七月へ爪はひづめとして育つ 宮崎大地【季語=七月(夏)】


七月へ爪はひづめとして育つ

宮崎大地
(『木の子』昭和48年)

掲句は宮崎大地(1951〜)の一句。過去に取り上げた郡山淳一と同じく、高柳重信による『俳句研究』誌上の企画「五十句競作」の第一回に関連した作家である。

重信は『俳句研究』誌への投句を通じて既に宮崎を”発見”しており、第一回五十句競作の開催にあたっては事前に第一席の候補者としてその名前を挙げていた。宮崎の手元にあった百句以上の句群から五十句を抜き出したものを第一席と推す、という重信の申し入れに対し、「自選でないならそれは”選句の暴力”である」としてついに応募を拒否したことはあまりにも有名なエピソードである。

そうした重信の、ひいては俳壇の態度も影響してか、宮崎はわずか数年で俳句界から姿を消してしまう。こうしたいわば伝説的なエピソードも相まって、彼の幻影を追い続ける俳人は少なくない。

掲句はそうした”文学的夭折”を遂げてしまった彼が、鈴木石夫の『歯車』で活動していた際に制作されたという自筆句集『木の子』に収録の一句。

七月へ爪はひづめとして育つ
宮崎大地

馬や鹿のひづめは硬く、地面を強く蹴ることに適している。ヒトのそれが掻く・掴む・抉るといった様々な用途に用いられるのと比較して、ひづめの役割はいたってシンプルである。ヒトの爪が立ち止まって作業するのに向いているとすれば、馬のひづめは前に向かって走るのに向いている。走ることしかできないのではなく、本当は、走ることしかする必要がないのだ。

爪は嫌でも伸びるから、切らないといけない。伸び続ける自らの爪をひづめだと信じるこの句には、彼の矜持(あるいは、願望)が垣間見える。爪/ひづめは人が人として書き続けるジレンマの象徴であると同時に、夏に仮託された苦しさを駆け抜けるための鍵でもあった。

参考:【俳句時評】  物真似師の矜持―宮崎大地について / 外山一機

細村星一郎


【執筆者プロフィール】
細村星一郎(ほそむら・せいいちろう)
2000年生。第16回鬼貫青春俳句大賞。Webサイト「巨大」管理人。


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