共にゐてさみしき獣初しぐれ
中町とおと
(中町とおと句集「さみしき獣」(2015年)より)
年も押し詰まってきたが筆者自身にとって今年いちばんの出来事は、長く一緒に暮らしてくれた猫の他界になる。そういう風に言えばなんとおめでたい奴、とあきれる向きもあろうが、同じ空間で長く共に過ごすことの威力はもう本当にすごくて、国際情勢もパンデミックも吹っ飛んでしまうくらいの重大事だった。
生い立ちのせいか、とてもわがままな猫だった。少し身体が弱いところがあって母猫が産み落とした子のうち、この猫だけを残して去ったという。「このままだと死んでしまう」とみかねた近隣の方が一時保護したが、先住の犬もいて長くは飼えないという事情で会社の同僚だった私の妻に相談したのが、我が家に来るきっかけだった。そのころわずか3歳で呼吸器の癌のため急逝した「タマ」 というキジトラの雄猫のロスの真っ最中だったが、境遇をきき家族全員賛成で迎えることになった。人懐こいタマとは違って、甘噛みでもなく人に噛みつき、しっかり爪を出してひっかいてくるこの三毛の雌猫を次男がそのころの無敵の格闘家ミルコ・クロコップにちなんで「ミルコ」と名付けた。
何か月たっても、抱かれるのも歓迎しないミルコはずっと我が家に女王として君臨しつづけたが、年齢を重ねると尿道結石とかの病を得て通院。あるとき検査で乳がんが判明、それはまたたく間に内臓全体にひろがった。数時間の大手術の末一週間ほどの小康を得たが、長くはもたないらしく、「大好きな家族と一緒に過ごさせてあげて下さい」と優しい獣医さんに言われて、家に彼女用に小さな布団を敷いて、夜はテレワーク中の次男も協力してくれて看護にいそしんだが、やがてその時は来た。寝そべったまま前脚をゆっくりと、まるで糸を繰るような動きを見せつつミルコは息をひきとった。多摩方面の禅寺で荼毘に付され、生きているときの形そのままに骨をならべてみせてもらい、それから骨壺に順番に入れ最後に頭をいれて蓋を置いたとき、みんな涙がとまらなかった。どれほどこのわがままな女王の存在に癒されていただろう、そしてもっとしてあげられる事はなかったか、いろいろな思いが残された一人ひとりの胸をしめつけた。彼女は一家で最初に、戒名で経に詠まれる存在になった。帰りの電車のなか、誰も一言もしゃべらず家路を急いだ。春なのに夕日がとても寒々しく、つめたい光をたたえていた。
冒頭句に言う「獣」はいろいろの解釈が可能だ。動物園の動物たち、散歩中のじゃれ合うペットーしかし筆者にはどうしても、これが人間そのものの事のように思えてしまう。誰でも親しくなればなるほど甘え合い、その直情をむき出しにする。愛情も深ければ憎しみがそれを超すほどの振幅をみせる事も珍しくない。強く抱擁しあったかと思えば口汚く罵りあったり。物を投げられたり、携帯を折られたりー。自分がこれほど思っているのに、なぜそれがわからないのか、とどうしようもない焦燥感にかられる。たくさんの分別ある人たちに反対されたりしながら始めた関係なら尚更だ。二人は暮らし始めこそとても分かり合えた気がしていたが、すぐにお互いの気持ちはすれ違うようになり、不満が風船のように大きくふくらんできて、やがて二人の部屋いっぱいの大きさになった頃はもう、どちらかが鍵を置いて其処を出なくてはならないタイミングだ。往年のアコースティック・コーラス・グループ、CS&Nの名曲「Helplessly Hoping」(邦題:「どうにもならない望み」)の歌詞の一節に「they’re one person,they’re two alone・・・」とある通り、もっとも愛し合っている筈の二人はその愛の強さゆえ決してわかりあう事はなく、永遠にひとりぼっちの二人なのだ。アルベール・カミュはその著書の一節に、不条理と幸は地上に兄弟のように存在し、不条理を理解し「すべてよし」と思えたときにはじめてそれに打ち克ち、幸と出会えると記す。永遠に理解し合えない事を、そしてその先には別れが待ち受けていることを、その不条理をどこかで二人は受け入れねばならない。「さみしい」の語は獣たちの、「どうにもならない」やるせなさを表現してあまりある、なんと哀しくも美しい主観なのだろう。新年、あたらしい部屋で新しい暮らしをはじめた二人の家路に、さっそくの「雨」。突然の事で、傘もない。遠くの方は晴れているので、すぐ止むように思えるがむしろ雨脚はきつくなって、二人の燃えさかる直情を冷やそうとするかのようだ。濡れそぼつ二人が部屋に戻った頃やっと時雨は町を通り過ぎて、まだカーテンもない小さな窓辺には陽光があふれる。それがいつか獣たちに訪れるおだやかな「幸」に満ちた日々の予兆であってくれたら、と切に願うばかりだ。
ミルコの四十九日の早朝、たまたま家族より先に目覚めたらリビングの、生前お気に入りだった窓辺に、朝の光に包まれてすっかり元気そうな顔で彼女が座っていた。「ミル、元気になったの?」といって急いでキッチンに入ってまだ買い込んだままだったキャットフードと水をいつもの食器に用意したが、次に見たときはもう既にいなかった。彼女とは最後まで、死んだあとまでわかり合えなかった。嚙まれたりひっかかれたりした時のたくさんの古傷が急に、切ない痺れをともなって疼きはじめるのだった。
(小滝肇)
【執筆者プロフィール】
小滝肇(こたき・はじめ)
昭和三十年広島市生まれ
平成十六年俳誌「春耕」入会
春耕同人、銀漢創刊同人を経て
現在無所属
平成三十年 第一句集『凡そ君と』
【小滝肇 自選10句(句集「凡そ君と」より)】
凡そ君と分かり合へぬまま梅雨に入る
初雪が空折れ曲がるあたりより
春蝉のはじめは声とならぬほど
朽ち舟の浸りしなかの目高かな
うづくまる人の離さぬ缶ビール
マネキンの口開いてゐる旱かな
はりぼての虎に噛まるる佞武多の夜
鵙の贄空におぼるるごとくあり
河豚捌くとき元寇の海荒るる
遠火事を見てをり妻となる人と
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【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】