影ひとつくださいといふ雪女 恩田侑布子【季語=雪女(冬)】


影ひとつくださいといふ雪女)

恩田侑布子

 人はなぜメジャーとマイナーを聞き分けられるのか。ピアニストの清塚信也が音にまつわる不思議の一つとして音楽バラエティ番組で問題定義していた。その謎に対する回答は出ていなかった。確かに音楽のプロでなくても聞き分けは出来ている。

 「蛍の光」を聞くと少し悲しい気持ちになる。卒業式で歌い、「蛍の光」は別れを伴う曲として心に刻まれているからだ。原曲はスコットランド民謡の「オールド・ラング・サイン」。同じ原曲でも閉店前によくかかるのは「別れのワルツ」としてリリースされている。三拍子に編曲されており、ゆったりとしていてどことなく悲しさに拍車がかかる。「悲しみなさい」と言われているようだ。この三拍子バージョンは映画「哀愁」で使われており、そのイメージに引っ張られていることも一部の人には寄与しているだろう。三拍子バージョンは「哀愁」での使用が最初だったようである。

 しかし「蛍の光」は曲としてはメジャー(長調)。曲調と感情のズレに長い時間をかけて慣れてしまったようだ。竹中直人の「笑いながら怒る人」という芸には散々笑わせてもらったが、我々も「蛍の光」を聞く度にメジャーコードで悲しんでいたのである。

  影ひとつくださいといふ雪女   恩田侑布子

 どことなく違和感がある。それは「影ひとつください」に集約されている。

 影を欲しがるということは雪女には影がないということが前提になる。影があるかどうかなど考えたことがなかったが、雪女は吹雪の日に登場するので、あるかないかで言えば「ない」が妥当に思える。だから欲しいのだろうが、もらえるかどうかは別問題である。影は受け渡しの出来るものではない。そのような曖昧な前提のもと、受け渡しの出来ない影を「ひとつ」と数えてしまっているのだ。ということは「ふたつ」もありえる?受け渡しが出来るかどうかという一つの問題が解決する前にもう次の話に進んでしまっている。

 「ください」にも違和感がある。雪女が丁寧語を使うことは全くないわけではないであろうが、「このことは誰にも話してはなりません」などと命令口調が印象的に使われているので、関係性でいうと雪女が上であると無意識に設定してはいないだろうか。だとすると「ください」のような下手に出るもの言いは似つかわしくないのである。小さな違和感の正体はその関係性にあるのではないだろうか。

 言葉遣いにはその発話者のキャラクターや聞き手との関係性がついてまわる。特に敬語にはそれが出やすい。無意識に固まってしまっていた様々な前提が一句の句に向き合うことで立ち上がった。似つかわしさをずらすことも表現の手法のひとつなのだ。「蛍の光」はどの程度その「ずらし」に意図が入っているのだろうか。

『はだかむし』(2022年刊)所収。

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


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