冬前にして四十五曲げた川赤い
平田修
(『血縁』1994(平成6)年ごろ)
厳寒という言葉があるように、冬は人間をはじめとする多くの動物にとって困難な季節である。多くの野生動物はエネルギーの消費を抑えるために棲み処へと閉じこもり、植物はその葉を落としてひたすら風や雪をやり過ごす。どれだけ気温が下がろうと毎日活動を続ける動物は、こと日本列島においては人間くらいのものだろう。
45歳といえば、いわゆる「中年」と呼ばれる年代である。僕はまだ中年までいくらかの時間を残しているが、無事に生き延びるという前提を立てれば僕にも中年が訪れることは確定している。おおむね寿命の半分を通過し(体感時間上の人生の折り返し地点は21歳であるというが)、身体や精神の随所に「若者」であった頃との差異を確かに感じる頃である、と人は言う。
その眼前には赤い川が流れる。前回紹介した〈俺の血が根っこでつながる寒い川〉と、ある種の世界観を共有しているようにも読める。曲がっているのは川であり、己である。加齢により身体が曲がることだけでなく、まっすぐ生きられない精神の歪曲とそこに込められた悔しさが烈しい色を伴って眼前の川に仮託されている。川は曲がっているのではなく、己の手で曲げてしまったのだ。己に流れる川を曲げ続けて生きてきた45の男が、今その人生の不可逆性を突き付けられる。冬が終われば春が来るという至極当たり前の循環構造にすら羨望の眼差しを向けるその背中は、物悲しく曲がっている。
平田は1947年頃の生まれ。存命であれば、今は70代後半となっている計算だ。この『血縁』という句群が制作されたのは1994年頃であるから、ひとつ前の句群『闇の歌』が1985年に発表されたことを踏まえると、『血縁』は平田が40代の頃に制作した句から構成されていることが推定できる。そして、この句群には自らの年齢を詠み込んだ句が頻出する。
涅槃西風生まれて沼の四十五へ
四十五白く無職していて冷蔵庫鳴る
死ねない四十五折り曲げて虫聞いた
四十四葉っぱの死に損ないの飯茶碗
日の綿に四十四うすく転がって
歯に生みし日みな寒く四十五へ
四十五だんごで春あをむけて
四十五闇に身を同じ血に
春の日の日へ四十七宙ぶらりん
暗い題材や言葉を多く用いる一方で、その多くは「涅槃西風」「葉っぱ」「日の綿」「春」といったやわらかな言葉と響き合う。中年を迎えた自らの人生に対する苦悩を包み込むには頼りない春の日差しが妙に物悲しい句群である。
平田は2006年、60代を待たずしてこの世を去った。無論この頃の平田がそのタイミングを予期していたというわけではなかろうが、自らの「精神的な死期」が接近していることをどこかで感じ取っていたのかもしれない。
(細村星一郎)
【執筆者プロフィール】
細村星一郎(ほそむら・せいいちろう)
2000年生。第16回鬼貫青春俳句大賞。Webサイト「巨大」管理人。
【細村星一郎のバックナンバー】
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