祈るべき天と思えど天の病む 石牟礼道子


祈るべき天と思えど天の病む

石牟礼道子

 先日水俣に行ってきた。水俣には水俣病を学べる資料館が二つあることをご存じだろうか。一つは市立水俣病資料館、もう一つは一般財団法人水俣病センター相思社が運営する水俣病歴史考証館である。今回、二つとも訪問してきた。それ以外に、水俣病患者が多く発生した袋地区湯堂や、チッソの工場排水が排出されていた「百間排水口」も見学してきた。

 水俣病は工場排水中の有機水銀が原因となった公害病であり、正確に言うとその有機水銀が生物濃縮の末に高濃度となった魚介類を摂取することで起こった。水銀は有機化学を少し勉強すると度々登場する金属で、さまざまな反応を触媒する便利な物質である。チッソではアセトアルデヒド製造の触媒として用いられていた。この水銀が水俣病を引き起こす原理は、市立資料館に併設されている環境省の水俣病情報センターで詳しく解説されていた。

 水銀は、実は単体の金属の状態では重要な神経性の症状は引き起こさない。と言うのは、体が水銀を吸収せず、排出しようとする防御が働くからだ。ところが、有機水銀となると話が異なり、脳をはじめとする体のさまざまなところに吸収され毒性を発揮してしまう。

 どういうことかというと、有機水銀(メチル水銀)は、アミノ酸の一種であるシステインと結合してメチオニン(必須アミノ酸)と似た構造をとる。必須アミノ酸とは体内で自力で合成できないため経口摂取が必須のアミノ酸のことで、従って体は有機水銀いりのいわば「偽メチオニン」を積極的に吸収・利用するようになる。こうしてこの偽メチオニンが使われたタンパク質は本来の機能を果たすことができず重大な障害をもたらす。

 水俣病は1956年に発見された。その前から、猫がてんかんのような症状で大量死したり、空から鳥が降ってきたりといった奇妙な状況であったようだ。当初は原因不明の奇病・伝染病と考えられ、原因の特定とアセトアルデヒド製造中止までに約12年を要している。

 水俣病は、排水の公害問題であると捉えていたが今回さまざまな資料に触れその認識を改めた。水俣病は複雑な社会問題であった。

 水俣にチッソが新工場を作ったのは1918年のこと。チッソは多くの雇用を生み出し、一時は水俣の人口の半数がチッソと関係するほどであったそうだ。土地を持たない小作人など、多くの人間がチッソの工場で働き、地位を上げた。チッソは病院を建てたりさまざまな文化的活動を行ったりと、チッソと水俣は結びつきを深めてゆく。

 水俣病の原因究明にあたったのは主に熊本大学の研究チームである。研究チームはすでに1956年に伝染病ではなく一種の中毒の可能性が高いと指摘、1959年には水銀による毒性の可能性が高いと発表している。また同時期にチッソの附属病院においても排水をネコに与える実験で水俣病の症状が再現されている。しかし、上にも書いたように、アセトアルデヒドの製造が中止されたのはそれよりずっと後の1968年のことである。

 このように長い時間かかった大きな原因が、チッソの企業倫理の欠如である。チッソ側は、工場排水を与えたネコが水俣病のような症状をしたのを把握していたのにもかかわらず、アセトアルデヒドの製造中止には長い間踏み切らなかった。現代からすれば信じられないことである。

 長い時間がかかったこと理由には、水俣のチッソ依存もあった。すなわち、多くの雇用を担うチッソの工場を止めては、経済に深刻な影響があり、行政や非罹患市民はチッソ擁護に回ったのであった。擁護派はさまざまな学者に水銀説の対抗説を出させ、市民や世論を混乱させた。ここに「患者切り捨て」の構図があった。

 さらに根深いことに、そもそもの差別構造があったと考えられる。水俣病に多くかかったのは、食べ物の多くを自分たちのとってきた魚や貝に依存する漁民である。貧しい漁民は、水俣病以前から差別を受けていたと考えられる。部落の漁民は、多くの市民らの食いぶちを生む工場を止めようとする厄介な奇病持ちとして受け止められていたのだろう。

 水俣病をめぐる差別構造は何重にもなっていた。上記のそもそもの差別構造に加え、奇病に対する差別は市民から漁民へ、そして非罹患漁民から罹患者へと、被差別者が差別側に回るようなことさえあった。水俣病の原因特定に向けた運動には政治家や市民が対抗しチッソ擁護に回った。時代が下り見舞金制度ができると、見舞金をひがむ市民がその申請をした患者に対して「ニセモノ」と中傷した。症状が重くても視野狭窄などは見た目にはわからず、ニセモノであると言われのない中傷が発生するのである。

 水俣病の症状や経緯については市立資料館に詳しい。患者側の運動や患者への差別については相思社の考証館が詳しい。いずれも訪れることをお勧めする。ありきたりな言葉になるが、人間とは本当に愚かであると思わざるを得ない。

 また、今回訪れた袋地区湯堂は、「袋」の名の通り半島で大きく囲われた湾になっており、有害物質が溜まりやすい環境だったことが容易に想像できた。市立水俣病資料館などの学習施設は有害ヘドロの封じ込めのために埋め立てられた土地に存在するが、その屋上からは湯堂が見えた。静かに潮の流れ込む小さな集落を見ると、何も言葉が出てこなかった。

祈るべき天と思えど天の病む 石牟礼道子

 掲句、水俣を訪れる前と後とで、印象が大きく異なった。以前は漠然と天を仰ぐ様子を想像していたが、この句が「天」しか詠めていない事実に、今は愕然としてしまう。水俣のどうしようもない貧困や差別、苦しむ人々、汚された海を前に、天しか詠むことができなかったのであるから。

資料館屋上から見た景色。写真中央やや右に袋湾の入口があり、奥に小さな湾がある。ヘドロ処理で埋め立てられた地区には、運動公園や水俣病関連の学習施設などがある

板倉ケンタ


【執筆者プロフィール】
板倉ケンタ
1999年東京生。「群青」「南風」所属。俳人協会会員。第9回石田波郷新人賞、第6回俳句四季新人賞、第8回星野立子新人賞。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



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