かがみ込めば冷たい水の水六畳
平田修
(『闇の歌』昭和六十年ごろ)
水は原則として冷たい。なぜなら、温かい水のことをお湯と呼ぶからである。それでも時に、冷たいと形容するしかない水もある。例えば澄んだ川の水などは身を刺す冷たさで流れるし、冬場の水道水は寝起きの顔を厳しく責めるように冷たい。暑い日に飲む水に至っては、その冷たさを食道で感じられるのだから人体は面白い。
そして、水にはもう一つの重要な「冷たさ」がある。それは、心理的に冷たく感じられるケースである。気分が塞いでいる時や元気の出ない時、手を洗うための水ですら冷たく無慈悲なものに感じられることがある。おそらく掲句はこのケース。「かがみ込む」という動詞からネガティブな感情を想定することもできるが、実はこの句の周辺はちょっとした連作調になっているのだ。並置されている句をいくつか取り出して挙げてみる。
四畳半の蝶の白さえ荒れて来る
畳から胸中吐き出し日の疲れ
絶望が仰向けに唇乾く正午
真っ黒な虫仰向けて身に叶う
四畳半の自室に迷い込んだ蝶の白さも厭わしく、荒んだ気分になってしまう。疲れは溜まる一方だが、起き上がることもできない。かといって眠ることも出来ず、ただ開けっ放しの窓から入ってくる虫を眺めたり転がしたりする。そんな一日だったのではないか(なお、省いた中には「蝌蚪」の句が二、三あった。庭か、家の前の畦道くらいまでは頑張って出られたのかもしれない)。
そんな日の身体はきっと水を嫌という程冷たく感じるはずである。立ち上がってもすぐかがみ込んでしまうような状況で、この「水」はもしかすると体内を巡る水のことなのかもしれない。この情けない身体を巡る水の、水の、水の…と、書ききれなかった続きが無限ループするような感覚すらある。かがみ込んだ身体は球体に近づき、冷たい水を循環させる無機的なオブジェクトのようになる(そして、なぜか部屋が六畳に拡大している。これは単に別の部屋に移動したというより、かがみ込むことで小さくなった己と比して広くなった部屋の印象であると捉えたい)。
しかし、この”連作調”のエリアは次の句で締められる。
明日出よう戸口の蟬のいっしんに
長い格闘の末、ついに決心に至っている。蟬の真摯な鳴き声も、背中を押すかのようである。それでも出るのは明日であるというのがいかにもそれらしく、この書きぶりはまた先程のふさぎ込むフェーズに戻ってしまう可能性を示唆している。〈かがみ込めば〉の句単体がループ構造をとっているだけでなく、一塊の作品群自体が無限ループへの分岐点を持っているのだ。この環を抜け出せる日はいつになるのか。少なくとも蟬が鳴き続けていることは、”今日”がまだ終わっていないことの証左に他ならない。
(細村星一郎)
【執筆者プロフィール】
細村星一郎(ほそむら・せいいちろう)
2000年生。第16回鬼貫青春俳句大賞。Webサイト「巨大」管理人。
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