでない蟻が決まっている。蟻の社会は、人間社会に置き変えられることが多いが、人間社会よりも合理的である。蟻の愛は、種の保存が大前提の乱婚であり、女王蟻はオス蟻の全ての愛を受け止め、生涯をかけて種を残してゆく。繁殖行為が愛というのであれば、これほど激しい愛はない。
その蟻と同列に語られている〈とかげ〉についても簡単に調べてみた。とかげの交尾は、オスがメスに噛みついて行われる。時期的には、春から初夏の頃で、オスはメスを追いかけて尾や首に噛みつき、体を固定した状態で尾の付け根にある生殖器を挿入する。噛みつくとは、確かに激しい求愛行動である。
掲句は、蟻ととかげを並列させている共通点として〈声持たぬ愛〉という描写をしている。とかげは、種類によって鳴き声を発するものもあるが、ニホントカゲは声帯を持たないため鳴かない。対して蟻は、最新の研究により、鳴き声を発することが判明している。人間には聞こえないレベルの微小な音を出して仲間と会話をするらしい。その鳴き声は、「ワンワンワン」「ギュギョギュ」「キュルキュル」といった11種類以上の音声があり、使い分けがなされているとのこと。ただし、鳴き声による求愛はしない。なので、〈声持たぬ愛〉という表現は適切といえる。
人は、求愛の際には声を使う。会話だけでなく、喘ぎ声のような言語にならない声も発する。〈声持たぬ愛〉とは、逆にエロティックでもある。声というのは、愛を刺激するものであると同時に、気を逸らすこともある。声を発さないからこそ、愛に集中できるのだ。もしくは、声以外の方法で愛を伝えようとするため、より激しい行動となる。
作者が、熊谷愛子であることを踏まえると、〈声持たぬ愛〉もまた≪火≫である。鳥や虫、獣の多くは、鳴き声で求愛をする。発情期には、独特の声を競い合う。獣の延長上にいる人も声をあげる。その声はまさに火そのものである。しかし、「黙って怒る人ほど怖いものはない」ではないけれども、声を発しない愛は静かであるがゆえに激しさを感じさせるのである。物事の逆説をゆく、見事な句である。静かに燃える火ほど熱いものはない。
(篠崎央子)
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【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。

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