【第42回】新しい短歌をさがして/服部崇


毎月第1日曜日は、歌人・服部崇さんによる「新しい短歌をさがして」。アメリカ、フランス、京都、台湾、そして再び京都へと動きつづける崇さん。日本国内だけではなく、既存の形式にとらわれない世界各地の短歌に思いを馳せてゆく時評/エッセイです。


【第42回】
「ゆるさ」について

服部崇(歌人)


先日、「心の花」のメンバーとともに小原奈実歌集『声影記』(港の人、2025)を読む機会があった。その際の参加者からの歌集に対する批評として、小原奈実の歌には、「ゆるみ」がない、「ゆるさ」がみられない、との指摘がなされた。これはもちろん小原奈実の歌のうまさに対する肯定的な評の中での指摘ではあった。しかし、私としては、歌における「ゆるみ」「ゆるさ」とはいったい何なのかがとても気になった。そこで、参加者の人たちに「ゆるさ」について尋ねてみた。真面目に詳細なメモを取ったりはしていなかったので、その際の発言を再現することはできないのだが、記憶をもとに、「ゆるさ」について振り返ってみたい。

カーテンに鳥の影はやし速かりしのちつくづくと白きカーテン 小原奈実

カーテンに始まりカーテンに終わる。歌集には鳥の歌がたくさん収録されているが、この一首は冒頭歌。鳥の影の刹那の動きがカーテンに映し出されている。「ゆるみ」はなさそうな気がする。

さらに、以下では好きな歌を二首引いておく。あめんぼの歌と、かたつむりの歌である。前者は比喩が優れている。後者は動きの観察と知識の取り合わせの妙がある。

空の(くち)享けたるごとき水紋のひらきつつゆくひとつあめんぼ 小原奈実

蝸牛這ふ動きのなかに口ありて食はおのれを引き寄するわざ 小原奈実

私からの問いかけに対して、参加者からは、「ゆるみ」がない、とは、詩的強度が強いことである、との指摘があった。

また、形式と表現の両面から「ゆるさ」について考察できる、との指摘もあった(気がする。表現というよりは、内容、中身という指摘であったかもしれない。) 

形式の面からは、字余りがない、字足らずがない、など五七五七七の形式に忠実かどうかが確認できる。韻律の良しあしにも関わっている。

表現の面からは、口語、会話体の使用の有無などが確認できる。「ゆるさ」はユーモアの表現に接近しやすい。

ゆるい歌の例としては、土屋文明、斎藤史の作品が挙げられるのではないかとの指摘があった。どちらも晩年に作られた歌が思い浮かぶ。

疲労つもりて引出ししヘルペスなりといふ八十年生きれば そりやぁあなた  
                           斎藤史『秋天瑠璃』

この一首、歌の中でたしかに口語、会話体を使用している。

本読まず過ぎたかたを今思ふ表紙はげしはただ字引の類
                          土屋文明『青南後集』

たとえばこの一首。五・八・五・七・九だろうか、字余りとなっている。

最近の例としては、永田和宏歌集『わすれ貝』(青磁社、2025)が話題に上がった。

抜けましたねえ、ええ抜けました午後深く陽気な患者と陽気な主治医  
                          永田和宏『わすれ貝』

血管を引き抜くための手術の場面らしい。会話体を用いて、ユーモラスに仕上げている一首である。これなどは、ゆるい歌と言ってよいであろう。

土屋文明も斎藤史も永田和宏も若いころはもっとシャープな歌を歌っていたように思われる。小原奈実の歌に「ゆるさ」がみられないのは当人の若さゆえのことなのだろうか。

翻って、私としては、自作に「ゆるみ」「ゆるさ」があるのかないのかを考え、今後の実作につなげていきたい、と思ったりもした。


【執筆者プロフィール】
服部崇(はっとり・たかし)
心の花」所属。居場所が定まらず、あちこちをふらふらしている。パリに住んでいたときには「パリ短歌クラブ」を発足させた。その後、東京、京都と居を移しつつも、2020年まで「パリ短歌」の編集を続けた。歌集『ドードー鳥の骨――巴里歌篇』(2017、ながらみ書房)、第二歌集『新しい生活様式』(2022、ながらみ書房)。X:@TakashiHattori0


【「新しい短歌をさがして」バックナンバー】
【41】「よ」について──谷岡亜紀『ホテル・パセティック』(ながらみ書房、2025)──
【40】佐藤博之第一歌集『残照の港』批評会
【39】あかあかと
【38】台湾大学の学生たちと歌会を行った
【37】異文化交流としての和歌・短歌
【36】啄木とクレオール
【35】静宜大学を訪れて
【34】沖縄を知ること──屋良健一郎『KOZA』(2025、ながらみ書房)を読む
【33】「年代」による区分について――髙良真美『はじめての近現代短歌史』(2024、草思社)
【32】社会詠と自然詠──大辻隆弘『橡と石垣』(2024、砂子屋書房)を読む
【31】選択と差異――久永草太『命の部首』(本阿弥書店、2024) 
【30】ルビの振り方について
【29】西行「宮河歌合」と短歌甲子園
【28】シュルレアリスムを振り返る
【27】鯉の歌──黒木三千代『草の譜』より
【26】西行のエストニア語訳をめぐって
【25】古典和歌の繁体字・中国語訳─台湾における初の繁体字・中国語訳『萬葉集』
【24】連作を読む-石原美智子『心のボタン』(ながらみ書房、2024)の「引揚列車」
【23】「越境する西行」について
【22】台湾短歌大賞と三原由起子『土地に呼ばれる』(本阿弥書店、2022)
【21】正字、繁体字、簡体字について──佐藤博之『殘照の港』(2024、ながらみ書房)
【20】菅原百合絵『たましひの薄衣』再読──技法について──
【19】渡辺幸一『プロパガンダ史』を読む
【18】台湾の学生たちによる短歌作品
【17】下村海南の見た台湾の風景──下村宏『芭蕉の葉陰』(聚英閣、1921)
【16】青と白と赤と──大塚亜希『くうそくぜしき』(ながらみ書房、2023)
【15】台湾の歳時記
【14】「フランス短歌」と「台湾歌壇」
【13】台湾の学生たちに短歌を語る
【12】旅のうた──『本田稜歌集』(現代短歌文庫、砂子屋書房、2023)
【11】歌集と初出誌における連作の異同──菅原百合絵『たましひの薄衣』(2023、書肆侃侃房)
【10】晩鐘──「『晩鐘』に心寄せて」(致良出版社(台北市)、2021) 
【9】多言語歌集の試み──紺野万里『雪 yuki Snow Sniegs C H eг』(Orbita社, Latvia, 2021)
【8】理性と短歌──中野嘉一 『新短歌の歴史』(昭森社、1967)(2)
【7】新短歌の歴史を覗く──中野嘉一 『新短歌の歴史』(昭森社、1967)
【6】台湾の「日本語人」による短歌──孤蓬万里編著『台湾万葉集』(集英社、1994)
【5】配置の塩梅──武藤義哉『春の幾何学』(ながらみ書房、2022)
【4】海外滞在のもたらす力──大森悦子『青日溜まり』(本阿弥書店、2022)
【3】カリフォルニアの雨──青木泰子『幸いなるかな』(ながらみ書房、2022)
【2】蜃気楼──雁部貞夫『わがヒマラヤ』(青磁社、2019)
【1】新しい短歌をさがして


挑発する知の第二歌集!

「栞」より

世界との接し方で言うと、没入し切らず、どこか醒めている。かといって冷笑的ではない。謎を含んだ孤独で内省的な知の手触りがある。 -谷岡亜紀

「新しい生活様式」が、服部さんを媒介として、短歌という詩型にどのように作用するのか注目したい。 -河野美砂子

服部の目が、観察する眼以上の、ユーモアや批評を含んだ挑発的なものであることが窺える。 -島田幸典


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