青空の蓬の中に白痴見る 平田修【季語=蓬(春)】

青空の蓬の中に白痴見る

平田修
(『白痴』1995年ごろ)

掲句はこの句群のタイトルとなっている「白痴」という言葉を含むいわば表題句。以前も説明したが、白痴とはきわめて知能の低いもの、あるいは重度の知的障害者のことを指す語であり、明確な差別用語として現在では使用が忌避されている。しかし一方で「白痴」というタイトルの著名な映画や小説が存在することからも分かる通り、差別用語は文学・映像作品上の演出としても用いられる(もっともそのほとんどは古い作品であり、差別用語の使用を控えるべきであるという社会的合意が形成されていないだけの場合も多い)。『はだしのゲン』や『あしたのジョー』を読めば、現代では信じられない、むしろ子どもたちはきっと意味すらわからないような、「めくら」「かたわ」といった差別用語の嵐にクラクラしてしまうほどである。

ことに「白痴」といえばドストエフスキーの小説やその映像化となる映画作品、あるいは坂口安吾の短編小説(こちらは平田の『白痴』より後年の作品だが)が真っ先に浮かぶところであるが、平田にこうした作品のイメージを含意させる狙いがあったという読みはあまり得策でないように思う。そもそも平田は俳句に出会うまで(おそらく)文学とは無縁の青年であったためにこれらの作品に触れていた可能性は低いし、なにより彼の俳句はなべて自分とその身体をベースに書かれているからである。第三者的なモチーフに何かを託すという手法はあまり使わず、あくまでも対象と自分自身の関係性の中に詩情を見出す作家である。

思うに掲句で「見た」という白痴とは、自己の内部に存在するそうした部分の形ある幻影であろう。青空のもとでかぐわしく広がる蓬の群生地にいて、その芳香とともにふと立ち現れる白痴の幻影。それは平田自身が作り出したものに違いないが、その白痴の影がおだやかな日々を過ごすことを許してくれないような気配がある。そして彼自身も、時折現れるその幻影を恐れていたのではないか。幼少期に負ったトラウマが姿を持って視界に現れることがあるように、深層心理的に恐れる内的な部分の表れとしてこの白痴が描写されていると感じる。

ちょうど先日読んだ『呪術廻戦』第29巻でも、名実ともに史上最強の呪術師であるはずの両面宿儺が、戦闘中の土煙の中に自ら殺したはずの「現代最強の呪術師」・五条悟の幻影を見るというシーンがあった(もっとも、このシーンにおける五条の姿は幻影ではなく実体だったわけだが)。これは、怖いもの知らずで傲慢な性格の宿儺ですら、選択肢をひとつ間違えることが死に直結する五条との死闘によって刻まれた五条悟への”恐れ”をその精神に強く保持していたからこその反応であろう。「まさか……!!ありえん……!!」という彼のセリフは、心のどこかでほんの少しでも「あり得る」と思っているからこそ発されるのである。

掲句ではその幻影は土煙ではなく蓬の中に現れる。むせかえるような蓬の香りの中で、現実と幻影が次第に入り混じってくるような感覚を覚える。初読では爽やかに見える青空も、その眩しさによって幻覚を助長する不穏な言葉にすら感じられる。彼の見た白痴はどのような姿をとっていたのか。なにかおどろおどろしい不定形の物体か、あるいは人の形か。だとしたらその人の顔はどうだろう?見知った人か、赤の他人か。句群『白痴』とは、平田が心に抱える数多の幻影を追い続けるセルフ・ドキュメンタリーだったのかもしれない。

細村星一郎


【執筆者プロフィール】
細村星一郎(ほそむら・せいいちろう)
2000年生。第16回鬼貫青春俳句大賞。Webサイト「巨大」管理人。



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