前すっぽと抜けて体ごと桃咲く気分 平田修【季語=桃咲く(春)】

前すっぽと抜けて体ごと桃咲く気分

平田修
(『白痴』1995年ごろ)

『ワイルドストロベリー』という米元いれ氏の漫画作品がある(ジャンプ+にて現在連載中)。特殊な花粉によって人体から花が咲きやがて人花という怪物となってしまう災害「人花粉症」の被害に人々が怯える世界で、そうした怪物の駆除や根治を目指す組織「花葬隊」の戦いと謎の解明を目指すというストーリーである。主人公のキンゴは人花となってしまった妹に寄生され、本来であれば怪物と化して駆除対象となってしまうところで自我を保ち、「コントロール可能な人花」という特異体質の持ち主として花葬隊に入隊した特例的な存在であるが、一般の花葬隊員はそうではない。彼らは「花苅鋏」という個別に与えられた変形武器を使って人花と相対するわけだが、その力はノーリスクで得ることができない。花苅鋏には捕縛した人花の力が込められており、使用者を徐々に侵食していくのである。どんなに優秀な隊員であっても例外なく、隊員はいずれ花苅鋏に完全に侵食され、駆除対象である怪物になってしまう運命にある。その宿命を知ってなお戦うそれぞれの覚悟と、新人が先輩を”駆除”するという組織の哀しいサイクルが作品の根幹をなすテーマとなっているわけだ。

掲句を一読したとき、どうしてもこの漫画のことを思い出してしまった。前(が、なのか、へ、なのかの判断は読み手による。この省略が平田俳句の読みを難しくしている)すっぽと抜けて、というのは〈飛込の途中たましひ遅れけり 中原道夫〉のように何か自分の中の霊的なものが肉体から分離してしまう感覚だろうか。それにより空洞となった身体には淡いピンクの桃の花が咲き乱れる。こちらも「気分」であるからしてこの句は全て心的世界を描いたイメージの句であるが、そのイメージの強烈さによってぼやけることのない印象を読者に植え付ける。そしてこの身体から無数の花が飛び出るイメージは、ちょうど役割を終えた花葬隊員が皮肉な程に美しい花の展開とともに怪物と化していく様と似ているのである。『ワイルドストロベリー』の魅力のひとつである”精緻に描かれる花の美しさと情景のグロテスクさとのギャップ”が、掲句でも再現されている。違う点を挙げるとすれば、漫画で戦うべきとされる敵が人花という明確な他者である(もとは同じ人間だったことを思えば、そこにはまた別のジレンマがあるが)のに対し、平田句で主体が向き合うのはあくまで自分自身である、という点であろうか。幸いなことに人花粉症のない現実世界ではあるものの、困難な時代であることに変わりはない。各々が宿した花と向き合い続けることが、現代を生きることそのものであるのではないか、という気がしてならない。

細村星一郎


【執筆者プロフィール】
細村星一郎(ほそむら・せいいちろう)
2000年生。第16回鬼貫青春俳句大賞。Webサイト「巨大」管理人。



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