枯葉言ふ「最期とは軽いこの音さ」
林 翔
特に理由もないのだけれど、なぜかその場に自分がいるというだけで泣きそうな気分になってくる景色がある。筆者にとっては枯葉の時期、夕暮れの景色がそうだ。昔から、敷き詰められた枯葉の中、近所にある井の頭公園あたりを歩いているとなぜか突如涙が出そうになってくる。この現象は自分でもまったく不可解で、過去に何かあったかと思い幼児期の記憶などを探ってみても特に思い当たる出来事はない。
このことについて俳句を始めてから考えついたのは、おそらく季節そのものがもつ喪失感のようなものが、筆者の感情を揺さぶっているのではないかということだ。秋を終えて冬が本格的に深まっていくにつれ、色彩や生物の声は失われていく。それは喪失の季節と言い換えることもできるだろう。なんだかセンチメンタルなようで自分でも嫌になるが、もしかすると筆者の心は漠然とした喪失感に対して反応していたのかもしれない。
枯葉言ふ「最期とは軽いこの音さ」 林 翔
本日紹介するのはこちらの句。
道行く人に踏まれ粉々になっていく枯葉の台詞として、これ以上しっくりくるものが果たしてあるだろうか。足元の枯葉のうちの一枚がこのように感じているとすると、なんともいえない、親しみと紙一重の哀れを覚えてしまう。同時に、先述した季節が漠然と抱える喪失感をこの句からも感じるのである。
林翔は「馬酔木」を経て能村登四郎主宰「沖」に所属し、編集長、副主宰、最高顧問を務めた。句は句集『春菩薩』より引いた。
(川原風人)
【執筆者プロフィール】
川原風人(かわはら・ふうと)
平成2年生まれ。鷹俳句会所属。平成30年、鷹新人賞受賞。俳人協会会員
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