露草を持つて銀行に入つてゆく 飯島晴子【季語=露草(秋)】


露草を持つて銀行に入つてゆく)

飯島晴子

 たまたま道端で摘んだ露草を持ったまま銀行に入っていったという程度の状況ではあろうが、露草が何か銀行で必要なものであるかのような、御伽噺的な雰囲気も漂う。「露」と「銀」が微妙に響き合うところもある。「入つてゆく」という措辞は、露草がみずみずしい外気から、かわいた屋内の空気の中へと移るその過程を見せてくれる。

 このように、縦長のものを手に持つという描写は、掲句所収の『春の蔵』には頻出する。

  青芒かついで友のうしろへまはる

  サフランもつて迅い太子についてゆく

  稗もつて粟もつてみな叱りあふ

  わが繊き杖ありアネモネにたてて

  春山に鯉抱へたる一騎なり

  晩の服きつねのかみそり挿してやる

  舟虫の崖人形を抱いてゆく

 いくらでも例は挙がる。それに特別の意味を見出すつもりはないが、これもまた同句集中によく登場する「王子」のもつ笏のような印象も重なり、全身の力がそこに集まるように思える。あるいは、〈わが繊き〉は実際に「杖」が示されているが、他の句においても、杖のように、移動のための支えという感じもある。ごつごつしたところを歩くという私の勝手な晴子のイメージからの連想かもしれない。

 晴子は「言葉の現れるとき」という文章の中で、作句の過程を、暗闇をたどってゆくことに擬え、「もう人に使われなくなって久しいきれぎれの道を、地形に添ってさぐり当てていくのは、言葉の質感を大切にして意識の暗闇をたどるのに似ていないこともな」いと述べている。ある作品が提示された際には、暗闇をたどった形跡は全て消されるわけだから、時として句が大胆に見えたり、あるいは突飛に見えたりするのは、ある意味では当然なのである。作者としては、もはや作ってしまった後はその道のりを覚えていないかもしれないが、予測の出来ない暗闇の中を、「地形に添ってさぐり当てていく」というこの努力が必要なのである。

小山玄紀


【執筆者プロフィール】
小山玄紀(こやま・げんき)
平成九年大阪生。櫂未知子・佐藤郁良に師事、「群青」同人。第六回星野立子新人賞、第六回俳句四季新人賞。句集に『ぼうぶら』。俳人協会会員


小山玄紀さんの句集『ぼうぶら』(2022年)はこちら↓】


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>>〔5〕気を強く春の円座に坐つてゐる 飯島晴子
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