寝そべつてゐる分高し秋の空
若杉朋哉
「リアル脱出ゲーム」なるものに初めて参加した。チーム戦で、脱出ゲームという名を冠した謎解きゲームだった。ミッションは披露宴で起きた事件の犯人を見つけるというもの。進行役の語りがテンポ良く、テーマパークのようだった。
会場には写真、資料、小道具といかにもヒントになりそうな材料が山ほどある。そこにある名前や属性を覚えてみたりする。目の前で次々と事件が起きる。この謎解きにはどの情報が有効なのか?そうして必死に取り組んで謎が解けた時の興奮!脱出ゲームのファンが増えている理由がよくわかった。
しかし、会場で頭にたたき込んだ数々のヒントらしきもののほとんどが無駄だった。役に立たない情報にとらわれて、本質から遠ざかっていく自分の愚かしさ。こんなところにも人生の縮図がある。
脱出ゲームでは謎を解くという目的に沿って情報の取捨選択をする。それに対して俳句を作る時には心が動いたかどうか、詩になるかどうかが判断基準となる。そしてその答えは人の数だけある。誰かにとっての無駄が他の誰かにとっては宝になるのだ。その差異こそが俳句の楽しみといえる。
寝そべつてゐる分高し秋の空 若杉朋哉
空の高さと身長の高さを対比で考えるとごくわずかな差である。国際航空連盟によると高度100kmからが宇宙になる。それが空の高さの最大値だとすると、仮に身長が170cmの場合、空に対する身長の割合は0.0017%。寝転んで仰向けになったとして、頭長(額から後頭部までの奥行き=目の高さ)が20 cmだとすると身長との差は150 cmなので0.0015%分空が高くなったことになる。「寝そべつてゐる分」の高さはミクロの差だ。誰がその差を気にするだろうか。
しかし170cmに対して150cmは身長の88%強。本人にとっては大問題だ。その大問題に気付いても、空の高さに圧倒されて目をつむり、無駄と見なす習慣がついているかもしれない。この習慣を持たない人が無駄と思われるものの中から宝を発見できるのだ。
寝そべって空を見る俳句はいくらでもあるが、秋の空の高さの差異を気にする点に作者の個性がある。春の空なら高さを思うことはなかったであろうことを考えると「秋の空」が動かない。
このような差に引っ掛かるとは、もしかしたら作者は普段から目に入ったもの全てに引っ掛かっているのではないか?と少し心配になったりもする。しかし最終的には「ちょっと高いな」という豊かな気持ちを獲得したに違いないことは「秋の空」が語っている。
『朋哉句集 三』(2022年刊)所収。
(吉田林檎)
【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)。
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