寄り合つて散らばり合つて春の雲 黛執【季語=春の雲(春)】

寄り合つて散らばり合つて春の雲

黛執


 十歳のころまで、私は毎日暇だった。退屈だったのではない。暇だった。とにかく時間が有り余っていた。有り余る時間で、友達や兄弟とごっこ遊びをしたり、ゲームをしたり、一人で本を読んだり、勉強したりしていた。それでも時間が余ると、床に寝っ転がっていた。それで何をするかというと、空を見ていた。私の部屋からは隣の建物が邪魔になって窓の半分くらいしか空が見えなかったが、その空を、私はよく見ていた。青空を背景に、白い雲が少しずつ流れたり、形を変えたりするところを、何があるわけでもなく見ていた。

  寄り合つて散らばり合つて春の雲  黛執

 まさにこんな感じだった。大きい雲が一つだけ流れる日もあったが、春の雲は、小さくてふわふわした、綿をちぎったような雲がくっついたり離れたりしながら流れていた。それを「寄り合つて散らばり合つて」という言葉の選び方、そしてリフレインによって句に仕立て上げたところがよい。この句は、句意も好きだし、リフレインも好きである。最近気がついたことだが、私はかなりのリフレイン好きだ。俳句でも散文でも、リフレインを多用する。この文章も、ここまでにリフレインを使いすぎている自覚がある。そこで本稿では、黛執『春の村』より、リフレインの秀句を鑑賞したい。

  梅の香の梅を離るるときに濃し  黛執
  白梅に夜紅梅に朝の空      同

 どちらも梅を句材に、リフレインを用いている。季語を繰り返し使うことで、存在感が際立つ。一句に季語は一つという原則を破ることで、なみなみならぬ存在感をはなっている句だ。有季俳句では季語が存在感をもっていて当然なので、むやみやたらにリフレインをすべきではない。しかし、「梅の香の」の句では、梅から離れたときにこそかえって香りを感じるという感覚が、リフレインによってよく伝わる。「白梅に」の句では、白梅と紅梅の対比、夜と朝の対比が美しい。他にも、もっと大胆なリフレイン句がある。

  溜池のぎらぎら寒いさむい夏  黛執

 オノマトペとリフレインの併用である。溜池が「ぎらぎら」しているというのも、夏が「寒いさむい」というのも一般的ではない感じを受けるが、これが併用されていることで不思議と説得力がある。通常、「ぎらぎらと照りつける太陽」のように使うことが多いが、「溜池」に使うことで、反射する光のまぶしさを感じる。その直後に「寒い」とくると、その光がまぶしすぎることが、鋭さや(気温ではなく、もっと感覚的な)寒さにつながっているように思える。さらにひらがなに開いて「さむい」が続き、「寒いさむい」が一つのオノマトペのようにも感じる。そして最後に季語「夏」が置かれる。字面では「寒い」と書かれているのに、気が狂いそうなほど暑い夏を感じる句だ。

  家々に家々の音冬に入る  黛執

 踊り字をさらに重ねるという、また大胆なリフレイン句だ。「家」ではなく「家々」というと、家が連なっている様子が想像されたうえで、一軒一軒の家が際立って感じられる。それぞれの家にそれぞれのあり方があるという前提を上五で共有して、さらに「家々の」と畳みかける。一軒一軒に異なる音があることをさらに際立たせている。楽しそうな話声、険悪そうな話声、テレビの音、家事の音、楽器の音、犬の声、など様々な音があるのだろう。もの静かな「冬に入る」時期だからこそ音がよく聴こえてくる句だ。

  一つ家に一つ灯雪の降りしきる  黛執

 これも家を句材としているが、先の「家々に」とは異なる趣がある。今度は「一つ家」。ぽつんと佇む一軒の家が見えてくる。そこに「一つ灯」と、「一つ」を繰り返すことで、その孤独が強調される。しかしただ孤独なのではない。雪が降りしきるなかでぽつんとある「一つ灯」は、明るく温かな存在だ。この句では、「一つ」のリフレインは、孤独感を増しながらも、その温かみを暗に表してもいる。

 このように、同じリフレインでも、繰り返し方や対比のさせ方、表現できることの幅は様々である。リフレイン愛好者の私は、俳句でも散文でもリフレインを多用し続けていくだろうが、くどいだけの繰り返しにはならないように、何か意図をもって表現できるようにしたい。

島崎寛永


【執筆者プロフィール】
島崎寛永(しまざき・ひろなが)
2002(平成14)年、北海道札幌市に生まれる。2017(平成29)年、俳句を始める。2019(令和元)年、雪華に入会。2020(令和2)年、大学進学のため茨城県へ。ポプラに入会。2025(令和7)年、雪華同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



【2025年2月のハイクノミカタ】
〔2月1日〕山眠る海の記憶の石を抱き 吉田祥子
〔2月2日〕歯にひばり寺町あたりぐるぐるする 平田修
〔2月3日〕約束はいつも待つ側春隣 浅川芳直
〔2月4日〕冬日くれぬ思ひ起こせや岩に牡蛎 萩原朔太郎
〔2月5日〕シリウスを心臓として生まれけり 瀬戸優理子
〔2月6日〕少し動く/春の甍の/動きかな 大岡頌司
〔2月7日〕無人踏切無人が渡り春浅し 和田悟朗
〔2月8日〕立春の佛の耳に見とれたる 伊藤通明
〔2月9日〕はつ夏の風なりいっしょに橋を渡るなり 平田修
〔2月11日〕追羽子の空の晴れたり曇つたり 長谷川櫂
〔2月12日〕体内にきみが血流る正坐に耐ふ 鈴木しづ子
〔2月13日〕出雲からくる子午線が春の猫 大岡頌司
〔2月14日〕白驟雨桃消えしより核は冴ゆ 赤尾兜子
〔2月15日〕厄介や紅梅の咲き満ちたるは 永田耕衣
〔2月16日〕百合の香へすうと刺さってしまいけり 平田修
〔2月18日〕古本の化けて今川焼愛し 清水崑
〔2月19日〕知恵の輪を解けば二月のすぐ尽きる 村上海斗
〔2月20日〕銀行へまれに来て声出さず済む 林田紀音夫
〔2月21日〕春闌けてピアノの前に椅子がない 澤好摩
〔2月22日〕恋猫の逃げ込む閻魔堂の下 柏原眠雨
〔2月23日〕私ごと抜けば大空の秋近い 平田修
〔2月24日〕薄氷に書いた名を消し書く純愛 高澤晶子
〔2月25日〕時雨てよ足元が歪むほどに 夏目雅子
〔2月26日〕お山のぼりくだり何かおとしたやうな 種田山頭火


【2025年1月の火曜日☆野城知里のバックナンバー】
>>〔1〕マルシェに売る鹿の腿肉罠猟師 田中槐
>>〔2〕凩のいづこガラスの割るる音 梶井基次郎
>>〔3〕小鼓の血にそまり行く寒稽古 武原はん女
>>〔4〕水涸れて腫れるやうなる鳥の足 金光舞

【2025年1月の水曜日☆加藤柊介のバックナンバー】
>>〔5〕降る雪や昭和は虚子となりにけり 高屋窓秋
>>〔6〕朝の氷が夕べの氷老太陽 西東三鬼
>>〔7〕雪で富士か不二にて雪か不尽の雪 上島鬼貫
>>〔8〕冬日宙少女鼓隊に母となる日 石田波郷
>>〔9〕をちこちに夜紙漉とて灯るのみ 阿波野青畝

【2025年1月の木曜日☆木内縉太のバックナンバー】
>>〔5〕達筆の年賀の友の場所知らず 渥美清
>>〔6〕をりをりはこがらしふかき庵かな 日夏耿之介
>>〔7〕たてきりし硝子障子や鮟鱇鍋 小津安二郎
>>〔8〕ふた葉三葉去歳を名残の柳かな 北村透谷
>>〔9〕千駄木に降り積む雪や炭はぜる 車谷長吉

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