
かなかなの暮れて手をぬく厨ごと
添田みわ子
夕暮には、いつから夜になったのか分からない時間があります。
気づけば、先ほどまで空に残っていた色も、聞こえていた蜩の声もなくなっている。
掲句の「かなかなの暮れて」は、「暮れる」の主体が夕空だけではなく「かなかな」そのものにも重なって感じられ、蜩の声がだんだん薄くなり、とうとう夜へ吸い込まれてしまうような時間を感じさせます。
蜩の声が暮れていった
厨ごとの手を抜いた
二つの事実が置かれています。
読む側には、その前にあった夕方と、その後に来る長い静かな夜の両方が、夕暮の一点を境として開いてきます。
それは、蜩という季題そのものが可能にしているのではないでしょうか。
蜩は「鳴いている声」だけでなく、鳴き止んだときに、それまで鳴いていた時間まで意識させる虫でもあります。
そして「手をぬく」。
夕方には夕方の生活の流れがあり、その中で蜩が鳴いている。
人は台所にいる。やがて蜩も暮れる。
人間の一日もまた、ふっと緊張をほどいてゆく。
「手をぬく」が怠惰にも悲哀にも解放にも限定されていません。
ただ、一日の終わりに人間の手から少し力が抜けたという事実だけがあります。
「手をぬく」という非常に生活臭い言葉と、かなかなの声が消えてゆく繊細な時間とが、同じ場所にありながら、互いを美化することも、意味づけることもありません。ただその夕暮に起きた二つのことが並ぶ。その間から、言葉で説明されなかった暮らしの時間が立ち上がっています。
『円虹』令和七年十一月号 所収
(菅谷糸)
【執筆者プロフィール】
菅谷 糸(すがや・いと)
1977年生まれ。東京都在住。「ホトトギス」所属。日本伝統俳句協会会員。

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