さよなら/私は/十貫目に痩せて/さよなら 高柳重信

さよなら
私は
十貫目に痩せて
さよなら

高柳重信


 第1回から第6回まではずっと俳句をどう読むかということを論じてきたが、前回は、いま自分が俳句で反戦を表現するならば、といよいよ書くことについて触れた。今回も引き続き、書くことについて考えたい。

 掲句は高柳重信の第二句集『伯爵領』所収。「さよなら」と別れを告げる「私」は、「十貫目に痩せて」いるという。「十貫目」は尺貫法での重さの単位でだいたい38㎏、「十貫目に痩せて」は健康的な痩せ方ではないだろう。この句の「私」は確実に死を意識している。「痩せて」というと肉が落ちて骨の浮き出た身体を思い浮かべる一方で、「私」の「痩せ」た精神を思わせる。「私」の精神がすこしずつ削れていき、ついには消えてなくなるような。現実を見つめようとして、すり切れて、目を逸らそうとするがそれもできず、心がだんだんすり減っていく。そんななかで心に募るのは疲弊と現実に対する諦念のような絶望である。現実をまなざす「私」の精神は痩せ細っていく。だが、「さよなら」を言うことができる。その「さよなら」は誰かへ向けられた挨拶ではないかもしれないが、だからこそ、高らかに宣言される。まっくらな疲弊の底から、「さよなら」という言葉が一筋の光となって突き抜けてくる。

 もっとも、当時の少年たちにとって、次第に近づいてくる二十歳という年齢は、いずれにせよ生死の関頭に直面する日を意味していたのであった。健康な若者たちには戦場が、そして健康ならざる者たちには結核病棟のベッドが、それぞれの死を強く喚起しながら待っていた。したがって、少し前までは何を思うべきかに戸惑っていた少年たちも、いまや思うことも多い青年期へと、たちまち変貌してゆくのであった。こういう状況が始まると、俳句形式を重宝な計量カップとして無差別に言葉を掬いあげる遊びなど、いつまでも安閑として続けているわけにはいかなかった。たとえ如何なる表現であれ、それは切実に自分自身にかかわるものでなければならなくなっていたのである。高柳重信「自作ノート」(『現代俳句全集』第三巻、立風書房、1977年)

 重信にとって、断裂を何層にも含む多行表記(第2回参照)は、現実を、生を、自分自身のやり方でとらえていくための切実な方法であった。だとしたら、「さよなら」がこんなに軽快に響くのはどうしてなのだろうか。わたしはこの句に絶望のポーズは見出せても、本当の絶望のどん底の真っ暗闇それ自体を見出せない。本当に絶望してしまった人間は「さよなら」を告げない。どんなに現実にすり切れて疲弊したとしても、「私」は「さよなら」ということができる。重信は、「さよなら」と言える、俳句という形式を持っていた。絶望する者はポーズをとらないというジレンマを抱えて、重信は表現者として「生きる」道を選んだ。表現は生きていないとできないからだ。そのために、生の道を行く表現者たろうという宣言として、重信は「さよなら」と言う必要があったのだろう。

 これはわたしの体感だが、「私が書く」ことが重要であるという意識が現在の俳句シーンにはあるようだ。「切実さ」や「誠実さ」といった言葉が評の中で重要性を帯びてきたこととも無関係ではないだろう。「生」が作家の「個性」と結びついた前衛の時代は終わり、今は「どうしても私がその俳句を書かねばならなかった」という「切実さ」をもって「生」のあらわれと見る。そうであるならば、「切実さ」とはそのまま、俳句を書く理由ということになる。

 何が「切実」なのだろうか。何に対して「誠実」なのだろうか。「切実」や「誠実」は、作品にどのようにあらわれるのか。「切実」の語義は「(1)この上なく適切なさま。きわめてよく当てはまっているさま。(2)心からであるさま。心に強く感じるさま。(3)その人の生活に深くかかわっているさま。」(日本国語大辞典)だという。俳句に「切実さ」を感じるのは、その人の生に深くかかわっていて「心から」の表現であると感得されるときだろう。作者はある現実が「切実」であるがゆえの俳句表現をし、読者はその俳句を読むことを通して作者の「切実さ」を自分ごととして引き受ける。「切実さ」は読者が読者の立場として感じることができるが、「誠実さ」については“あるらしいもの”としてしか感じられないのではないだろうか。「切実さ」は作者の実感として作品に込められるが、「誠実さ」はあくまでも書くときの態度である。また、何に対して「誠実」であるかを考えたとき、その「何」に「読者」が入ることはあまりなく、「(書く)対象」や「言葉」といったものを想定している場合が多いのではないだろうか。「誠実」は俳句による意味伝達の手前の、作者が俳句を生み出す過程における一種の思想だ。ならば、「切実さ」に駆り立てられて俳句を書く一方で、「誠実さ」のために俳句を書かないという選択肢もあるように思われるのだ。俳句の世界では多作がひとつのセオリーになっている。それゆえにあまり意識されない「書かない」ということを、今一度考えても良いのかもしれない。「書かない」を超えて再び書くことこそ、表現者としての「誠実」だとわたしは思う。

関灯之介


【執筆者プロフィール】
関灯之介(せき・とものすけ)
2005年生れ。2020年秋より作句。楽園俳句会、東大俳句会所属。第1回鱗kokera賞村上鞆彦賞、第12回俳句四季新人賞、第3回楽園賞準賞。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



【2025年2月のハイクノミカタ】
〔2月1日〕山眠る海の記憶の石を抱き 吉田祥子
〔2月2日〕歯にひばり寺町あたりぐるぐるする 平田修
〔2月3日〕約束はいつも待つ側春隣 浅川芳直
〔2月4日〕冬日くれぬ思ひ起こせや岩に牡蛎 萩原朔太郎
〔2月5日〕シリウスを心臓として生まれけり 瀬戸優理子
〔2月6日〕少し動く/春の甍の/動きかな 大岡頌司
〔2月7日〕無人踏切無人が渡り春浅し 和田悟朗
〔2月8日〕立春の佛の耳に見とれたる 伊藤通明
〔2月9日〕はつ夏の風なりいっしょに橋を渡るなり 平田修
〔2月11日〕追羽子の空の晴れたり曇つたり 長谷川櫂
〔2月12日〕体内にきみが血流る正坐に耐ふ 鈴木しづ子
〔2月13日〕出雲からくる子午線が春の猫 大岡頌司
〔2月14日〕白驟雨桃消えしより核は冴ゆ 赤尾兜子
〔2月15日〕厄介や紅梅の咲き満ちたるは 永田耕衣
〔2月16日〕百合の香へすうと刺さってしまいけり 平田修
〔2月18日〕古本の化けて今川焼愛し 清水崑
〔2月19日〕知恵の輪を解けば二月のすぐ尽きる 村上海斗
〔2月20日〕銀行へまれに来て声出さず済む 林田紀音夫

【2025年1月の火曜日☆野城知里のバックナンバー】
>>〔1〕マルシェに売る鹿の腿肉罠猟師 田中槐
>>〔2〕凩のいづこガラスの割るる音 梶井基次郎
>>〔3〕小鼓の血にそまり行く寒稽古 武原はん女
>>〔4〕水涸れて腫れるやうなる鳥の足 金光舞

【2025年1月の水曜日☆加藤柊介のバックナンバー】
>>〔5〕降る雪や昭和は虚子となりにけり 高屋窓秋
>>〔6〕朝の氷が夕べの氷老太陽 西東三鬼
>>〔7〕雪で富士か不二にて雪か不尽の雪 上島鬼貫
>>〔8〕冬日宙少女鼓隊に母となる日 石田波郷
>>〔9〕をちこちに夜紙漉とて灯るのみ 阿波野青畝

【2025年1月の木曜日☆木内縉太のバックナンバー】
>>〔5〕達筆の年賀の友の場所知らず 渥美清
>>〔6〕をりをりはこがらしふかき庵かな 日夏耿之介
>>〔7〕たてきりし硝子障子や鮟鱇鍋 小津安二郎
>>〔8〕ふた葉三葉去歳を名残の柳かな 北村透谷
>>〔9〕千駄木に降り積む雪や炭はぜる 車谷長吉

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