【第45回】新しい短歌をさがして/服部崇


毎月第1日曜日は、歌人・服部崇さんによる「新しい短歌をさがして」。アメリカ、フランス、京都、台湾、そして再び京都へと動きつづける崇さん。日本国内だけではなく、既存の形式にとらわれない世界各地の短歌に思いを馳せてゆく時評/エッセイです。


【第45回】
鳥と自由について──上川涼子『水と自由』(現代短歌社、2025)──
服部崇(歌人)


上川涼子『水と自由』(2025、現代短歌社)を読んでみた。歌集の著者略歴によると、上川涼子は1988年生まれ、福岡県福岡市出身・在住、未来短歌会所属、「波永」同人、とのことである。歌集のタイトルが『水と自由』となっているので、上川涼子は「水」と「自由」に深い関心があるものと想像できる。集中に「水」を詠った歌はたくさん見られる。

ここでは、「水」そのものよりも、水と共に現れる水鳥の姿を詠んだ歌に注目したい。

水鳥の屍(かばね)は昏くまろやかにみづに研がれし石のごとしも 70
水鳥の胸に圧されてながれだすみづはすぐれてやはらかからむ 147
ひとすぢにのびるなみだの清浄が水鳥の脚に満ちて立たしむ 223
葉の間を潜りて薄き鳥の影すずしくわれの肌にはばたく 156

一首目では、水鳥の死体が石のように昏く沈みつつも、「まろやかに」水に研がれた石として描かれる点が印象的である。「まろやかに」という語が、死の静けさと水との一体化を柔らかく伝えている。二首目では、水鳥が池を進むとき、胸に押されて流れ出す水のやわらかさが強調される。水鳥の動きによって水の質感が際立ち、生命の気配が水面に広がる。三首目では、水鳥の脚が、涙の清浄、に立つものとして表現されている。水鳥の存在が周囲の水を浄化するかのように象徴化され、涙と水とが重なり合うことで、清らかさが一層強調されている。四首目では、水鳥が池に覆いかぶさるように茂る木の葉陰を潜る場面が描かれる。われの肌にはばたくとして、涼しげな感覚が読者にも伝わる。動きと感覚が結びつき、水鳥の軽やかさが鮮やかに立ち現れる。

鳥の歌はほかにも多く詠まれているが、中でも鶺鴒を詠んだ歌は、細やかな動きと光の変化を鋭敏に捉えている。

羽搏きてならぞらへゆく鶺鴒のからだわづかに時を逸れつつ 140
発光のごとき一瞬 鶺鴒は木末を揺らし高みへと消ぬ 187
秤量をためらふごとく枝揺れて鳥発つのちの木末のひかり 173
蠟梅の淡き上枝(ほつえ)へ鳥は来て飛び去るのちの鳥に重なる 57

一首目では、鶺鴒が羽ばたきながら「なかぞら」へと飛びゆく姿が描かれる。からだわづかに時を逸れつつ、という表現が、鶺鴒の動きの軽さと、時間そのものから半歩ずれたような独特のリズムを感じさせる。二首目では、鶺鴒が木の梢を揺らしながら高みへと消えていく。その姿は、発光のごとき一瞬、とされ、光の閃きのように捉えられている。三首目は、鳥が飛び立ったあとの枝の揺れに焦点を当てる。鳥が去ったのちに見られる光が、余韻として静かに立ち上がる。鳥そのものではなく、鳥の不在が光を生むという構図となっている。四首目では、鳥が来て、飛び去ったのち、鳥に重なる。鳥の姿が消えたあとにも、なおその影や気配が枝に重なり続ける不思議な感覚がある。

上川涼子は鳥に「自由」を見ているのかもしれない。青鷺も登場する。青鷺を詠った歌以外にも青鷺が兪として登場する歌もある。そのほかの鳥も素敵である。

青鷺の佇つにあらねど傾きのさまうつくしく自転車停まる 125
復讐は翡翠、といへどわが瀬にはその横顔の寂しきが見ゆ 195
飛来地に立つのは素足 ベランダにこの世のどこかから夜が来る  29

一首目では、青鷺は佇んでいるわけではないが、傾く姿が美しく、思わず自転車を止めてしまう。鳥が人間とは異なるリズムで世界を生きていることの象徴とも言える。二首目では、翡翠を「カワセミ」と読んでみたい。カワセミの鮮烈な色彩や静止した飛翔が現出する一方で、下句ではその寂しさが捉えられている。三首目では、鳥の身体性を強く印象づける。鳥の飛来と夜の訪れが並記されることで、鳥が世界と世界の境界をまたぐ存在として描かれているように感じられる。

以上のように、『水と自由』における鳥たちは、水と光と時間の境界に立ちながら、人間には触れえない領域へと身をひらく存在として描かれ、その姿を通して上川涼子が追い続ける「自由」という主題が、歌集全体に静かに、しかし確かな輪郭をもって立ち上がってくる。

上川涼子『水と自由』(現代短歌社)
¥2,750税込

「水は一日をとおして色を転じながら、しかし闇を湛えても透明です。そのように澄んだ眼で、あるいは文体で、一切を見透すことができたら、と水のめぐりに思います」
(「あとがき」より)

鞍を外しし馬の背中のひろがりを潮の引きたる浜に見てゐつ
たどりつくべき港などなきゆゑに鋏は紙をしづかにすすむ
小舟にも羽根にも喩へられながら耳と耳には澄みわたる距離
全天が繊月を得しこのゆふべ行き交ふ人の荷のひとつ、鍵
硝子戸に映れるかげは心臓のあるべき高さに草そよぎをり


【執筆者プロフィール】
服部崇(はっとり・たかし)
心の花」所属。居場所が定まらず、あちこちをふらふらしている。パリに住んでいたときには「パリ短歌クラブ」を発足させた。その後、東京、京都と居を移しつつも、2020年まで「パリ短歌」の編集を続けた。歌集『ドードー鳥の骨――巴里歌篇』(2017、ながらみ書房)、第二歌集『新しい生活様式』(2022、ながらみ書房)。X:@TakashiHattori0


【「新しい短歌をさがして」バックナンバー】
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【17】下村海南の見た台湾の風景──下村宏『芭蕉の葉陰』(聚英閣、1921)
【16】青と白と赤と──大塚亜希『くうそくぜしき』(ながらみ書房、2023)
【15】台湾の歳時記
【14】「フランス短歌」と「台湾歌壇」
【13】台湾の学生たちに短歌を語る
【12】旅のうた──『本田稜歌集』(現代短歌文庫、砂子屋書房、2023)
【11】歌集と初出誌における連作の異同──菅原百合絵『たましひの薄衣』(2023、書肆侃侃房)
【10】晩鐘──「『晩鐘』に心寄せて」(致良出版社(台北市)、2021) 
【9】多言語歌集の試み──紺野万里『雪 yuki Snow Sniegs C H eг』(Orbita社, Latvia, 2021)
【8】理性と短歌──中野嘉一 『新短歌の歴史』(昭森社、1967)(2)
【7】新短歌の歴史を覗く──中野嘉一 『新短歌の歴史』(昭森社、1967)
【6】台湾の「日本語人」による短歌──孤蓬万里編著『台湾万葉集』(集英社、1994)
【5】配置の塩梅──武藤義哉『春の幾何学』(ながらみ書房、2022)
【4】海外滞在のもたらす力──大森悦子『青日溜まり』(本阿弥書店、2022)
【3】カリフォルニアの雨──青木泰子『幸いなるかな』(ながらみ書房、2022)
【2】蜃気楼──雁部貞夫『わがヒマラヤ』(青磁社、2019)
【1】新しい短歌をさがして


挑発する知の第二歌集!

「栞」より

世界との接し方で言うと、没入し切らず、どこか醒めている。かといって冷笑的ではない。謎を含んだ孤独で内省的な知の手触りがある。 -谷岡亜紀

「新しい生活様式」が、服部さんを媒介として、短歌という詩型にどのように作用するのか注目したい。 -河野美砂子

服部の目が、観察する眼以上の、ユーモアや批評を含んだ挑発的なものであることが窺える。 -島田幸典


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