木の芽時楽譜にブレス記号足し
市村栄理
高知から句友の増田律女さんが来るので結社の句会の後鎌倉まで足を伸ばした。ピザとワインを堪能して解散したあと、渡部有紀子さんにサックスのソロライブに誘われるまま律女さんと3人で参加。小町通りにあるCAFE ETHICA(カフェエチカ)で様々なライブを開催しているのは知っていたが、このタイミングの良さは天から「行け」と言われているようなものだ。奏者は加藤和也さん。デンマークで学び、ヨーロッパ各地で演奏してきた。本当はもっとすごい経歴だけど書き切れない。
サックスの生演奏を聴いたことはあったが、これほどの至近距離で、しかもソロ演奏を鑑賞するのは初めてだった。楽器としての音の前後に洩れる息遣いが印象的だった。サックスに全精力を注いでいるのがわかる。スピーカーを介さずに人の呼吸をここまで感じとれる経験は少ない。彼は確かに生きている。音楽は誰かの存在証明を受け取る時間なのかもしれない。
木の芽時楽譜にブレス記号足し
ブレス記号は息継ぎ(ブレス)の位置を示すしるし。「V」や「✔」のような形の印である。小学校の合唱部というささやかなわが音楽経験ではブレス記号はもともと楽譜に入っているというよりは自分たちで決めて書き入れていた記憶がある。その形は木の芽を思わせる。
ソロ演奏ではブレスの位置は演奏の一部ともいえるくらい存在感がある。合唱では「カンニングブレス」があって、こっそりブレスするというやり方があると教えてもらった。小学生の私には「カンニングしていいよ」と言われているようで衝撃だった。演奏者が単独の場合にはフレーズの途中でわからないように息継ぎをする特殊技術のようだ。
木の芽時という季語は木々の芽吹く時節のことをさす。この時期は人の気持ちが動揺しやすいという。気持ちの動揺については経験的に推測していたが、日本国語大辞典に明記されているので思い込みではなかったようだ。
ブレス記号を書き入れる必要のある状況と気持ちが動揺しやすい時節とはどことなく通じ合うものがある。でもこの句からは動揺というよりは溢れるエネルギーをまだまだ放出させようとする意思が感じられる。もっと走るためのブレス記号なのだ。
作者は俳人協会の若手句会をずっと支えてくださっている市村栄理さん。私はもう若手を卒業してしまったが、この句会での出会いからは様々な刺激を受けている。ここの管理人さんとの出会いも若手句会で知り合った白井飛露さんを通じてのものだった。その若手句会でお世話になった栄理さんには、この場を借りて感謝の意と共に俳壇賞の受賞を心よりお祝い申し上げたい。
(第39回俳壇賞受賞作品より)
(吉田林檎)
【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)。
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