【第41回】新しい短歌をさがして/服部崇


毎月第1日曜日は、歌人・服部崇さんによる「新しい短歌をさがして」。アメリカ、フランス、京都、台湾、そして再び京都へと動きつづける崇さん。日本国内だけではなく、既存の形式にとらわれない世界各地の短歌に思いを馳せてゆく時評/エッセイです。


【第41回】
「よ」について
──谷岡亜紀『ホテル・パセティック』(ながらみ書房、2025)──

服部崇(歌人)


 谷岡亜紀『ホテル・パセティック』(ながらみ書房、2025)を読んだ。集中には「よ」で終わる歌が多い。今回は、「よ」について取り上げたい。

 平仮名の「よ」は、漢字の「與」「与」から生まれた。このことは本稿とは直接は関係がない。「よ」は、終助詞として使われるため、一首の末尾に用いられることがあるのは当然である。しかし、集中にあまりにも多く使われている。 

 歌集の構成としては、2018、2019、2020、2021、2022、2023、2024に分けられており、編年体であることを示唆している。

 2018の冒頭の連作「誰もがどこか少し壊れて」の最後の一首として、

頭上にて鴉がわれを呼びており羯諦(ぎゃてい)羯諦(ぎゃてい)「遠く行く者よ」 11

が印象的に置かれている。本歌集のテーマを示しているような印象を与えている。実際、「遠く行く者よ」は2019の中の二番目の連作のタイトルとして用いられている。

 2018の冒頭の連作「誰もがどこか少し壊れて」に続く連作「うずくまる母、空を飛ぶ父」には、「よ」で終わる歌が三首ある。

ひさかたの雨戸閉ざしてあかねさす朝からウイスキー()で飲む人よ 19

ブリキ缶入りのサクマのドロップスの薄荷の飴を好みし母よ 22

いたく老いたる顔が鏡に映れるを驚愕しつつ見ている人よ 22

 二首目の歌と三首目の歌は隣同士に置かれている。一首目の歌と二首目の歌はともに「人よ」で終わっている。

 2019の中の二番目の連作「遠く行く者よ」は8首で構成されているが、冒頭の3首、最後の1首の計4首が「よ」で終わっている。

一面の白き花咲く丘を越え落日に向かい遠く行く者よ 35

冷えながら輝く冬の朝焼けの川を渡りて遠く行く者よ 35

雨上がりの空に微光の残りいるこの世を過ぎて遠く行く者よ 35

大河を超え草原を超え生きてゆく苦楽を超えて遠く行く者よ 37

どの歌においても「遠く行く者よ」を結句に持ってきている。

 続く連作「ドラキュラの恋」においては、「よ」で終わる歌は1首である。

ハイド氏は鏡の前で泣いているみじめな鼠、鼠、鼠よ 42

 続く連作のタイトルは「シッダールタよ」である。期待どおり、

未来からの映像の中で音もなく町が燃えおり シッダールタよ 45

が見つかった。連作の最後の一首として置かれている。
こうした「名詞+よ」は、誰かに対する呼びかけであったり、対象に対する関心を指し示していたりする。

 2020の中の連作「「おまえは誰か」」には、

雨が降れば雨に濡れつつ 生きることただそのことのためにのみ生きよ 65

がある。これまでの「名詞+よ」とは異なり、「動詞+よ」(命令形)である。

2021の中の連作「きらめきながら」には、

今頃はどこの冬野を歩みいん昏睡のなか夢みる人よ 78

がある。ふたたび「名詞+よ」である。「人よ」である。

さらに、2021の中の連作「海洋性気候の夏」には、

アフリカの朝を纏いて突堤の西日の中に振り向かずいよ 81

がある。こちらは「動詞+よ」(命令形)である。

2022の中の連作「甘い生活」には、

君たちは幸いである泥酔し雨の路上に朝を待つ者よ 91

がある。

さらに、2023の中の連作「一路平安」には、

字が乱れ記憶が乱れそののちに魂乱れてゆきたる父よ 116

後ろ背は西日に消えてゆきたれど順序よき死を嘆くな、友よ 117

がある。歌集前半では「母よ」が置かれていた。ここでは「父よ」が置かれている。

2024の中の連作「春の伽藍」には、

鳥の王ガルーダに乗り吉祥天(ラクシュミ-)朝の私の夢に訪い来よ 133

がある。「動詞+よ」(命令形)である。

そして、歌集の最後の一首は、

始まりの光は朝の窓に差しやがて静かに目覚める人よ 145

である。2024の中の最後の連作「やがて目覚める人に」の最後の一首である。タイトルは「人に」であるが歌は「人よ」となっている。

漏れている歌があるかもしれないが、集中に18首がみつかった。内訳は次のとおりである。

「名詞+よ」  15首
者       6首
人       4首
父       1首
母       1首
友       1首
シッダールタ  1首
鼠       1首 
「動詞+よ」   3首
生きよ     1首
振り向かずいよ 1首
訪い来よ    1首
合 計     18首

 今回は、谷岡亜紀『ホテル・パセッティック』の中から「よ」で終わる歌を探してみた。2018、2019、2020、2021、2022、2023、2024の歌集すべての章に「よ」で終わる歌がある。この多さと散らばりを見ると、これはもう意識的にやっていると思わざるを得ない。そして、そうせざるを得ない作家の現在が浮かび上がっている歌集でもある。


【執筆者プロフィール】
服部崇(はっとり・たかし)
心の花」所属。居場所が定まらず、あちこちをふらふらしている。パリに住んでいたときには「パリ短歌クラブ」を発足させた。その後、東京、京都と居を移しつつも、2020年まで「パリ短歌」の編集を続けた。歌集『ドードー鳥の骨――巴里歌篇』(2017、ながらみ書房)、第二歌集『新しい生活様式』(2022、ながらみ書房)。X:@TakashiHattori0


【「新しい短歌をさがして」バックナンバー】
【40】佐藤博之第一歌集『残照の港』批評会
【39】あかあかと
【38】台湾大学の学生たちと歌会を行った
【37】異文化交流としての和歌・短歌
【36】啄木とクレオール
【35】静宜大学を訪れて
【34】沖縄を知ること──屋良健一郎『KOZA』(2025、ながらみ書房)を読む
【33】「年代」による区分について――髙良真美『はじめての近現代短歌史』(2024、草思社)
【32】社会詠と自然詠──大辻隆弘『橡と石垣』(2024、砂子屋書房)を読む
【31】選択と差異――久永草太『命の部首』(本阿弥書店、2024) 
【30】ルビの振り方について
【29】西行「宮河歌合」と短歌甲子園
【28】シュルレアリスムを振り返る
【27】鯉の歌──黒木三千代『草の譜』より
【26】西行のエストニア語訳をめぐって
【25】古典和歌の繁体字・中国語訳─台湾における初の繁体字・中国語訳『萬葉集』
【24】連作を読む-石原美智子『心のボタン』(ながらみ書房、2024)の「引揚列車」
【23】「越境する西行」について
【22】台湾短歌大賞と三原由起子『土地に呼ばれる』(本阿弥書店、2022)
【21】正字、繁体字、簡体字について──佐藤博之『殘照の港』(2024、ながらみ書房)
【20】菅原百合絵『たましひの薄衣』再読──技法について──
【19】渡辺幸一『プロパガンダ史』を読む
【18】台湾の学生たちによる短歌作品
【17】下村海南の見た台湾の風景──下村宏『芭蕉の葉陰』(聚英閣、1921)
【16】青と白と赤と──大塚亜希『くうそくぜしき』(ながらみ書房、2023)
【15】台湾の歳時記
【14】「フランス短歌」と「台湾歌壇」
【13】台湾の学生たちに短歌を語る
【12】旅のうた──『本田稜歌集』(現代短歌文庫、砂子屋書房、2023)
【11】歌集と初出誌における連作の異同──菅原百合絵『たましひの薄衣』(2023、書肆侃侃房)
【10】晩鐘──「『晩鐘』に心寄せて」(致良出版社(台北市)、2021) 
【9】多言語歌集の試み──紺野万里『雪 yuki Snow Sniegs C H eг』(Orbita社, Latvia, 2021)
【8】理性と短歌──中野嘉一 『新短歌の歴史』(昭森社、1967)(2)
【7】新短歌の歴史を覗く──中野嘉一 『新短歌の歴史』(昭森社、1967)
【6】台湾の「日本語人」による短歌──孤蓬万里編著『台湾万葉集』(集英社、1994)
【5】配置の塩梅──武藤義哉『春の幾何学』(ながらみ書房、2022)
【4】海外滞在のもたらす力──大森悦子『青日溜まり』(本阿弥書店、2022)
【3】カリフォルニアの雨──青木泰子『幸いなるかな』(ながらみ書房、2022)
【2】蜃気楼──雁部貞夫『わがヒマラヤ』(青磁社、2019)
【1】新しい短歌をさがして


挑発する知の第二歌集!

「栞」より

世界との接し方で言うと、没入し切らず、どこか醒めている。かといって冷笑的ではない。謎を含んだ孤独で内省的な知の手触りがある。 -谷岡亜紀

「新しい生活様式」が、服部さんを媒介として、短歌という詩型にどのように作用するのか注目したい。 -河野美砂子

服部の目が、観察する眼以上の、ユーモアや批評を含んだ挑発的なものであることが窺える。 -島田幸典


関連記事